バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

オランダへようこそ(再掲)

2016年09月21日 | 小さなPWS児のパパ&ママのために
まだバンビが小さくて、発語がないことに悩んでいた頃
ネットでマカトンとか絵カードについて調べていて、ダリママさんという方の「絵カードのおうち」というサイトにたどり着いたんだよね...。

そのサイトに載っていた「オランダへようこそ」という詩を読んで、涙が止まらなかった。

元は ダウン症児のお母さん、エミリー・パール・キングスレーさんが1987年に書いた文章なんだそうで
最近は いろんな英訳がアップされているのを見るけど
私はこのダリママさんの超訳と追記が好きで(勝手にリンクも貼ってるけど)改めて紹介したいと思います。

→ オランダへようこそ!

原文を読みたい方はこちらのななめさんのブログをご参照 → ゆっくり・のんびり ~ダウン症児の子育て日記~


我が子の障害を受容する。
それは 親にとって最初の、そして最大のハードルなんじゃないかと思う。

なんで私が... なんでこの子が...
何がいけなかったの? どうしたらいいの?

答えのない問いを繰り返し そのループからなかなか抜け出せない。みんなそうだよね。

オランダの良さに気付いても
イタリアへ行くはずだったのに。 あぁ、ここがイタリアだったら。
その気持ちは なかなか消せない...。

それでも、まぁ時が経てば 親も強く、たくましくなって
最終的には「住めば都」に落ち着くものですが。


新しいママ・パパに伝わればいいな と思ってます。

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最近のバンビ

2016年09月21日 | 成長記録
堅い話が続いたので、お口直し?に...。

最近のバンビ。背が伸びた。
入学当時丈が長すぎてたるんでいた制服のズボンを、気になるのかドレスのように膝の上で持って歩いていたこともあったのに(まるで裃?)
今はジャストサイズ。

しかし、お尻周りも大きくなったらしく、私服のズボンが150cmだときついらしい。(丈は調度いいくらい。)
仕方ないので、ゆったりサイズに買い直し。やれやれ~。


そして、私がちょっかい出すと いままでは「やめてー。」だったのに
「やめろ。やめろよぉ!」と言うようになった。
まだ 声がわりはしてないから、声自体はかわいらしいんだけどね。でも、なんかちょっとショック。

自分の学校の支度は自分でするし、いろんな面で手がかからなくなってきてるかな。

成長は嬉しいけど、少し寂しい気もする。
親離れと同じくらい子離れも大変 って聞くけど、まさにそうなのかもー。


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声を上げること

2016年09月21日 | 障害児の親
先日、区による障害福祉団体へのヒアリングというのに、私も初めて参加させてもらった。
いろんな団体にヒアリングをして、その結果が平成30年度からの障害者福祉施策の計画策定の基礎資料になるんだって。


「できる(いつできる、どこまでできる)、できないはともかく 言ってもらわないとわからないから、何でも言ってください。」という声に背中を押され
日頃の想いをぶつけて参りましたとさー。

それがこのシート ↓




ちなみに、うちの区の平成27~29年の障害者福祉計画がこれ → 総数86ページの巻物みたいなヤツ


いちばんの問題は、子どもが生まれてから生涯を通じてトータルに支援を考え面倒みてくれるところがない ってことなんだと思ってる。

最初は 子育て支援(これは障害有るなしに関わらず)で
療育手帳取って福祉サービス受ける辺りから 障害福祉管轄になって
で、学校に関しては 教育委員会。

この3つが連動・連携して機能してない。


最近でこそ、子育て支援の部分が多少充実してきて、障害を告知された後フォローが入って療育までにはつながるようになったらしいけど
私の時にはそれさえなくて、誰に・何を・どう聞いたらいいかもまったくわからず、途方に暮れたもんね。
絶望するしかなかった。

でも、いまでも公的療育は就学の時点で”あとは学校で”と言われて なくなってしまう。
学校の先生は 特別支援教育に携わる教師であっても、教育のプロかもしれないけど、福祉のこと知らないし
卒業後の子どもの生活がどんなものかもわかってない。

小学校なら6年間の、中学なら3年間の(進学という観点で高校くらいまでは何とか かもしれないけど)ことしか
まぁ責任もないからね。関心もないのかも。


子育て支援とか教育委員会とか そりゃ責任の範囲があって、役割分担は必要なのかもしれないけど
それは役所の都合であって
子どもの育ちという視点で考えたら、流れは1つなんだもん。関係ないのにね。

教育と福祉が連動してないから
就学相談で特別支援教育の流れに入れられても、療育手帳が取得できなくて支援が受けられずに
生きづらさを抱えたまま苦労する人はたくさんいる。

今回は 福祉に関するヒアリングだったから教育の話はあんまりプッシュしなかったけど
特別支援の名の下に、育ちに遅れや偏りのある子をどんどん普通級から分離していく施策は本当に有効なんだろうか?

