バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

バンビの生い立ち⑤-1才から(その3)

2006年08月13日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)
しばらく書いてなかったバンビの生い立ち。前回、1才4ヶ月くらいでつかまり立ちをするようになってきたところまで書いたと思う。

1才過ぎてから、外に出る時は靴を履かせるようにしていた。この頃は単に足裏の圧迫刺激のためというカンジで、安物のベビーシューズ。バンビは靴を履くのはイヤがらなかった。外が好きで、靴を履く=外に出るとわかってきてたのかもしれない。


たっちがしっかりしてきてからは、足首をしっかりサポートする靴に変えた。(この写真だとわかりにくいけど。)家でも外でも、つかまれる場所を見つけては立たしてみたりしていた。

他によくやっていたのが、ハイハイでの階段の昇り降り。当時住んでいたのは団地で家に階段はなく、かと言って団地の外階段ではドロドロに汚れてしまう。なのでよく公共の(出入り自由な)建物、例えば区民ホールとか児童館とかに連れて行っては好きなだけ階段で遊ばせていた。あとでわかったんだけど、この四つん這いで身体を動かすことは、筋力をつけるのにかなり有効だったみたい。

あと「ジャンパー」を買って飛ばせてみたりもした。(商品名は確か「ジョリー・ジャンプアップ」)

この紐(もちろん長さは調節できる)の上の部分がスプリングになっていて、調度”逆バンジー”みたいにぴょんぴょん跳ねて遊ぶ遊具。トランポリンとかジャンプするのも体幹を鍛えるにはいいらしいのだけど、これなら赤ちゃんでもジャンプして遊べる。

その後はつかまり立ちから、伝い歩きへと順調に発展。行動範囲が広がって、手に触れるものは何でもイタズラされるので、引き出しはすべてロック。電話台もかさ上げしたりして大変だった。


伝い歩きが始まったらすぐ独歩ができるようになるのではと秘かに期待していたけど、それがそうもいかないものらしく、結局伝い歩きは半年くらいやっていた。その半年は、正直、一体いつになったら歩くんだろう?って思ったほど長く感じた。
何も支え無しに自分の足腰で自分の身体を支え、さらにそのまま移動するというのは、簡単そうに見えてかなり筋力やバランス感覚を必要とするものらしい。だから、足だけでなく体幹の筋肉(腹筋・背筋等)やバランス感覚を鍛える運動をしてやることが大事なんだと後になって知ったんだけど。

1才9ヶ月くらいからは、しゃがんで床に手を着いて頭を起こそうとする動きを盛んにするようになった。あぁ、自分でも立ち上がりたいんだなぁ、歩きたいんだなぁと思えて、とてもいじらしかった。


この後、いまのマンションに引越しをした際に、おもちゃを棚にしまうようにしてバンビが自分で立って取るように仕向けたり、すべり台付のジャングルジムで遊ばせるようにした。
そうやって気がつくと自力で立てるようになっていて、2才のお誕生日が過ぎたある日、バンビを壁を背にして立たせ「おいでおいで~」と呼んだら2歩くらい足が出たのだった。「歩いた~!!」あの時の嬉しさは忘れなれない。長年の努力が(って大して長年でも、努力したわけでもないが)一気に報われたような気がして、ほんとに嬉しかった。
その後はあれよあれよという間に歩くようになり、でもまだバランスがうまく取れなくてすぐ転んじゃうし、そのせいか手を上に上げてバランスを取るようにして歩いていた。当時話題だったレッサーパンダの風太クンみたいで、その格好が面白くてみんな笑っていたし、私もおかしくて一緒になって笑っていたけど、でも嬉しくて誇らしくてたまらなかった。
まぁ歩けるようになったらイタズラ大魔王の本領発揮で、この後いろいろ大変になるのだけど、それでもあの嬉しさは一生忘れられないだろうと思う。

「歩く」っていう、普通なら成長の一過程に過ぎないことがこんなに大きなステップになるなんて。でも、その日は遅かれ早かれどのPWSのコにもやってくるものだから、バンビより年下のチビちゃん達もがんばれ、がんばれー!と思う今日この頃です。
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バンビの生い立ち④-1才から(その2)・独歩のために

