バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

新年のご挨拶

2021年01月11日 | suzuのメッセージ
 年が明けて、1月も既に中旬ですが...
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 バンビはこの春高校3年生になります。
就労が目の前に迫って来ておりますが...
良い一年にしたいものです。

ほんと、コロナなんとか治まってくれー。
もう、国はもちろん医療も頼れない状況に追い込まれていて
一人ひとりがとにかく予防を万全にしていくしかないカンジなのがつらい。

それでも、明けない夜はない と信じたい。
今自分にできる努力を 気持ちは前向きに取り組んでいきましょう。

バンビは学校の方は もしかしたらまた分散登校になるかもしれないけど
とりあえず、余暇活動の方は感染予防しながら継続して行われるらしく
少しでも運動して体重維持を続けていけたらいいなと思ってるところ。

就労の方は 緊急事態宣言が出て
外部実習やB型事業所でのアセスメントが延期や中止になっているけど
とりあえず バンビは年内に済ますことができているのでラッキー。

ただ、年明け見学に行こうと思っていた作業所は
取り合えず宣言解除になってからにしようかと思うし
カレッジのオープンカレッジもどうなることやら まだ連絡がない。

今後のことは様子を見ながら、できることは粛々と取り組むというカンジかな。

今日は竹の子の会(親の会)で初めてZoomを活用した交流会が行われたけど
自宅にいながら 顔を見て話せたりするのはやっぱり便利。
うち以外はみんなお子さん同席で(バンビは余暇活動で出かけていたので)
子どもの様子がわかったりするのもいい。
みんな頑張っているな、子ども達元気に大きくなっているな って思えると
心が支えられる気がする。

困難な状況を嘆いてばかりいても仕方ない。
そんな風にできることを工夫しながら生きていくしかないんだもんね。

メールはこちらまで →yakkoxhs@gmail.co
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メールをくださったEさんへ(親の会のこと)

2016年05月27日 | suzuのメッセージ
私信です。すみません。

昨日、ブログを読んで 私にメールをくださったEさん。

そのまま返信しても、スマホから送ってもエラーになってしまい、メールが届きません。
そちらのプロバイダのサーバーに拒否されているようなので、迷惑メール設定かと思われます。

申し訳ありませんが、再度ご連絡いただけますか。
どうぞよろしくお願いいたします。

Eさんが親の会についてお尋ねだったので、お返事の内容を一般的な書き方にしてこちらに転記しておきますね。

********

PWSの親の会は 竹の子の会といいます。

活動は支部単位になっていて、私は都民なので東京支部に属しています。

東京支部は 年長・年中・年少にグループが分かれそれぞれに交流会も行っていますし、支部全体で講演会・学習会を開く予定もあります。
その他には会報が年2回、他に支部だより等も届きます。
ホームページのBBS(掲示板)なども 活用できるようになりますし
東京支部はメーリングリストでの交流もありますよ。

もし よろしければ、ホームページから入会のお申し込みをなさってください。

また、NPO日本プラダー・ウィリー症候群協会 という組織もあります。
私はこちらの会員でもあります。(ほぼ幽霊会員ですが)

竹の子の会が、どちらかという親、そして本人の横のつながりを重視した交流の場がメインであるのに対し(これは私の私見ですが)
協会の方は 医療や福祉等支援者も含めた情報収集・発信(しかもグルーバルな)がメインであり
意味合いは違っていますが、どちらもPWSとその家族にとっては必要な組織なのでは と私自身は感じています。

両方に参加されている方も多くいらっしゃいます。
ご興味あればこちらも是非。


もちろんどちらにも入ってない方もいらっしゃいますし、考え方は人それぞれ、個人の自由なので。
ただ、入ると 仲間ができます。自分は一人ではないと思えて、それが支えになります。

最初のうちは 満腹がわからないなんて食欲モンスターになるのか と絶望的な気持ちになりますが
実際には PWSは人懐っこい、かわいい子が多いです。
そんなに恐い障害というわけではないですよ。
ただ、育て方には多少コツがいるのではないかと感じます。

