「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

升添都知事の保育園認識 なぜ都民より韓国人優先なのか

2016-03-21 06:07:38 | 2012・1・1
升添要一東京都知事が、新宿区内にある都市ヶ谷商業高校跡地を韓国人学校に貸与すると発表したところ、一日に300人もの都民から批判が都に寄せられている(産経新聞)。例の”保育園落ちた”の匿名ブログで、保育園への待機児童が国政問題にまでなっているのに、知事は何故いま、都民より韓国人学校を優先させるのかといった批判である。小ブログのコメンテーター、Lordyupa さんからも”韓国人よりも日本人待機児童を優先すべき”という一文を頂いた。(「日本の幸福度53位」ブログへのコメント)

升添知事は、この措置について朴菫恵大統領との約束によるもので、姉妹都市関係にあるソウルとの都市外交の一環だとしているが、知事は東京都の保育の実態をご存知なのだろうか。韓国人学校のある新宿には、国の認可を受けた保育園は12校しかない。これに対して認可基準は満たさないが、都が”認証”している保育園は25校ある。”認証”保育園は、用地難などから都が特別に認証している私立保育園で、保育料に差がり、園庭がないなど施設も劣っている。

偶然だが大学生だった60余年前、僕は市ヶ谷商業高校で教育実習をしたことがり、周辺の地理にも詳しいが、新宿区のHPによると、今年の保育園入園希望者は、例えば市ヶ谷商業高校跡地に近い東五軒町保育園(認可)では、0歳児募集定員20人に対して第一希望者が46人もいる。市ヶ谷商業高校の敷地6千平方メートルの一部を利用しただけで100人収容の認可保育園が建てられる。

僕が住んでいる町には都有地の公園があるが、認証保育園の児童たちが毎日、園庭がないので、保育士さんたちに連れられて公園へきているが、交通の激しい街中を歩いているのを見ると、事故でも起きなければと心配する。”日本は死ね”の匿名ブロ―ガさん、升添知事に対しても強く抗議を!

叔母の103回忌と無縁墓

2016-03-20 05:44:38 | 2012・1・1
”今日は叔母さんの祥月命日です”と老妻に指摘された。あまり信仰心のない僕はすっかり忘れていたが、老妻は善光寺のお膝元で育ったこともあって僕とは違う。毎朝、仏壇の過去帳を見てお参りしている。叔母は大正3年(1914年)27歳で夭折している。もちろん、僕は生前の叔母を知らないし、最近までどこにお墓があることさえはっきり知らなかった。

なんとはなく言い伝えで、お墓は入谷のの朝顔市が開かれる鬼子母神(真源寺)の境内だと、聞いていたので、数年前尋ねたことがったが不明だった。ところが、仏縁なのだろう。亡父の残した日記を調べていたら、昭和15年に27回忌を、浅草「酉の市」で有名な長国寺で催していた。早速、老妻は娘を連れて長国寺にお伺いしたところ、叔母の俗名と戒名がお寺の過去帳に記載されていた。しかし、大正12年の関東大震災の後、無縁墓として整理されていた。

東京は関東大震災と昭和20年の大空襲で大被害を受けている。浅草にあるわが菩提寺も全焼したが墓地は幸い無事だった。江戸時代から続く古刹で、墓地内には昔、修身の教科書にも出てきた、地理学者伊能忠孝と師、高橋至時の師弟愛の墓や,侠客、幡隋院長兵衛のお墓もあるが、最近、この古刹でさえ無縁墓なのかお彼岸にも花が捧げれていなお墓が増えてきた。

少子化や過疎化などの現象で、お墓の引き継ぎ手がなくなってきたのだそうだ。他人事ではない。わが家も内孫は一人もいない。将来どういうことになるかわからない。子孫が信仰心の厚い老妻のDNAを受け継いでくれることを期待するだけだ。今日はお彼岸の中日、老妻は墓参に行き、叔母にも彼岸の想いを馳せてくる。

日本の幸福度世界53位 でも"日本人に生まれ変りたい"

2016-03-19 06:12:36 | 2012・1・1
ネットで国連の下部機関が発表した2016年度の「世界幸福度報告書」を見て意外な気がした。わが国の”幸福度”が世界で53位だというのである。CNNによると、この報告書は”持続可能な開発ソリューション.ネットワーク”という国連の機関が発表したものだが、この機関がどういうものか、何を目的に調査したのかは明らかではない。しかし、調査は①平均寿命②社会福祉の充実度③国内総生産など5項目を勘案し、その総合判断に基づくものだという。