2006年06月30日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)

※写真1枚追加しました。(膝立ちで療育中の1枚)


先日の続き。(しつこいようですが、バンビはダイソミーということもあって、PWSの中では身体の発達は早い方だと思います。)

今回探してみたら、ハイハイの写真がほとんどない。
左は療育園でOTを受けているところ。たぶん肩から腕の動きを何か指導されてるんだと思うけど、内容はもう忘れてしまった。
  
おもちゃを取りたい一心でよく動くようになってきた。

おすわりの姿勢から手で後ろに押して(いざって)移動してるうちに、ダイニングの椅子の下にもぐり込んでしまったバンビ。 身動きとれず。
いざりはしない方がいいと言われて、できるだけさせないようにはしていた。


普通のハイハイをするようになり、そのうちこんな格好で座るようになった。
いわゆるおばあちゃん座り。


そこから腰が上がるようになって、膝立ちができるようになった。


ソファの前に踏み台を置いてみたら、その体勢から自分で上半身を乗せるようになり、さらにソファの上に好きなものを置いたら今度はソファに上半身を乗せて膝立ちのままで遊ぶようになってきた。
 → 
さらにいつの間にか、つかまり立ちの気配まで見せ始めた。 (ソファの上は危ないぞ!)

ずり這いから始まって、この間約1ヶ月。かなり大きな進化?だったかも。


PWSのコはいずれみんな歩けるようになるんだけど、人によって2才だったり5才くらいまでかかったり、個人差があるらしいことは聞いていた。
もちろん焦る必要はないんだけど、私自身はバンビが2才までに(2才のうちに)歩けるようになることにかなりこだわっていた。

理由は 
①脳への刺激のため(歩けるようになればそれだけ脳に入る情報量が多くなると思って。医学的裏付けはないけど。)
②過食が始まり太りだす前に、運動ができるようになっていてほしいから。
③歩き始めるのに適した体重があると思ったから。


③は、療育仲間で理由は違うけどやっぱり歩き始めるのが遅かったSクンのママが言ってたこと。(Sクンはバンビと2ヶ月違いだけど、かなりガッシリ・ズッシリ)
つまり、体重が重くなるとそれだけ身体を持ち上げるのにも支えるのにも力が必要になり、ますます歩くのが難しくなって、歩けないと体重が増えてっていう悪循環があるみたい。健常なコが歩き出す頃の体重って、歩き出すのに調度いい重さなのかもしれないね、というような話だった。(これも医学的にはどうなのかわかりませんが。)

それで、バンビが少しでも早く歩けるようになるために、この前書いたとおりたくさん刺激を与えることを心がけていたのだけど、例えば幼児グループで教わった手足のマッサージもこの頃からやり始めた。 具体的には手のひら・足の裏のつぼ押しと、指先の刺激。
”だるまさんが転んだ”と言いながら、指を1本ずつ回して最後に”ぴっ!”っと言って指先をつまんで引っ張るカンジ。
あとはタオルやいろんな感触のものを使って皮膚マッサージ。(乾風摩擦みたいに)
揺れ刺激も良さそうだったので膝に乗せて一緒にブランコに乗ったり、ベッドの上で一緒にゴロゴロ身体を揺らしてみたり。

バンビ自身がこういうことをイヤがらず、むしろ積極的に楽しむようだったことが良かったんだと思う。
最初は何をしてもぜんぜん反応のない赤ちゃんだったバンビが、この頃からどんどん表情というか表現が豊かになり、自分自身で好きなことを積極的にやるように変わってきたみたい。(のちのイタズラ大魔王の片鱗を見せ始めたかも?)
そして、ミルク飲ませ過ぎ?でコロコロしていた顔も身体も少しずつスリムになり、やっと赤ちゃんから幼児へと変貌していった。

この後長い”伝い歩き時代”が始まるのだけど、それはまた改めて書くことにします。
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バンビの生い立ち③-1才から (その1)