親の会や協会に入ることで情報を得て、その育て方のコツが学べるといいですね。
入れば全員必ず と保証できるものではありませんが。

ただ私にとっては 会の活動を通じて、ある程度将来の見通しをもって子どもに接することができていると言えると思います。


どちらも4月に新しい年度が始まりましたので、入られるならお早目の方がよいかと思います。

また何かわからないことがありましたら、お気軽に聞いてくださいね。
お母さんの不安が少しでも晴れて、子育てが楽しいと思えるようになるよう お役に立つことがあれば と思っています。

suzu


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3000日

2014年06月24日 | suzuのメッセージ
このブログを書き始めてから3,000日になったようです。

思えば、スタートは今から8年も前。
バンビはまだ3歳にもなってなかったんだなぁ...。
何につけ飽きっぽい私が、細々ながらよくこんなにも続いてるものだと我ながらちょっと感心します。

幼児だったバンビも、今ではもう少年というカンジになってきました。
「背が伸びたね。大きくなったね。」と、最近いろんな人に言われます。

この8年、長いようであっという間なような。
1つ1つ手探りで、でも夢中で突っ走ってきた日々です。

いろんな出来事があって、出会いがあって
悩んだり、考えさせられたり、気づかされたり
そんなことを繰返しながら積み重ねてきた3,000日。

そうやって、バンビの親になったおかげで私も成長させてもらってると思います。


我が子に障害がある-。

そう告げられた時、人生であんなに打ちひしがれ、嘆き悲しんだことはないと思うけど
でも、その衝撃から落ちるところまで落ちての再浮上。
振り返ってみたら何てことはない、ありきたりな家族の生活を積み重ねてこられた。

この先に何が待ってるかわからないけど、そんなことはどんな人生だってきっと同じはず。
でも今は 何があっても家族できっと乗り越えていけるはず と、そう思える。
強くなったなぁ、私...。これもバンビのおかげだね。


これからもいままで同様細々と続けていけたらと思います。
ゆるゆるとお付き合いいただけたら幸いです。

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メールアドレスが変わります

2014年02月25日 | suzuのメッセージ
いままでこのブログに関しては、メールの宛先をプロバイダであるgooのアカウントにしていたのだけど
gooが無料版のメールを廃止するそうなので、変更することに相成りました。

新しいメールアドレスは yakkoxhs@gmail.com です。(Googleのアカウントです)
よろしくお願いします。


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障害者は特別な存在か?② ~「1/4の奇跡」を観て~

2011年08月29日 | suzuのメッセージ
タイトルの「1/4の奇跡」の1/4って何なのかは前からずっと気になっていたんだけど
その話の核心に触れる頃に一緒に見ていたバンビがグダグダ言い始めた。

まぁ、映画の展開が淡々としてるというか思ったより子どもの関心は引かない作りで飽きてきたのと
部屋の空調があまり聞いてなくて蒸し暑く、眠くなってきたのもあると思うんだけど。

見かねた先生が保育室の方に連れ出してくれたので助かったのだけど
そんなこんなでガタガタしていて肝腎のところを集中して聞けなかった。
(周りの方も同じ目に合わせてしまったと思う。ご迷惑おかけして申し訳ありません。)

で、横目で観ていた内容からしてどうも”1/4”というのは、鎌状赤血球とマラリアの話から来ているらしい。
私はもちろん素人なので、医学的なところはよくわからず、ネットで調べてみたらどうもこんなカンジの話(勝手にリンク) → コラム「異常な遺伝子?」

つまり、ある地域(マラリアが発生する)の部族には鎌状赤血球症という貧血を起こす遺伝子疾患の人が3/4いるんだけどその人たちはマラリアに耐性があるからかからなくて、残りの1/4の人(鎌状赤血球がない人)はマラリアにかかる。
でも、3/4の中の2/4は鎌状赤血球症で死んでしまう?
3/4の中の1/4の人は劣勢遺伝で、鎌状赤血球症にはなるんだけど症状が重篤ではなく、マラリアにもかからず生きられる。つまり子孫が残せる?
(ここら辺、逆かもしれません。遺伝のことは難しくて、私にはよくわからない。)