この報告書を見て、僕は先日來、日本の社会を騒がせている”保育所落ちた日本死ね”の匿名ブログをめぐる現象を想起した。僕は、ここのブログの過激な文面について”わがまますぎる”と批判してきた。戦争中から戦後にかけて、”ナイナイづくし”を体験してきた、僕らの世代からみれば、園児を持つ母親の気持ちは理解できるが、社会福祉の現状からみて、我慢して貰いたいというものであった。結果として、選挙を控えた政府は、匿名ブログに負けた形で、保育所拡充へ緊急対策を講じたようである。

特別老人ホームに入所したくとも入れない高齢者が全国で52万人もいる。政府はこれら貧困老人に対して一人3万円を臨時支給する。これも選挙対策だと野党から批判がある。匿名ブロックの”効果”を見て、声を大きくすれば、福祉政策が改善するという印象を国民に与えた。しかし、国民の”幸福度”は世界で32位である。勝手に国民が”幸せ”を求めて、動き出したら政治はどうなってしまうだろうか。

幸福度32位の国なのに昨日の参院予算委をテレビ中継で見ていたら自民党の若手議員が政府への質問のなかで”生まれ変わるなら日本人”という自分の著書の宣伝をしながら、政府への”よいしょ演説”をしていた。誰でも国を愛する気持ちは同じである。しかし、その度がすぎると、どんなものか。もう少し、現実に目を向けてほしい。

生活保護受給老人のパチンコ屋出入り

2016-03-18 06:23:20 | 2012・1・1
大分県別府市、中津市などで生活保護受給の老人がパチンコや競輪場へ出入りするのは”不適切”だとして、市が支給をストップしたことに対して国と県が”法的根拠がない”との理由から、市の停止措置をやめるよう指示したという。僕ら一般の納税者には、今一つ理解に苦しむ。これが、だれでも平等だとう”民主主義”の良さなのかもしれないが。

厚労省によると、このところ生活保護受給世帯が急増しており、今年1月の発表では163万世帯を超え、昭和26年以来の過去最高だという。そして注目されるのは65歳以上の高齢者世帯が全体の48・5パーセントと半分に近い。受給資格の一つには”病気や怪我で働けないこと”とある。老齢者の一人として、無年金や国民年金だけの老人が、病気になった場合、すぐにも路頭に迷ってしまうことは十分理解している。しかし、パチンコ屋へ行く体力や資力のある老人に対しても支給してもよいという解釈は、やはり解らない。

介介護支援の必要な高齢者にはディサービス(通所介護)という制度がある。自宅まで送迎してくれて、施設ではレクリエーションから入浴のサービスまであるそうだ。当然、生活保護受給の老人にも、介護支援の資格者ならディサービスも受けられると思うが、パチンコ通いの介護支援無資格者に対しても、これに似たサービスを提供してもよいと思うが、どうだろうか。「”老人”閑居して」の譬えがあるように、閑があって役所から現金を貰えるからパチンコ通いに行くのだ。まだ元気で働ける老人には”一億総参加社会”の一翼を担って貰って授産施設つきのデイサービス施設など設けてはどうだろうか。

人生の”終活”と葬儀の簡素化

2016-03-17 06:03:34 | 2012・1・1
テレビの番組や新聞に葬儀の話がめだつと思っていたら、今日から春の彼岸なのだ。昨日のNHKテレビの「アサイチ」でもお葬式の話を特集していた。①今どきのお葬式②激安プラン&直葬人気③早割も登場(新聞のテレビ欄)。そろそろ”終活”が近くなってきたのか僕ら80代夫婦もなんとはなくチャンネルにあわせたが、正直言ってあまり面白くはなかった。人生最後の最大の儀式を、こういった角度からだけで”きる”のは如何なるものだろうかー。

最近、新聞の有名人の死亡欄を見ると”葬儀、告別式は近親者のみで済ませた”という記述が多い。葬儀を公開すれば、他人様の迷惑になるだろうという遺族の配慮によるものだろうが、時には親友の死を後で知って、最後の葬儀に立ち会えず残念に思うこともある。昭和のいつごろまでであろうか。新聞に死亡広告欄があった。昭和51年、母が札幌で死去したさい、母は有名人でもないのに、当時僕が勤めていた仕事の関係で地元紙の死亡広告におつきあいさせられた。

母の葬儀はお寺の門前に花輪が立ち並び、祭壇は花で埋まり、三人も僧侶が司祭した。わが家始まって以来の立派な葬儀であった。しかし、出費も多く、おまけに、お通夜で留守にした家には空き巣がはいるという”おまけ”までついた。今でも老妻と当時の話をするが、老妻に言わせれば、あれだけの葬儀が出来たのは、母が持っていた人徳だという。

NHKの「アサイチ」の司会者によると、最近の葬儀のキーワードは”シンプル化”だそうだ。たしかに葬儀屋さんを儲けさせるだけのお通夜の”ご馳走”とか、無意味な”香典返し”は、どうかと思う。しかし、一切宗教儀式なしの火葬場での直葬は、いくらシンプルでも抵抗がある。出来るならば、人生の最後のピリオドである。故人に適した葬儀が一番よいのではないどうか。生前、機会があれば遺族に話をしておくべきかもしれない、