2006年06月25日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)
1才になってからのことを書こうとずっと思っていたのだけど、もうその頃は育児ノートも書いてなくて、結構記憶も曖昧。写真を見ながら何とか思い出してみようと試みるんだけど、なかなか難しくて。(あー、あの頃からブログやってたらなぁ。残念。)

で、以前にも書きましたがバンビは1才になるちょっと前から
★療育園(都立)でOTを受ける(月1・45分/回)
★幼児グループ(民間の療育施設)に通う(週2回、10~13時)

幼児グループは療育園がもの足りなかったから他にないかと探したんだけど
先日も書いたとおり、あの頃はまだ療育に行けばそれだけでバンビが変わるんだとカン違いしていた。でも、結果的にはここでいろんなことを学ぶことができたし、何よりママ友ができたことが私自身にとって大きなプラスだった。

幼児グループで月1回行われるポニー教室でのバンビ
~おすわりができるようになった頃(1才2ヶ月)

先生が特製のクッションを作ってくれて、それを身体に巻きつけて騎乗。(隣は公園の指導員さん)
大丈夫かなーと思うようなことも、先生がやってみようと言うのでどんどんやらせることにした。

<この頃心がけていたこと>
バンビにいっぱい働きかけてあげること=刺激を与えること
(もちろん、無理しちゃいけないから様子を見守りつつ。)



草の上に直に座らせたり 

公園での水遊びも 

 水の中でゆらゆら身体を揺らしてみる。

いろんなものに触れさせたりして、視覚・聴覚・嗅覚だけでなく触覚による刺激も与えようとした。
特に季候が良くなってからは光や風や水を感じてほしくて毎日外に出るようにしたし、時には葉っぱを持たせたり、お花の匂いを嗅がせたりもしてみた。
当時はまだ反応らしい反応はなかったけど、でもバンビの脳にいろんな刺激が届いていたんじゃないかと思っている。
(まぁ幸いバンビはこの頃特に健康上のトラブルもなかったので、そういうことができたのかもしれないけど。)

それから、例えばデパートに買い物に行った場合でも、ずっと抱っこしたままとかベビーカーに乗せたままにしないで、必ず赤ちゃん広場みたいなところに寄って、おすわりさせたり、寝転がって遊ばせる時間を取るようにしていた。(自分の休憩も兼ねてだけど)

当時、おすわりができたら次はハイハイと思っていたけど、それにはやっぱりうつぶせがしっかりできて首が上がらないとダメだし、何よりその姿勢から移動したいという本人の意志というか意欲が大事だと思った。

そういうわけで、バンビの周り(手を伸ばすともうちょっとで届くくらいの位置)におもちゃを散らばせておくのだけど、それもガラガラとかぬいぐるみよりはむしろ何か操作すると反応(動きとか音とか)があるものの方が良さそうだった。



写真ではちょっと見にくいのだけど、オレンジ色の車みたいなおもちゃはボタンが4つ付いていて、押すとそれぞれ違う曲が流れプーさんやティガーの首が動くもの。
(バンビはこれが好きで、いまでもたまにボタンを押しては楽しんでます。)

日々いろんな刺激を与えていたからか、バンビはあらゆるものに興味深々でとにかく好奇心が強い。その好奇心ゆえに、見たい・触りたい、自分の身体を動かしたいという意欲も満々だった。
それがやがて移動すること-ずり這い(匍匐前進みたいなハイハイ)につながっていったんじゃないかと思う。
バンビ1才3ヶ月の夏のことでした。(この続きはまた改めて書こうと思います。)
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生い立ち②-3ヶ月から1才まで

2006年05月11日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)
 
※1才前-この3年で最も太っていた頃のバンビ (明らかにミルク飲ませすぎ?)
 動くようになってから多少人相変わりました。

~ミルクとの格闘の日々~

NICUでは1日のミルクの量を150~160ml×体重(kg)という計算で出していて、これを6~8回に分けて飲ませるようにと言われていた。
※これはバンビの心臓(穴が開いている)への負担も考えてのことだから、他のお子さんの参考にはならないかもしれない。