山元先生はその1/4の人々を”障害がある人”と言っているようで
この人達が犠牲となって障害を持って生まれてきてくれてるからこそ、残りの人が生き残れるんです。
だから、障害者や病気のある人は素晴らしい、特別な存在なんです。
という展開のようだった。
(ちゃんと聞いてなかったから不正確かもしれません。ごめんなさい。)

それが、「本当のことだから」ってことらしい。


うーん、でもなぁ。
もしちゃんと聞いていたとしても、たぶん私はこの論理の展開にはついていけなかったと思う。

同じことを思ったらしい人のブログを見つけたので、何のお断りもなく勝手にリンク貼っておきます。→ 「1/4の奇跡 善意に潜む恐怖」
私の説明より、もっとわかりやすく書いてあるから。


その後、話はペルーの古代文明の話も交え
”障害者は宇宙とつながっている特別な存在”
”古代では特別な存在として崇められていたようだ”という話になっていき
いやー、私もスピリチュアルなことキライってわけでもないけど
ちょっとそれは着いていけないかも と思ってしまうに至りました。

伝えたいと思うことはわかるけど、医学的にとか科学的にどうなの? 
裏がちゃんと取れてる話なの?
そうじゃないのに(そうじゃないかはわからないけど) ”本当のことだから”と言って、映画や本なんかでそれを伝えてしまうのはどうなんだろう?

あれを観て、”障害者は特別な存在なんだ。障害者がいるからみんなの命がつながってるんだ。だから障害者は大切にされなければいけない。”って思い込む人が増えていくとしたら問題ありそうだよなぁ... というのが私の個人的見解。

何かを”特別”って言い出すと、それ以外は”特別じゃない”ってことになるんじゃないかな。
特別なら良くて、特別じゃなきゃダメなのか?
健常者だって、障害者だってみんな同じ。みんな生きてる尊い命。
映画の中にはそういう話も出てくるんだけどなぁ...。


もちろん物事にはいろんな見方があり、人によって考え方も違って当たり前。
感動する人を否定もしないし、アンチの人に乗っかるつもりもない。


ただ、1つ言うなら ドキュメンタリー映画の出来としては今ひとつ。
初監督作品だとか、予算もなかったとかいろいろ事情はあるんだろうけど。

例えば、ペルーの遺跡と子ども達の作品がそっくりだって言うんだけど
対比して見せる写真の解像度が粗すぎてぼんやり見える程度。
”そう言われればそう見えなくもないかな?”っていうカンジだし
ナレーションも素人感ありありで、インタビューのコメントも周りの雑音がうるさすぎて聞き取りにくいしで残念。
構成も単調で、もう少しメリハリ付けてまとめればいいのになってカンジ。
(特に子どもに見せるなら)
自主上映とは言え、お金を取って人に見せるんだからもう少し何とかしてほしいところかな。

でもまぁ、人のやってることにケチつけるだけならたやすいことで。
こうやって志を持って、それを人に伝えようと情熱を傾けていること自体は素晴らしいと思いました。

是非皆さんも機会があれば見てください。

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障害者は特別な存在か?① ~「1/4の奇跡」を観て~

2011年08月29日 | suzuのメッセージ
前から気になっていたドキュメンタリー映画「1/4の奇跡 ~本当のことだから~」を幼児グループが自主上映してくれることになったので、家族で観てきました。
ホームページはこちら → 「1/4の奇跡」

観終わった直後、アンケートへの感想欄には
「障害児の親になって8年。
 我が子の障害を受容したつもりでも、つい”どうしてこの子は・・・(こうなのか、できないのか)とか”この子が障害児でなかったら”と思ってしまうことがある。
 でも、今日この映画を観て改めて心の原点に立ち返り、”あなたはあなたのままでいい。私は私のままでいい。”と唱えながら、日々を過ごしていきたいと思いました。」
と書いた。

もちろん、それはそれで正直な気持ちなんだけど。
でも、なーんかモヤモヤした気持ちがしこりのように残って...

