「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「美しい国」 ”ブルーテント”をなくせ

2007-01-11 06:35:58 | Weblog
戦前のフランスの名画「北ホテル」の舞台、パリの運河沿いに整然と
赤いテントが並んでいる写真が新聞に載っていた。ちょっと見には、
いかにもしゃれたフランス的な風景だが、ホームレス用のテントで美
観を損なうので近く撤去されるのだという。

東京、大阪など大都会の青いテントが公園や河川敷に定着してから
長い年月が経つ。「ホームレスの自立支援特別措置法」も遅々と実効
が出ていない。依然として”ブルーテント”は都会から消えない。パリの
赤テントに比べると、なんと安っぽく、みすぼらしいことかー。

「美しい国」をめざす政治家の目には”ブルーテント”は、目障りには映
らないのだろうかー。国会に”ホワイトカラーのエグゼプション”といった
訳の解らない法案を出すかどうかでもめている。年収800万円の高級
取りの残業料をタダにするかどうかといっても庶民にはあまり関係のない
ことだ。近視眼的発想だ。

ホームレス問題の主管は厚労省ではなかったのだろうか。柳沢大臣殿、
舌をかみそうな法案より町中から”ブルーテント”を一掃する法案を優先
させたらどうだろうか。これなら国民は説明がなくても目で見てわかる。

戦後、国内に失業者があふれていたころ、政府は失業対策として道路
清掃事業などの仕事を生み出した。働きたくとも仕事がないホームレス
が多いと聞く。どうだろうか、この人たちに都会の落書き消しの仕事を提
供したり、荒れ果てている森林の下草取りに動員したらどうだろうか。



団塊世代の「好老時代」

2007-01-10 07:55:46 | Weblog
このところテレビも新聞も”団塊””団塊”である。たしかに団塊世代が
定年を迎える今年からの「2007年」問題は大きな問題だ。

NHKテレビでも8日夜”団塊”問題の特集をしていた。いろんな角度
から問題を扱っていたが、僕が同感したのは、若者のモラルの低下は
団塊世代に責任があるかどうかーとのアンケートに52%の人が”はい”
と答えていたことだ。なんとなく前から僕もそんな感じを持っていた。

番組へのFAXで団塊世代が電車の中で席を譲られた経験を紹介して
いた。彼らもそんな年齢になってきたのだ。僕の経験では団塊世代が
一番社会モラルに欠けているように見受ける。自己中心で他人への思
いやりがない。僕らよりはるかに若いのに、シルバーシートで大股広
げて座っているのは団塊世代である。戦後の混乱時代に親から満足な
しつけをされなかったのだろうかー。その団塊”ジュニア”も同じようだ。

団塊の言葉の創始者,堺屋太一氏が{「好老時代」を提唱している。深い
意味はしらないが、なんとなく漢字からわかる。団塊問題は、団塊世代
が年金を受給される2012年からが本番である。そしてそれから10年
後には要介護者も出てくる。いま僕らの世代でも健康保険、介護保険の
負担増で苦しんでいる。団塊世代はすでに若い世代から”勝ち逃げ世代”
と批判されている、と聞く。

団塊世代が”憎まれる”のは戦争による宿命なのだ。「好老時代」が来る
のを願いたい。

昭和26年 僕の「成人の日」の頃

2007-01-09 07:08:53 | Weblog
2000年の”ハッピー・マンデー”法以降、祝日の日が年々変わり年寄
には覚えにくくなった。きのう8日は「成人の日」だったが、1月15日時代
に比べて晴着姿の女性も心なし少なく感じた。休むことが優先されて祝
日の意義が消された結果かもしれない。

徒然ツレなるままに僕の「成人の日」の頃を想起した。昭和26年といえば、
「成人の日」が国民の祝日に制定されてまもない頃だ。昔の事はよく覚え
ている年寄だが、まったく「成人の日」を祝った記憶がない。東京に住んで
いたが、行政側からも通知がなかった気がする。