というわけで、バンビの場合80mlを1日8回、つまり3時間おきに飲ませることになった。
(たぶん、他のお子さんは1回の授乳量がもっと多くて回数が少ないと思う。)
授乳1回に準備や片付けも含めて結構時間がかかる。1日中ミルクのことに追われているような気がして、精神的に辛かった。

バンビは1日のほとんどを泣かず、動かず、ただ寝ているだけ。
想像していた”赤ちゃんのいる暮らし”とはほど遠く、どこへも行けず、話し相手もオットだけという生活に煮詰まりそうだった。
この年は梅雨明けが長引き、しかも残暑が厳しく、そういう天候不順の影響もあったかも。

で、夜中の授乳をやめてしまった。(ひどい親かも~?)
ミルクをほしがって夜泣きするということがあるわけでもなく(それは楽で良かったけど)、熟睡していて口では飲めないし、寝ているのにチューブで胃にミルクを流し込むことにも抵抗があった。
それで、様子を見ながら1回の授乳量をその分増やしていって、総量が変わらないようにした。

乳首はいろいろなメーカーのものを買って、自分で穴を大きくしたり、カッターで切ったりして試す。
PWSのコにはヌークがいいという話を聞くけど、バンビは口の形状に合わないのかダメで、ピジョンのクロスカットの穴を大きくしたのを使っていた。

★3ヶ月を過ぎてから

1回の授乳を全部口で飲めることも多くなって楽になってきた。
自分の手を見たり、なめたりして遊ぶようになる。
あやすと声を出すようになる。

★4ヶ月

ミルクの飲みが悪くなり、チューブに頼る日々が続く。

★5ヶ月

バンビは離乳食を始め、私は断乳することに。
お米のおかゆは好きではないらしく、パンがゆ・オートミールの方がよく食べた。
よく声を出すようになってきた。

★6ヶ月

歯がはえ始める。
相変わらずよく寝ていて、1日20時間くらい寝ていたかも。

★7ヶ月

風邪をひいて下痢が長く続いた。
引越しをすることになり、バタバタして育児メモも付けなくなってしまったので、以下記憶がちょっと曖昧。

★8ヶ月

体重はまだ問題ないが、顔や手がプクプクになってしまい、経管哺乳を止めることにする。
うつぶせはキライでさせると泣くけど、横向きにさせると頭をそらして、自分で仰向けに戻れるようになる。

★9ヶ月

離乳食は1日2回だが、あまり進まない。ミルクは口だけだと1日600mlがやっと。
手を叩いたり、メリーを引っ張って遊ぶことができるようになる。
首がしっかりしてきて、抱っこすると自分で抱きつこうとするようになり楽になる。

★10ヶ月

寝返りするようになる。初めてOT(作業療法)を受ける。(毎月1回)

★11ヶ月

支えてやるとお座りができるようになる。

★12ヶ月

支えなくても何とか座っていられるようになる。(まだたまにひっくり返ったり、つぶれたりして不安定ながら。)
幼児グループ(民間の療育施設)に週2回通い始める。

※お座りについて

お座りは無理にさせない方がいいというか、させると良くないらしい。
PWSのコは筋力が弱いので、自分の力で座れるようになるまで、椅子にずっと座らせるようなことはしない方がいいと私も思う。
だけど、たまーにお座りの練習をするぐらいは悪いことではないのでは?と思う。
本人の視点が上がるので、そこからまっすぐモノを見て得られる刺激は、寝たまま見るのとは情報量が違う。
親と向き合ってコミュニケーションできたりとか、プラス面もあるはず。
まぁ素人考えですが...。(取りあえずうちはそれで問題なかったんだけど。)
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生い立ち①-NICU退院まで

2006年05月01日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)
【出産前】エコーでも性別が判明せず(後から考えると停留睾丸のため)
     胎動が弱い、予定日を過ぎても産道に降りてくる気配ナシ

