文部科学省が学校教育法で禁じられている体罰を初めて具体的に例示して全国の教育委員会や学校に通達するという。その具体的な例が幾つか新聞に載っていたが、僕のような老人からみれば、たしかに体罰は悪いが、いい年をした教員や教育委員会のお歴々が、ここまで例示しなければ”しつけ”と”体罰”との区別が解らなくなったのかと情けなくなった。
数えてみたら今年は国民学校(小学校)を卒業してからちょうど70年になる。戦争中で僕ら銃後の小国民は、いまの子どもたちよりたくましく鍛えられた気がする。それに伴って体罰もあった。宿題を忘れれば立たされるし、教室で悪ふざけをし先生の言うことを聞かなければ、座席に向かって白墨(チョーク)が飛んできた。さらにいうことを聞かなければ、教室の外に出され、両手に水の入ったバケツを持たされれて立たされた。いずれも今なら体罰である。
中学校に入ると教練という課目があった。将来軍隊に入る準備として銃の持ち方などを教わる授業である。各学校には将校が軍から配属されていた。戦争中である。子供ながらに軍隊では、鍛えるためにビンタが横行していることは知っていた。しかし、僕の学校では一切なかった。今でも覚えているのだが、行軍中鼻くそをほじくった仲間が罰として”○○は鼻くそをほじくりました”と三回大声で言わされ皆から爆笑を買った。なかなかユーモアのある配属将校であった。
昔の子供時代を振り返ると、進級して担任の先生が変わると、怖い先生にならなければよいなあといつも思った記憶がある。それだけ、子供たちにとっては先生は怖い存在だった。しかし、僕は先生から殴られた経験はない。級友たちに聞いてもない。昔の先生たちは、体罰としつけとの区別を理解していたのだろう。教室には一段高いところに教壇があって、先生は子供たちにとって尊敬の的でもあった。
数えてみたら今年は国民学校(小学校)を卒業してからちょうど70年になる。戦争中で僕ら銃後の小国民は、いまの子どもたちよりたくましく鍛えられた気がする。それに伴って体罰もあった。宿題を忘れれば立たされるし、教室で悪ふざけをし先生の言うことを聞かなければ、座席に向かって白墨(チョーク)が飛んできた。さらにいうことを聞かなければ、教室の外に出され、両手に水の入ったバケツを持たされれて立たされた。いずれも今なら体罰である。
中学校に入ると教練という課目があった。将来軍隊に入る準備として銃の持ち方などを教わる授業である。各学校には将校が軍から配属されていた。戦争中である。子供ながらに軍隊では、鍛えるためにビンタが横行していることは知っていた。しかし、僕の学校では一切なかった。今でも覚えているのだが、行軍中鼻くそをほじくった仲間が罰として”○○は鼻くそをほじくりました”と三回大声で言わされ皆から爆笑を買った。なかなかユーモアのある配属将校であった。
昔の子供時代を振り返ると、進級して担任の先生が変わると、怖い先生にならなければよいなあといつも思った記憶がある。それだけ、子供たちにとっては先生は怖い存在だった。しかし、僕は先生から殴られた経験はない。級友たちに聞いてもない。昔の先生たちは、体罰としつけとの区別を理解していたのだろう。教室には一段高いところに教壇があって、先生は子供たちにとって尊敬の的でもあった。