僕個人も成人式で大人入りしたという自覚もなかった。三年前大學の予科
に入学したとき、当時大人の象徴だった”酒”も”煙草”も堂々と始めていた
からかもしれない。昭和26年は9月に講和条約が締結され、連合軍による
占領が終った年だが”ノンポリ”だった僕はこれとて特に感慨はなかった。

学費は親に出して貰っていたが、生活は苦しかった。アルバイト先のゴム
工場でのスクーター・タイヤー運びの重かったこと、鉄道のケーブル運搬
が過酷だったこと。繁華街の街頭宣伝、パチンコ屋の”軍艦マーチ”のけた
たましさなどー当時のことが断片的に想い出される。

馬齢を重ねると、その年一年何があったか思い出されぬ年がある。僕が「成人
の日」を迎えた昭和26年はそんな年の一つだった。まあまあの年だったのだろう。


唐土の鳥と七草粥

2007-01-08 07:48:40 | Weblog
  # 七草なずな 唐土の鳥が日本の土地に
    わたらぬ先に トントン バタリ トンバタリ

1月7日の七草粥の日、母親がまな板のの上に摘み草してきた七草を
置き、包丁で叩きながら、この歌を詠じていた遠い微かな記憶がある。
いつのころからか、この歌はわが家から消えてしまった。
七草はせり、なずな,御形,はこべ、仏の座、すずな、すずしろーであ
るが、戦前、東京の郊外(当時)でも摘み草が出来たのだ。

きのう我が家でも、久しぶりに七草粥にした。ただ昔のように摘み草し
たものではなく、残りものの大根、蕪、セロリの葉、それに小松菜だけ
のものだ。猫の額の庭に御形と仏の座もあったが、アクが強く使いもの
にならなかった。

唐土の鳥は凶鳥だったという説がある。今でいえば、インフルエンザの
ウィルスを運んできた鳥だという。しかし「唐土の鳥」の歌は場所によっ
て”唐土の鳥と日本の鳥が・・・”がと詠じられている。信州生れの老
妻は、まったくこの歌を聞いたことがない、という。唐土の鳥は信州の
山奥までは来なかったのだろうか。

七草粥の材料は今ではスーパーでセットになって売っており、健康食で
ある。正月のご馳走あとの食事として理にかなっている。今後も正月明け
の行事として定着してゆこう。しかし「唐土の鳥」の歌はどうだろうかー。
首都圏ではほとんど消えてしまったが、ほかの地ではどうなのだろうか。




 

”悪魔”の大相撲解説中止を懇願奉る NHK殿

2007-01-07 06:29:21 | Weblog
本日は大相撲一月場所初日にてござる。老輩にとってこれ以上欣快な
ことはない。しかるに、漏れ流れる話によれば、またぞろトツクニ言葉で
"悪魔”を意味する輩が、わが神聖なる国技の大相撲の解説に出演する
旨受け承り候。まことに不快極まる話にてござる。これを"御免”したNHK
なる公共放送局に対し、ここに書面をもって強く抗議する次第で候。

"悪魔”なる輩は,三百年以上の好角家を豪語している旨仄聞するが、老
輩は皇紀二千六百六十七年前のわが国神々の時代の大相撲までよく存
じおり候。三百年なる年月はほんの序の口にて候。

NHKなる公共放送局は,旧ろうの紅白歌合戦に於いても視聴者に対して
不快な画面を提供、会長自身謝罪した旨、受け承り上げ候。にも関らず
今回"悪魔”の仮面をつけた輩を画面に登場させるのは如何なものにて
候や。相撲の所作は、わが国の神事に源を発するものにて、その所作に
も、その一部が残存しており候。

神事の中でも”不浄”を忌み嫌い、いまだに女人は”不浄”なるものと
して,ヤンドコロなき女人といえども神聖な土俵に上らせない事は存じ
上げるとおりでござる。然るに”悪魔”の名を名乗り、他人に不快な念
を抱かせる仮面の輩に解説をさせるとは何事なりや。

相撲協会に於いても仮面の輩の本場所入りを忌避し、理由をつけて断っ
ている旨これまた仄聞致し候。視聴者は若い層だけでなく、老輩もいる
旨、ご承知され、仮面なる解説者は起用しなきことを伏して懇願奉る。