一度分離されたら、違う流れの中に生きる存在と認識されて、二度と合流は叶わない。
学校はそうやって分離していくけど、卒業後に出ていく社会は 分離されていないし、されるべきものでもない。
なぜ、学校だけがそういう施策を取るのか...。



あと、本人支援は児童発達支援とか放課後等デイサービスとかで充実してきてるんだろうけど
家族支援 という視点での事業が不足していることは 先日の記事にも書いたとおり。
ペアレントメンターのことも改めて言っておいた。


そして、障害者理解という観点からの地域の関わりに関する取り組みがほとんどない。
(これも結局 学校の分離施策が大きいと思ってるけどね。)
相模原のあんな事件があって、今こそ 障害者理解とか共生という観点での提言なり施策が必要なはずなんだけどなー。


てなことを 熱く語って参った次第...。



86ページの巻物に書いてある障害福祉施策って、実はどれも区民である私達の身近な生活に直結している。
まずは関心を持つことが大切。でも、普段はやっぱり他人事感があるよね。


そしてやっぱり、声を上げるって大切なこと。
子どものために 少しでも現状を良くしたい と思うなら、声を上げて伝えていかないと。

でも、個人で声を上げても届きにくい。
やっぱりこういう団体であるからこそ、お役所がヒアリングして意見を吸い上げてくれるんだよね。

組織であることの意味は そこにあるんだろう。
親の会に入る意味がわからない っていう声はよく聞くけど、そこを理解してくれよ と思う。
大きい(人数が多い)組織の声は 役所も無視できないんだよ。

だから、手をつなぐ親の会とか、PWSの親の会とか 幽霊会員でもいいからとにかく入ってくれたらいいのになぁ と思う。
その会費で会が活動することで、あなたの子どもにも恩恵がもたらされる(かもしれない)のだから。



バンビが赤ちゃんの頃は ほんとに支援がなかった(少なかった というのが正確かな。あるにはあったけど届かなかった。)から
私はとてもハングリーだと思う。

誰に・何を・どう聞いたらいいかわからなかったら、誰にでも・どんなことでも聞きに行った。
我が子のために 少しでも何かないか、どうにかならないか。
そのうち どこにどうやって聞いたら何が得られるか わかるようになってきた。
人脈も増えて、口コミ情報も入るようになった。
自分の想いをどうやって伝えたらいいかもわかるようになった。

そうやって13年続けて、今の私がある。
私の経験値が上がって、スキルが高まった。そんなカンジ?(ゲームのキャラクターか!)


日本の福祉は申請主義だから、申請しに来た人にだけサービスを使わせてくれる。
使わないと それで足りてるとみなすから、量や時間やお金を増やしてはくれない。

今 子育て支援の段階が充実してきて、誰でもファーストステップでは支援とつながるようになった。
それ自体はとても喜ばしいことだと思う。
でも、次(福祉の段階)は自分でつかみにいかないと 誰も手を差し伸べてくれないっていう
そこの切り替えが かえってできにくくなってるのではないかという懸念もある。

特に就学してから以降は そういう情報がある人に、動いた人だけに サービスがもたらされる。
親に 情報と、体力的・精神的・時間的・経済的余裕があるかないかで 子どもを取り巻く環境の充実度に差がつく。

この辺も課題。



こういうことを どんどん伝えていかなくちゃ。
手を携えて、前に進んでいかなくちゃ。
そんな想いを新たにしたので、これからも頑張ろっと。 
まずは地元の仲間づくり。増やしていかないとね。
Go!Go! 私

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見えない壁 ~保護者同士の軋轢~

2016年09月08日 | 障害児の親
ひと言で障害児と言っても、知的には軽度の発達障害から重度、それも身体との重複障害のお子さんまでいろいろいて
その中でバンビは 特別支援学級に通うにはちょっと厳しく、支援学校では物足りないかもなぁ という
中度の子だと思ってるんだよね。。
だからこそ 軽度・重度どっちの状況も、あるいは保護者の気持ちも わかるところがあり、また わからないところがあって...。