それは調度先日「24時間テレビ」をチラ見した時に感じたことと同じだった。
(今回 PWSのお子さんが出演されていたそうですね。
 私は後になって知ったので、そのシーンを観られなくてとても残念。)

あそこに出ている障害者の方々の才能や、チャレンジする勇気や努力はほんとに素晴らしいことだと思う。
それ自体に異議はない。

ただ、あーいうのを見ちゃうと
親なら、”うちのコにも何かあるかも。”って将来に希望を持ったりする。
ま、それはそれで良いよね。

でもつい”うちのコにも何か好きなことを見つけてやって、それを伸ばしてやれるように、親の私が頑張らなくちゃ。”って思ったりするでしょ。

でも、実際にはそーんな簡単には見つかならかったりするから
それで ”あぁ、やっぱり何もないのか...”と勝手にがっくりしたりして。


だけど、健常者にもすごい才能がある人もいるけど、大多数の人はそんな特別なものは持ち合わせていないわけで
障害者だってそれは同じなんじゃないかと思う。

それなのに、”障害者は何か特別な能力を持ってるんです。ほら、すごいでしょう。”っていう見せ方をされて
視聴者も”障害者なのに、すごいね。”って感動して。

それに抵抗という程でもないけど、違和感を覚えるんだよね。
何か上から見下されつつの、一時的な感動を煽られてる感とか。
親が追い立てられてしまうところもイヤで。
(それは力及ばない未熟な親=私 の単なる言い訳?僻み?かもしれないけど。)


もちろんああいうテレビ番組に取り上げられることで、障害者のことを知ってもらう機会になることはすごく意味があると思う。
私自身もこのブログを書いているのは、PWSのことを知ってもらいたいという気持ちがあるからだし。(それが全てではないけど。)

でも別にあんなスペシャルな1日を見せなくても、もっと何気ない
”こんな支援があれば、障害のある人もこんな風に日常生活を送れます”ってことで
実際に楽しく学校に通っている子どもとか、毎日コツコツお仕事頑張ってる姿とか
そういうのを見せてほしいと思うんだけど。

まぁ、絵的には華がないかもしれないから、テレビ向きじゃないだろうけどね。

でも本来伝えてほしいのは、”障害者はこんな能力を持ってる特別な存在です”ってことじゃなく
”障害者も支援があればみんなと同じようにやっていけるんです”ってことなんじゃないんだろうか?


そういう意味では「1/4の奇跡」も同じで
主人公?の特別支援学校の先生である山元さんがご自分の教え子のことを「子ども達はそれぞれみんなすごい能力を持っているんです。」と語る展開に
”あぁ、またそう来るんだ...”って、思っちゃったんだよねー。

確かにあそこに登場している生徒さんの書く詩は心を打つし、絵も素敵なんだけど。

でも、別に絵が描けなくても、ピアノが弾けなくてもいいじゃない。
障害が重度で自分の身の回りのことが自分で何1つできないとしても、例えば家族にとってはその人は大切なかけがえのない存在なんだよ。
誰にとってもその人がそこに在るだけでいい。命は尊いものだから。


※さらにこの後の展開にもっとモヤモヤすることになるのだけど
 長くなるので、別の記事にします。

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ことばと差別の問題②

2008年02月08日 | suzuのメッセージ
前の記事の続きの話だけど
原稿の校正の時に、「障害」を「障碍」に置き換えると読めなくて意味がわからない人もいるだろうし、「障がい」とすると、例えば「発達障害」を「発達障がい」とすることになって日本語として違和感をおぼえるということを私が言ったら、他のメンバーに ”でもその違和感こそが問題提起や啓蒙になるんじゃないか”というようなことを言われて ちょっとなるほどと思ってしまった。