残業料廃止と労働組合の声

2007-01-06 07:51:35 | Weblog
「ホワイトカラー・エグゼブション」制度が与党の反対にもかかわらず通
常国会に提出される見込みだという。こんな舌をかみそうな外国の物
真似制度を考える厚労省の役人は何を考えているのかー。こんなくだ
らない法案で貴重な国会審議の時間をつぶされるのはもったいない。

この制度の骨子は、管理職一歩手前前のホワイトカラー、具体的には年
収700万円以上のサラリーマンに対しては残業料を支払わない。個人
の働く時間は自分の裁量で決めるべきだーというもの。もともとは経団
連の提言を受けて考えたものらしいが、経団連の提言では年収400万
円だったという。400万円ではほとんど中堅ののサリーマンがこれに該
当する。

その昔、僕の勤務していた会社で経営者が変わり、合理化の名の下に配
転,解雇と揺れ動き、残業料の見直しが会社側から組合側に提示された。
今回の「ホワイトカラー・エグゼブション」と趣旨は同じだ。新聞社の編集局
では中堅管理職的な”デスク"の残業料をカットしようというものだった。
しかし、さすがの御用組合もこれには反対した。記者という職種から現実
ばなれした提案だったからだ。

今回の「ホワイトカラー・エグゼブション」について「連合」の声があまり聞こ
えてこない。HPで検索、調べてみたら、やはり反対なのだ。だが、その声は
僕らのところまで届いてこない。日本の戦後の発展は正常な労使関係の下
で出来てきた。今回の馬鹿げた制度にはもっと声を大にして反対すべきで
ある。

インドネシアの海難事故と興安丸

2007-01-05 07:07:42 | Weblog
カリマンタン(ボルネオ)とジャワを結ぶ定期フェリーが旧冬29日深夜
悪天候の中ジャワ海で沈没、いまなお400人以上行方不明だという。
一方、1月2日、ジャワのスラバヤからスラウェシのマナドに向かったア
ダム航空575便が、これまた悪天候の中で墜落、依然、乗客乗員10
5人が行方不明だ。

沈没したフェリー(2,178㌧)は1990年に日本で建造された中古船だと
いう。就航してから17年経っているが、インドネシアではまだ新しい部類
である。人の住む島だけで1万8千の他島国家では、船舶は住民の生活
にとって不可欠な交通手段である。

僕がインドネシアに勤務していた40年前は、今よりも船舶事情は悪かった。
インドネシア政府は新規に建造する資金がなく、日本の船会社から興安丸
(7,130㌧)をチャーターしてスマトラ航路に就航させていた。あの”岸壁の母”
で有名なかっての引揚船である。興安丸は昭和11年関釜連絡船として建
造され、戦中は病院船として、また戦後は引揚船として大車輪の活躍して
いた老朽船である。当時すでに船齢は30歳を越えていた。

僕もスマトラのメダンからジャカルタの外港、タンジュン・プリオクまで興安丸の
お世話になりマラッカ海峡を渡った。船長はじめ船員はすべて日本人、規律
正しく運航されていた。

インドネシアでの海難事故は珍しくない。ジャワ海の事故の前日にもスマトラ島
沖で小型フェリーが沈み、10数人が行方不明になったままだ。原因はなんだか
わからない。小さな事故は新聞にも載らない。人命の価値は、この国ではわが
国と違うのだろうかー。

定年70歳時代に反対

2007-01-04 07:22:52 | Weblog
元旦の新聞一面トップに大きな活字で「定年70歳時代へ 厚労省」と
いう記事があった。僕らが定年を迎えた昭和60年代にはまだ55歳の
企業が多かった。定年が70代まで延びれば15年も延びることになる。
今日から仕事初めの企業が多いが、70歳までの定年延長は勤め人に
とって朗報なのだろうか?