それで これがまたね。
障害児の保護者同士にもお互いいろんな感情があるんだなぁ って思わされること多々あるんだよね。
(いやぁ、かなり言葉を選ぶなぁ...。)


PWSの親の会だと、症状というか状態に多少の重い軽いはあっても、所詮みんな同じ悩みどころを抱えているので
そう複雑ではないと思うんだけど(それでも時々軋みを感じることがあるのは事実)

これが地域の障害児の保護者の集まりとなると、それこそいろんな障害があっていろんな育ちがあるわけで
特に 軽度の子の親と重度の子の親の間に、あるいは 若い親と高齢の親の間に、埋めがたい深い溝があったりして...。


例えば、軽度の子(なりその保護者)が重度の子を見下す という話。
いや、ほんとに見下しているのか ただ受け取る方が見下されてると思ってるだけなのか
それも状況によると思うんだけど。

「大変ね。」っていう言葉とかね。

前にも書いたように、例えば重度の子を見て ”大変だな。うちはまだ軽い方なんだ。”って思うのは
人としてありがちな感情で、別に重度の子を貶めて見ているってばかりでもないと思うんだけど
ただ言われた方は やっぱり不快に感じるだろうね。

実際、健常・障害者に関わらず、相手を見下すことで自分の優位を保とうとする人 たくさんいるしなぁ。


そして、逆に 重度の子の保護者から聞くこんな言葉
「うちは将来、福祉の恩恵に預かれるけど、軽度の人は後で苦労するんだから 今に見てろと思って笑ってるわ。」

確かにそういうことあるんだろうし、言いたくなる気持ちはよくわかるけど、でも私は笑えないよ。
同じ障害児の保護者同士でそういうのって なんか悲しいなぁ...。

それとか 職業学科のある特別支援学校の高校のことを
(普通の知的障害児ならほぼ誰でも入れる高校と違って、試験に合格しないと入れない。一般就労を目指すハイレベルの高校。)
「○○(学校名)様」とあえて様付けで呼んで揶揄したり とかね。

そういうのを耳にすると、なんかいや~な気持ちになるんだよね。


わかるんだよ、私も。
そういう一見どこに障害があるんだかわからないような子達と、バンビは毎日を一緒に過ごして、彼なりに苦労してるし。

”障害児の中のエリート”の子達を前に、「どうせ、うちの子は障害重いですよ。」って、言いたくなることがないわけじゃあない。
(この「どうせ」って言い方、すごい卑屈なカンジで嫌いだけど。)


でも、彼らには彼らの それなりの苦労があって
みんな 生きにくいものを抱えて生きているし、親も育てにくさを感じながら育ててきてるわけでしょ。
そこは同じはずなんだけどねー。

だから、同じ障害児の親同士で そんな風に言い合ってても何になるんだろう? って思ったりするんだけど
きっと”同じなんかじゃない”って、どちらからも言われちゃうのかなぁ?

うーん、ほんと難しいよ。



それとか 先輩ママさんに言われるのが
「あなた達はいいわね。福祉も教育も医療もこんなに充実してて。私達の頃はほんとに苦労したわ。」って...。

これもすごーくよくわかるし、私もついつい今の若いお母さん達を見て言いそうになってしまうのを自戒してるけど。(言っちゃってるか?)
でも、これ言われてもどうしようもないし、イヤな気持ちになるだけだよね。
まぁ、そこはもう大人なんで 「ほんとに大変でしたでしょうねー。」って受け流すこともできなくはないけども。

特に高齢の親御さん達は、若い親達がアクティブに活動しているのを見ると何だかもやもやとした気持ちになって
活動から離れていく人も出てくるから そこは注意して と
私も あちこちから釘を刺されてはいるんだけど...。


うーん、これまた悩みの種。
いや、わかるんだけど、わかるんだけど、それ言われてもつらいわ...。


障害者同士で 自分(とその仲間)以外の人を理解しようとせず、多様性が認められないとしたら
なんで 健常者に自分達を理解したり、認めてもらおうと思えるのかな?
そんなの余計難しいじゃない。共生社会なんて遠い夢・幻の話だよね。


でも、これが頭で理解できていても、感情はまた別 ってとこもあってね。

だから ”みんなのために!”と思って走り出しても、ふと振り返ったら後ろに誰もいなかったり
ヘタしたら 後ろから刺されたり(って刃物でじゃないけど)しかねない。

こういうのって、なかなか一筋縄でもいかないし、一朝一夕にできるもんじゃないし。
いや、ほんと。いろいろ人生の勉強させてもらえる課題で。


それでも、目の前に立ちふさがる壁を 1つひとつ打ち壊して前に進むしかないんだよね。
頑張れ、私! Go!