つまり、障害の「害」の字をあえて「がい」にすることで、そこに込められた意味や想いを考えてもらうことになるのじゃないかということ。
うーん、そういうのもありなのか...。

まぁそれはそれとして、やっぱり障害者だからというだけで差別されるということが世の中になくなれば、ほんとは言葉なんてこだわる必要もなくなるんだろうなぁ と思わずにはいられない。

でも、そういう私もバンビの親になるまでは、恥ずかしながら 身体障害者=気の毒な人、知的・精神障害者=何をされるか怖いから関わりたくない人 と思っていた。残念だけど、そういう人間がまさにメインストリーム(主流)なんじゃないかと思う。

なぜ障害があるというだけで差別されるんだろうか?
まぁスケープゴートを立てることで自分の優位性を確認したがるのは 人間の性(さが)というか業というか... そういうカンジなのか。
でもさ。

世の中医学が進歩して、そのおかげでかつては生まれてこれなかった、あるいは生まれてもすぐ亡くなってしまったであろう命が助かるようになった。
その分障害児の出生率は上がったりしてるんじゃないかと思う。

五体満足に生まれても中途障害者になる人はたくさんいる。
昔なら病気やケガで亡くなっていたであろう人(特に高齢者)が命を取りとめるようになったけど、たぶんその分身体のどこかに障害が残ったりする割合も増えているに違いない。
ストレスフルな社会で精神を病む人もいるし。

障害者を嫌って差別する人も、そういう自分や身内が明日障害者になる可能性も十分あるってことに 思いが至らないだけなんだろうね。
その”可能性”はきっと昔より大きくなってるはずなんだけど。

自分や身内が障害者だったら差別する気は起らないだろうから、”いろんな人がいて当たり前”って みんなが思える社会になったりしないだろうか? 逆説的?かもしれないけど。

ほんと、バンビが大人になる頃には どんな世の中になっているんだろうねぇ。

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ことばと差別の問題

2008年02月08日 | suzuのメッセージ
この記事を書くきっかけになったのは、メンバーとして関わっている区の子育てマップ制作で「子どもの発達に悩んだら」というタイトルのコラムを書かせてもらったんだけど、校正の段階で「障害」を「障がい」に置き換えるか?という話になったこと。

確かに「障害」という言葉を「障がい」とか「障碍」に置き換えている文章をよく目にする。
それはそれで構わないけど、私自身はそれに”あえてこだわりたくない”という考えを持っている。
「障害者」という言葉は、「身体(脳を含めて)や精神のどこかに何らかの”障害”=機能しないところ を持っている人」という意味だと認識しているから。

でも世間一般には 障害があるというだけで不当に差別されて、まるでその本人が”障害”であるかのように言われることがあるというのも事実で、それを嫌って(あるいは語感とか文字の意味合いから)「障害者」という言葉を避けたり言い替えをするんだということも理解はできる。

だから当事者(及び家族とか直接的な関係者含めて)がそうするのは構わないと思うんだけど、当事者以外の人がするのは、その気遣い(なのか?)が言葉は悪いけどかえって疎ましく感じたりもして...。別に逆差別だとまでは言わないけど。

イヤなのはことばに込められる意味とかニュアンスであって、その言葉自体には別に何も問題ないのに と思う。
でもそういう意味やニュアンスも含めて言葉は存在するのかもしれないけど。
うーん、難しいなぁ。

差別を避けるために言葉を置き換えても、差別する心がある限り いたちごっこなんじゃないかな?
その昔、精神薄弱を”セーハク”と言って差別的に使われて「知的障害」に言い換えるようになったけど、今だって”チテキ”と言って差別的に用いられることはよくある話だし。

最近は日本でも健常者のことを「メインストリーム(主流)」、障害者のことを「チャレンジド」と呼ぶようになって、その言葉をよく目にするようになった気がする。

最初”言いにくいのに何でチャレンジド?”と思ったけど、challenger(挑戦者)ではなくchallenged(挑戦を受ける者)というところがミソ?らしい。
つまり”(神から)挑戦すべきことを与えられた人”という意味。このヘンいかにもアメリカ的。まぁ、確かにポジティブ思考ではあるけど。