新聞報道によると、団塊の世代が一斉退職する「2007年」問題後の
対策として、厚労省は”意欲と能力のある”高齢者まで働ける環境造り
を検討しており、平成22年には全体企業の2割を、定年を70歳まで引
き上げたい考えだという。

大手スーパーのイオンが今年2月から正社員、アルバイトを含め12万
人従業員の定年を65歳まで延長するという記事を読んだ。この延長が
ニュースとなるぐらいだから、日本の社会ではまだ60歳が定年年齢の
平均なのだろう。年金の支給年齢からみて、確かに60歳は早すぎる。
僕も65歳までは働いた。希望すれば70歳まで働けたのだが辞めた。

個人によって考え方に違いがあるが"意欲と能力”があっても、仕事だけ
が人生では、なにか空しい気がするーというのが僕の考えだ。日本の男
の平均寿命は78歳前後と思うが、せめて仕事から離れて10年位、余生
を社会に還元したいし、個人的にも楽しみたい。”エコノミック・アニマル”
といわれた時代があったが、余生ぐらいこれを返上したらどうだろうか。


靖国神社の”猿まわし”

2007-01-03 07:14:18 | Weblog
周囲がパソコンと無縁の高齢者なのでメール年賀は一通だけだった。その
空欄の多い受信トレイに知人からの長いメールが届いた。元旦に靖国神社
で興業された”猿まわし”への抗議である。メールによると”猿まわし”は第二
鳥居内の大手水舎の近くで行われていたそうで、英霊を祀る神域にふさわし
くないーと、これを許した靖国神社への抗議である。

僕は実際、この"猿まわし”を見たわけでもないし、神社側がこの興業を許可
したのかどうかも知らない。戦前も春秋の靖国神社の例祭には沢山の見世物
小屋や露天が並んでいたが、僕の記憶では境内横の空地だった。境内では
なかった気がする。メールの情報が正しければ、やはり戦争で亡くなった英霊
を祀る神社の神域での興業はすべきではない。これを許した神社側はなにを
考えているのかー。

小泉前総理の「靖国参拝」以後、神社への関心が深まり参拝者が増えている
と聞く。若い世代が戦争で亡くなった英霊に想いを寄せ、戦争の愚行を再考
するのは好いことだ。しかし、新年参賀をテレビCMで流したり"客寄せパンダ”
的な興業を神域でやらせるのは、どうなのかー。

宗教のことには疎いが、イスラムでもヒンズーでも仏教でも、祈りを捧げる神域
には、それなりの規制を設けている。先年、鎌倉八幡宮で外国人観光客から
巫女と一緒の記念撮影を所望されたが断られた。靖国神社は他の宗教とは
別なのかー。伊勢神宮にも明治神宮にも神々しさはある。”猿まわし”など出来
る雰囲気ではない。



消えた日本のお正月 その元凶は?

2007-01-02 09:09:20 | Weblog
生まれて初めて夫婦だけでの元旦の祝膳だった。例年は階下に住む
娘夫妻が孫を連れ共に祝ったが、今年は上の孫が高校受験の年、塾
の特訓講座に早朝から弁当持参ででかけた。そこで祝膳は夕方まで
延期され、二人だけの静かな膳になってしまった。

この静かな祝膳の最中、玄関のブザーが鳴った。イヤーホン越しに
聞くと宅急便で、知人からお年賀のお菓子が届いた。有難いが、昔
を知る古い世代にとっては複雑な思いだ。かってお年賀は本人が直
接、近所や知人宅に出向き、祝辞と共に手拭や葉書を渡したものだ
った。この良習を捨てた僕ら世代には多少うしろめたさがある。

日本のゆかしい風習や行事が消えたのは戦争の結果だ。これを進駐
軍のせいにするのは酷だが、戦後日本髪に着物姿の女性は見事に街
からいなくなった。正月の代表的な遊び、羽根突き、凧揚げも消えた。
百人一首,いろは歌留多、双六、福笑いなどで遊ぶ子供もいなくなって
しまった。

この元凶はやはり戦争だ。具体的には戦後の日本人の心の変化では
いだろうかー。変な"合理性”に引きずられ、一見”理”に合わない日本
古来の伝統を切り捨ててしまった。この犠牲が正月の伝統行事であり
風習である。大手スーパーの元旦からの営業は、わが国だけのあの静
かな元旦の風景を奪ってしまった。利だけを追求した結果、日本の美しさ
を奪ってしまった。