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差別とか分断とかの話

2016年09月08日 | 障害児の親
今年の24時間テレビは Eテレが「バリバラ」をぶつけてきたので
”感動ポルノ”論争で ネットでもずいぶん盛り上がっていたようだけど...。

24時間テレビを見て、一般の人が
”障害があるって大変なことで、それに比べたら自分達は幸せだ。”っていう感想を持つことに
障害者の家族が ”それは障害者に対する差別だ!”と憤慨している声もあった。

でも、私もそう思ってたんだよ。
自分が障害者の親になるまでは。

そこに差別の意識があったかと言えば... うーん、差別とまではいかなかったんじゃないかと思うけどなぁ。
ただ、その時点では 障害者は自分とは違う世界の人 という意識はあったかもしれない。

今なら 人は誰でも障害者になる可能性があって、健常者と障害者は別に異なる世界に住んでるわけじゃない
ってこと わかってるけどね。


だから、健常者が障害者についてコメントした時に
例えそれが自分には気に入らない言い方だったとしても、すぐ”差別だ!”って糾弾するのは
控えた方が賢明なんじゃないかと思ってる。

そう言われてしまうと 言われた方は口をつぐむしかなくて、もう何も言えなくなる。
そして、触らぬ神に祟りなし じゃないけど、もう関わるのをやめようと思うだろう。
関心を持たなくなり、あたかもそこに存在しないかのように無視を決め込むようになるだろう。

差別もイヤだけど、それより無関心の方がもっと障害者を生きずらくしている元凶のような気が
私にはするんだけどな...。


ちょっと前(9月4日)だけど、朝日新聞のMOM'S STANDという子育て世代向けのコラムに
「障害のある2人を育てて『特別な場所で克服させるより』」という記事が載っていた。
朝日新聞デジタル

大手新聞にこういう記事が載るようになったんだなぁ と思うと感慨深いけど。

で、その中に
(就学で)「いったん分離されると『合流』は本当に困難。
大人が時折設ける『交流』では、友達になるどころか、関われない存在だと再確認させる面もある。」とあって

私が普段もやってるのも、まさにそこのところだよなー と大いにうなずいてしまった。


幼稚園や保育園までは一緒に過ごしていたのに、就学時に特別支援教育の名のもとに分離されると
待っているのは お情けみたいな「交流」のみで(もちろん環境によって違うかもしれないけど)
そこで 奇声あげたり、ふらふらしてようものなら 
「あの子なんかヘン。なんかヤだ。」って気持ちを抱かせるだけに終わる。
「もしくは 今日障害の子と一緒に給食食べるから、優しくしてあげなくちゃいけないんだよね。」みたいな?
それ どっちもダメじゃん って思うけど...。

そうかと言って、無闇な(適切な支援なき)インクルージョンも同じこと。
ただ一緒にすればいいというわけじゃない。そういうのはお互いに不利益をもたらしかねない。


でも、一緒にいられるところは一緒にいて
世の中にはいろんな人がいること、みんなそれぞれに家族がいて同じ地域で暮らしていること
この子達は何が苦手で、でもどうしてあげたらできるようになるか
そんなようなことを 生活の中で感じて、学んでくれたらいいな と思う。
多様な人の存在を認められるということは、すなわち自分もまた認められるということなんだと。

お互いを認め合う。
差別だとただ糾弾するんじゃなくて、そういう感情を持つのも今はやむないことだと受けとめる。
真に差別を解消するには まずそこら辺からじゃないかと思う。


何度も書いてるけど、バンビが通ってるミニバスケのクラブは健常児と障害児が一緒に活動していて
重度の子が立ちすくんで動かなくなっても、ふらふらとどこかに行っても、奇声をあげても
健常児が何気なくそばにいって声をかけたり、手をつないで誘導したり
そういうことを当たり前のようにやっている。

身体の大きい子が急に手を打ったり、足をバンとやって大きな音を鳴らしたりしても、誰も驚きも怖がりもしない。
怖くないことを知っているから。
ここのOBの子はたまにボランティアで来ても、障害児に対して分け隔てなく接していると思う。