でも私個人的には”メインストリーム”も”チャレンジド”も正直あんまりいいとは思わないなぁ。
別に理屈じゃなく、単に”健常者=主流”っていうことに驕りみたいなにおいを感じて抵抗があるだけだけど。(考えすぎか?)
”チャレンジド”も、彼らがその挑戦を望んでいるかどうかもわからないのに無条件に挑戦させられてしまう(?)ような、その一方的なカンジがちょっとね...。

前にも書いたけど、問題は言葉そのものではなくてそこに込められる意味とかニュアンス、つまりは気持ちの問題なのでは と思う。
だからこそ 言葉に込められた意味とかニュアンスに引っかかると、その言葉自体が受け入れ難くもなってしまうんだけど。
あれ? 堂々めぐり? 

段々何を書いてるのかわからなくなりつつ、でもまだ書きたいことはあるので、この続きは改めて別の記事に。

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1年たちました

2007年04月06日 | suzuのメッセージ
このブログを始めて、今日で調度1年になりました。なんだかあっという間の1年だったけど、気付いたらその間に200以上の記事を書いていて。我ながらよくもそんなに書くことあったなぁという気がします。

私は元々記憶力が悪く、右から左へ忘れ去っていく人間なので、こうやって子どものことを日記にしたためておけば読み返して思い出せるだろうと始めたブログだったけど...。
でもそれ以上に読んでいただいた方々とコメント等を通じて交流できる場になったことがとてもありがたかった。私自身いろいろ教えられたり、気付かせてもらったり、励まされたりもした。
皆さん、いつもほんとにありがとうございます。心から感謝ですm(._.)m

さらに言うと、かつての自分がそうだったように告知されて間もない頃のいちばん辛い時期のただ中にいる誰かに、バンビの日々の生活-元気で毎日楽しく過ごしてる様子を伝えることで、エールを送ることができたなら とも思う。
って、言っても別に取り繕ってるわけじゃなくてありのままを書いてるだけだけど。(だから最近は多少問題行動も出てきてるし、読んで不安を覚えてる方もいるかもしれないけど?)

今のそれなりにhappyで穏やかな生活がどこまで続くのか(もちろんずーっと続いてほしいものだけど)それは私にもわからない。
それにバンビはあくまで一個人であって、同じことが他のPWSのお子さんに全て当てはまるわけじゃないのはもちろん、個人のブログだから医学的裏付けなんてないし中には間違ったことを書いちゃってるかもしれない。

それでも今はとりあえずこうして生まれてから4年近く、さしたるトラブルもなく過ごしていることを今あの頃の私と同じ思いをしている人に伝えられたら嬉しい。
先のことはわからないけどね。でもそんなのは健常な子どもだって同じだと思うし。一人じゃなくて、仲間がいるってだけでも強くなれる気がします。

さて、今日はバンビと近くのお大師さんにお参りしてお守りをもらってきた。バンビが引いたおみくじは大吉
幼稚園楽しく通えますように。これからの1年もハッピーに過ごせますように。
バンビも手を合わせて一緒にお祈りしてきました。
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お友達のブログ

2007年03月27日 | suzuのメッセージ
PWS児のちょびクン改めぷみっちょクンのママであるみぃさんが、ブログを開設しましたー!
タイトルは「ちいさなぷみっちょ」です。URLはこちら→http://chiisanapumiccho.blog80.fc2.com/

ぷみっちょクンは学年でいうとバンビの1つ下(早生まれだから実際は2才近く離れてるんだけどね。)
でもなかなかしっかりしていて、一緒に遊んでる時はバンビの方が押されてるカンジ?
そんなやんちゃでかわいいぷみっちょクンの今後の成長が私としてもとっても楽しみ~。 もう親戚の子どもみたいな感覚かも?
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