戦前、東京区部にも馬がいた時代

2016-03-16 06:43:58 | 2012・1・1
昭和20年3月10日の東京大空襲の後、わが家は強制疎開の対象になり、1週間以内に退去せよと国から命令された。大空襲の後を受け、鉄道の駅や軍需工場の周囲100メートルは撤去の対象だった。当時の亡父の日記によれば、わが家の場合、16日に正式通達があり、21日、近所の馬車屋さんに頼んで荷馬車二台で、ばたばたと7キロほど離れた今住んでいる所に引っ越してきた。戦時下、軍用以外トラックなどなかった時代である。

僅か70余年前である。東京の区部内にもまだ馬が生活の具として使われいたのだ。僕の住んでいた省線(JR)五反田駅近くの芸者街の入口には、蹄鉄屋さんがまだあった。馬一頭が入れば一杯の狭い小屋だったが、いつも蹄鉄の異様な臭いがしていた。それだけ、まだ馬の需要があったのだろう。小学生だった僕らは、勤労奉仕に路上に落とされた馬糞を拾い集めて歩いた。

昭和20年1月から僕らは六郷(大田区)の軍需工場へ動員され、海軍の秘密兵器、人間魚雷「回天」の部品を製造していたが、完成した製品は、工場から馬車や時には牛車で蒲田駅まで運ばれていた。工場は4月15日の京浜大空襲で全焼したが、当時宿直だった人の話では、空襲の夜、近くの京浜国道を、馬が悲鳴のいななきをあげて走り回っていたそうだ。

馬齢を重ねると、その一年何があったのか想いだせない年も出てくるが、敗戦の昭和20年の年は僕らにとっては忘れられない一年である。でも考えてみると、大都会の東京でもまだ馬が生活手段であったのだ。これでは核爆弾を持つ国との戦争には勝てるわけはなかった。

嫌われた「民主」の名前  期待が薄い「民進党」

2016-03-15 06:00:41 | 2012・1・1
民主党と維新の党とが合併した新党の名前は「民進党」と決まった。維新の党が提案した「民進党」名が、民主党提案の「護憲民主党」が世論調査で上回り、民主党内でも多かったのが理由だとのこと。”庇(ひさし)を貸して母屋をとらえる”という諺がある。福音館の「ことわざ小辞典」の転用の意には”自分の所有物のうちの少しばかりを貸したら、その全体をとられてしまった”とある。まさに、僕はそんな印象を受ける。それにしても「民主」の名前は随分と嫌われたものである。

民進党の名前を聞いて、どこかで聞いた名前だと思ったら、1月の総選挙で勝利した台湾の蔡英文女史率いる政党名である。まさか、それにあやかろうと思ったのではあるまいが。ネット情報では、台湾の民進党議員からイメージ.ダウンだとの声も出ているという。それに民進党の名前は1990年代の「民政党」や「新進党」の名前にに似かよっている。「民政党」は1998年1月から4月まで存在した、太陽党など三党で結成された政党。「新進党」も村山富市内閣時代にあった政党で、何故か民主党最後の代表になる岡田克也氏がこれに絡んでいる。

「新進党」への国民の期待はどうか。最近のマスコミの世輪調査によれば、NHKの69パーセントを最高に新党へ期待感は”ない”が、どの調査も60パーセント台と高い。驚いたのは産経新聞だ。最大野党名が発表になったのに、15日付け首都圏版の扱いは二面総合面で「新党名は民進党 民主20年の歴史に幕」の見出しで三段の扱い。巨人軍の”現金やりとり”をめぐる同社の特ダネががあったにしても、この小さな扱いは新党への関心度の薄さを証明している。

(ちなみに岡田克也代表の政党暦は、今度の民進党で7党目になる(自由民主党、新生党、新進党、国民の声、民政党、民主党、民進党]。お仲間だった小沢一郎氏の9党には及ばないが、政治家にも引き際があるのでは、なかろうか)





中国には親しみはないが、支那(シナ)にはおかしな郷愁

2016-03-14 05:36:28 | 2012・1・1
内閣府の「外交に関する世論調査」(今年1月)によると、中国に親しみを感じない日本人は、前年比0.1%増で83.2%。これは昭和53年、調査を開始して以降、最高とのこと。尖閣をめぐる海洋進出、「南京虐殺」などの反日感情があって、”爆買”のお得意さんなのに、日本人は中国に親しみを感じていないようだ。