やっぱり学齢期がいちばん大事なんだよね。
せめて小学校のうちは大きく分離せずに どの子も共に育ちゆく環境が整えば
この世の中は随分と変わるような気がするんだけど、どうだろうか。

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hand in hand(手を携えて) 家族支援のこと

2016年09月07日 | 障害児の親
最近は地元の育成会(手をつなぐ親の会)の活動でちょっと忙しいのだけど
それを通じて 自分がほんとにやりたいことが段々明確になりつつある。

私がずっとやりたいと思ってきたことは「家族支援」だったんだよね。
竹の子の会(PWSの親の会)の活動もそうだし、このブログも一部そこにつながっているんだと思うんだけど。


13年前、バンビに障害があると宣告された時、担当のDr.は 一応親の会のことは教えてくれたけど
福祉への橋渡しはなかった。

本来は、乳幼児健診で保健師さんがそれをやってくれるものなんだろうけど
2年で2回引っ越ししたりしたせいなのか(区内だけどね) フォローがないまま
「療育」という言葉をどこかで聞いて、自分から区役所に電話したのが確か10ヶ月の時。

その療育までにつながる10ヶ月は、私にとってはほんとーに暗黒の日々で
あの時のつらさは一生忘れないし、今でも思い出すと泣けるくらいで。
だから 他の、後からこの道を歩いてくるお母さんに あんな想いをしてほしくないと思っている。


もっとも、今は私が住んでいる区も 子ども総合センターというのができて
育ちが気になる時の相談窓口が 未就学児に対しては整備されているようだけど。

でも、それも就学したらフォローの対象にならない。
特に発達障害児なんかは小学校に入ってから診断がつく子もたくさんいるのに
学校以外に支援の場がないに等しい。

学校の先生は教育のプロではあるだろうけど、子どもの育ちをその子の人生トータルで見て考えたりは
なかなかしてくれない(できない)ものなんだよね。

放課後デイサービスは たくさんできて、事業所によって内容もいろいろ。
療育的なことをやってるところもあるけど、どちらかと言うと預かり保育的なカンジだよね。
少なくとも私の経験上(これまでに4社程お付き合いあるけど)
相談ができる(知識やスキルのある)支援員さんに まだお目にかかったことがない。

相談支援事業は立ち上がったけど、それも支援員の数が足りないらしくまだまだこれからのカンジ。


区役所に相談に行こうと思っても、まず最初に「ご用件は?」って聞かれると
それだけで 心折れる気がするんだよね。
そりゃ、役所なんて用があるから行くところだろうし、無理もないんだけど
なんか 何を誰にどう聞いたらいいかわからないんだけど、今困っていてこの困り感を誰かに聞いてもらいたい ってあるじゃない?
それとか ちょっと小耳にはさんだ福祉サービスで正式名称はわからないんだけど、どこに聞いたらいいんだか って時とか。
そういう時に気軽に行けるところがない。


障害児本人への支援はもちろん必要だけど、そういう子どもを抱えている家族への支援もすごく大切だと思うのに それがないんだよね。



で、ピアサポートとかピアカウンセリングが大事だよな と思ってきたわけ。(「ピア」=仲間)
同じ障害児の親として 対等な立場で話を聞き合い、共感し合い、仲間同士で支え合う。
プラダーウィリーにとって竹の子の会はまさにそれ なんだと思う。


あとは地域にも そういう親の会の活動ってやっぱり必要で(地域特性とか、あと福祉事業って自治体ごとの運営とかあるので)
もちろんうちの区にもあるにはあるんだけど 高齢化に伴い会員数が減少っていう
いまどき どこの親の会にも見られるような状況に陥っていて...。

これじゃあいかん。何とかしないと と悶々としているうちに、まず 志を同じくする仲間に出会い
2人でいろいろ話していくうちに やっぱり家族支援が大事だよね ってところに行きついたカンジ。
で、何もないなら 自分達でやろう ←今ここ


隣りの足立区では ペアレントメンター制度が事業として今月立ち上がったらしい。都内では初めて。
詳しくは 私が描いているうちの区の育成会のブログをご参照 →葛飾区手をつなぐ親の会(教育部会)ブログ
こういうのってほんと地域によって温度差があるんだよね。

足立区の場合は 区議会議員さんがかなり動いたようだけど、それでも数年かかってる。
うちの区はどうなることやら...
って、嘆いてもしょうがいない。
役所に必要性をアピールして、自分達でできることはやってかないと。


最初に何もなかっただけ、私達はハングリーなんだと思う。
この世界(障害者福祉)は申請主義で、自分から動いてつながらないと向こうからは誰も手を差し伸べてくれたりしない って
最初に思い知らされたから。

逆に最初から支援があると ずっとそのままいけると思いがちだけど、まだまだそんなに揃っちゃいないのよ。
自分で動かないと、この世界は変わらない。

仲間で手をつないで、手を携えて、私達は力を合わせて前に進んでいかないとね。
我が子のため だけじゃない、みんなのために。それがいつか我が子のためになるから。
子ども達のため、家族のため やれるところからやってこっと。

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夏休みが終わって思うこと

2016年09月02日 | 日々の出来事
あっという間に9月に入って2学期がスタートし、今日からは給食も始まって日常生活が戻ってきたカンジ。

バンビの宿題は...最終日まで頑張って、やっと何とか形だけでも終わりました。
始業式の日、帰宅してすぐ「今日は宿題なかったよ、ラッキー!」って言ってたから、バンビもプレッシャーあったんだろうなぁ...。やれやれ。

同じ区内の支援級でも 学校によって宿題の量も出し方(内容)もぜんぜん違うみたいで
バンビが通う学校は、かなりハードだったように思う。
まぁ、出来のいい子はそれでもサクサク進められるのかもしれないけど...
バンビの場合は、とにかくこなすことに必死で、学力の維持・向上になっていたかというと大いに疑問。


夏休みって 定型発達の子でも生活リズムが崩れがちで、それでも部活とか まだ”やること”があるだけマシだけど
支援学級の子にはそういうのないじゃない?
だから 課題をたくさん与えて、暇にさせないように って考えなのかなぁ と思えなくもない。


でもねー、今は中学生でも放課後等デイサービスが利用できるしね。
そういうのは 時代が変わってきてるんだけどなぁ... と思ったりする。

うちはその他に旅行も行ったし、バスケの合宿もあったし、バンビはかなり忙しく過ごしてた。

それに、長い休みにこそやらせたいと親が思うこともあるのにね。
バンビの場合は、お友達と映画を観に出かけたのと、私の弟にパソコンのキーボード入力を教えてもらった っていうのが1回ずつ。
家事のやり方も教えたかったのに、それはできなかった...。

まぁ、もちろん 家庭によって親がそうやって子どもに構ってやれる 時間的・経済的・精神的余裕がない場合もあるし
そもそも 子どもに手をかけてやろうっていう発想がない家庭もありそうだしね。
子どもの状況もそれぞれ違うし、そういうのを汲み取って一人ひとりに合わせる っていうのは
現状では難しいのかなぁ...。

なんかもやもやする。


お子さんがもう成人している先輩ママさんに「宿題に追われて大変なんですー。」ってお話ししたら
「”さぁ、今日は何しよう?”っていう日があるって、それも1日だけじゃなくて、何日か続く 
そういう体験も大事なのにねぇ。夏休みってそういうものじゃない?
そんなに追い込まれて頑張る必要ないと思うわよー。」って言われて
「そうですよねー。」って心底思ってしまった。

あぁ、学校の先生に伝えたい。(やんわりとは言うつもりだけど。)


学校は てか、普通級の場合は特に 生活リズムを守ることと、学力の維持・向上に躍起になってる印象なんだけど
バンビは PWSならではで生活リズムは一定だし、ルーティンはこなすし、そこは問題がなくて。
学力は... 生きていくのに必要な知恵と最低限の知識があれば
例えば、ひまわりの絵がうまく描けなくても、日本の歴史上の偉人のことを知らなくても別に構わないじゃん? って思うんだよね。

空間認知が弱いバンビは お絵かきだけじゃなくて、英語も罫線(英語のノートって4本線だった)のどこから書くか(特に小文字)がわからないらしく
相当時間がかかって私もイライラさせられたんだけど
よく考えたら別に tが下がってたって、pが上がってたって、大した問題じゃないよね。

それより、MEN・WOMEN と書いてあるトイレのどちらに入ればいいのか
PUSHとPULLとか、OPENとCLOSE、INとOUT...
そういう生活に根差して必要になる知識を身に着けることの方が大事なのでは? 


まぁ、学校がそこはやってくれないなら家庭でやるしかないんだけどね。

そんなことを強く思った夏休みでした。40日は長かったなぁ...。

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