僕も今の中国には親しみを感じない一人だが、子供だった頃の支那には変な郷愁がある。昭和12年7月7日、日支事変が始まった時小学校1年生だった僕は、いってみれば戦争の申し子みたいな世代だが、よく落書きに蒋介石のハゲ頭や刃のかけた青竜刀(中国の伝統的な刀)を書いたりしたものだ。戦争ごっこでは、ジャンケンに負けた組は、洋服を裏返しにして支那服に見立てて捕虜にされ遊んだりした。敵愾心を煽るための世論操作の結果だが、子供だったせいか、支那を憎いという感情はなかった。

80年近く経った今、あの支那事変の頃が懐かしく想い出されることがる。南京陥落の提灯行列、駅前の花電車。”徐州 徐州へと人馬は進む 徐州いよいか住みよいか”(軍歌「麦と兵隊」)を学校の学芸会で歌ったこと。女の子の間で流行っていた”支那の子ったら支那の子”のまりつき唄etc。

近隣の中国と韓国観光を足腰が弱った時の最後の地として残していたが、10年旅行ビザも期限が切れてしまった。それに対日感情の悪い国に、歳をとってからわざわざ行く気にはならない。子供だった時代の郷愁の中の支那に留めておくことにしょう。

気になる不法滞在の外国人の増加と犯罪

2016-03-13 05:40:55 | 2012・1・1
大変気になる法務省の統計である。昨年12月末現在でわが国に不法に滞在している外国人が6万2818人もいることだ。この数字はここ2年増加しているとのこと。欧州では昨年来、中東などからの難民が押し寄せ大問題になっているが、不法滞在者が、このまま増え続ければ、わが国でも将来大変なことになるが、きちんとした対策はとられているのだろうか。

不法滞在者の温床になっているのはJITCO(国際研修機構)であるのは間違いない。JITCOのHPいよると、同機構の研修生が無断で研修先から失踪する数がここ数年続け、1年間で4000人を超えている。理由の大半は仕事の内容をめぐるトラブルで、研修中の給与の低さがその大半のようだ。失踪外国人を国別でみると、中国人、フィリッピン人、ベトナム人が多い。

警察庁の統計によると、外国人犯罪が急増している。昨年埼玉県熊谷で起きたペルー人による連続6人の殺人事件は記憶に新しいが、今年になってからも麻薬の密売でイラン人同士が名古屋市内の路上で殺害事件を起こしている。彼らが不法滞在者であるかどうかは知らないが、外国人犯罪率の53.7パーセントは不法滞在者だという統計もある。

不法滞在外国人が問題になりだしたのは1990年の入管法改正で、中南米など日系人に対して対して長期滞在、就労ビザが許可されてからだ。この法を悪用、日系と偽って大勢の就労者が押し寄せてきた。また、前後してイランとの間に相互ビザ協定が締結され、これを援用してイラン人就労者が大挙して来日、不法に居住し始めてきた。

外国人犯罪の半分以上は不法滞在者だというのは問題だ。そして、その不法滞在者が、合法に招いた研修生だというのは、さらに問題だ。早急に関係筋が集まって総合的な対策を講じてほしい。

わが家の「ファミリー.ヒストリー」

2016-03-12 06:04:46 | 2012・1・1
書庫の奥に亡父の書いた、わが家の歴史”藤のえにし”が眠っている。先日久しぶりに読んでみたら序言に”息子よ、孫よ、曽孫よ、わが家が続く限り、歴史を書き残してほしい”旨記されていた。しかし、親不孝者の僕は85歳過ぎてもまだ”自分史”を書き残したい心境にはならない。しかし、そろそろ、自分が生きてきた証しとしても書くべき時期がきたのかも知れない。

”藤のえにし”には、人皇第30代、敏達天皇に源を発するわが家の系図(写し)が綿々と記されているが、僕がやっとたどれる先祖は江戸時代後期に生まれた祖父までである。その祖父も生涯もあまりはっきりしない。祖父が文久3年(1863年)横浜の写真館で撮った写真が残っている。ちょんまげ姿で二本刀を差し、もった扇子には年号と32歳という年号が記されている。

亡父の記述によれば、祖父は徳川幕府直藩の武士で、維新後は財務省の役人だったが、肝心な江戸幕府の役職がわからない。文久3年といえば、維新前、新選組が結成されたり、薩英戦争があったりした騒然とした時期なのに、なぜ祖父は江戸から横浜ででかけ、記念写真を撮ったのであろうか。数年前まで、僕にはこれが謎だったが、昨年読んだ古文書の中で、祖父が幕府の代官だったことが判った。代官なら貿易業務で横浜に出かけても不思議ではない。

自分の半生を振り返ってみて、特筆すべきものはないが、やはり生きてきた証しとして自分史を書くのは将来の子孫に対しても一つの義務なのかもしれない。遅まきながらそう感じるようにった昨今である。