【出産】40週6日目 帝王切開にて出産 (母は陣痛未体験)
    体重2594g、身長49cm
    バンビは一瞬産声を上げて、片目を開けて母を見てくれました。

【入院】低筋緊張で吸啜反応もない(ミルクを自分で飲めない)ため
    NICU(新生児集中治療室)に入院
    保育器内で経管哺乳を行う(20ml 母乳とミルク混合)
    外性器の発達が未熟(停留睾丸)
    超音波検査・レントゲン検査により、「心室中核欠損症」判明

    肌の色は白いけど、髪はふさふさで黒々としていた。
    全身力なくだらんとしていて、何故か手のひらを肩の上に乗せて
    いることが多かった。

【出産翌日】プラダー・ウィリー症候群の疑いありということで、染色体
      検査(FISH)を実施。
      泣かない、動かない、ひたすら寝ているだけのバンビ。

【5日目】はじめて抱っこする。嬉しくて涙が止まらなかった。

【11日目】母は退院。搾乳して冷凍したものを持ってNICUに通う日々が始まる。

【21日目】検査の結果、15番染色体の欠失は認められず。別の染色体検査(メチレーションPCR)を実施する。

【27日目】口からの哺乳に初挑戦。60ml中5mlを口から飲む。
      (バンビは心臓に穴が開いているため、その負担を考えてミルクは少なめ)

【1ヶ月】染色体検査の結果、プラダー・ウィリー症候群と判明。
     親の会(竹の子の会)に連絡を取る。

     この頃バンビは結構動くようになってきて
     (夜型らしいので実際にあまり見たことはなかったけど)
     モニタのケーブルを引っ張って取ったり、足をバタバタさせたり
     していたらしい。
     けれど親の私にしてみれば、この時期がやっぱりいちばん辛く苦しかった。

【1ヶ月半】保育器を出て、コットに移動。入浴練習、タッチケアも開始。

【2ヶ月】退院に向けて、経管哺乳の練習も開始。

     鼻からチューブを挿入し、聴診器を当て注射器で空気を入れる。
     胃泡音が聞ければOK。
     バンビがすごくイヤがるので、ほぼ毎回悪戦苦闘。(やり方が悪かった?)
     そのトラウマか、今でも鼻掃除は必死でイヤがります。

     退院予定直前で発熱(突発性発疹)し保育器に逆戻り。

【2ヶ月半】ついに退院! 体重4360g、身長58cm
      ミルクの量 80ml×8回/日


☆当時の母は・・・

とにかく毎日会いに行き、抱っこしてタッチして、話しかけ歌を歌って聞かせ
(近くの看護婦さんに聞かれたかと思うと恥ずかしいが)
普通の親子のふれあいをしたい、してやりたい。そう思ってがんばっていた。

☆搾乳について

最初は手動の搾乳機を使ってみたが手が痛くなるばかりでうまくいかず
メデラ社の電動搾乳機をレンタルした。(気分はホルスタイン♪)

☆経管哺乳について

ミルクは入院中はシリンジの大きいのに入れてたけど、家では点滴のボトルみたいなのを使用。
退院の際に病院に紹介してもらって、マーゲンチューブ他器具を個人で購入。
胃泡音用のシリンジ(注射器)は病院から譲ってもらい、聴診器も貸してもらった。
経管哺乳をやめた時、余ったチューブ類は病院に寄付した。

☆写真

NICUには未開封のインスタントカメラしか持ち込めなかったし、最初バンビは保育器に入っていたので思うような写真が撮れず、それがとても心残り。    
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桜の季節に

2006年04月08日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)

バンビがまだおなかの中にいる時、私は「ベビちゃん」と名前を付けて呼んでいた。
産院への行き帰りにいつも通る桜並木を見上げては、”つぼみが膨らんできたよ”とか
”やっと咲いたよ、綺麗だね”とか、ベビに話しかけていた。
毎年散る花を惜しむ気持ちがあったけど、その年だけは”葉桜の頃会えるんだね”って
毎日ほんとに心待ちにしていた。

あの頃はまさかベビに障害があるなんて思いもしなかったし、その後の(今みたいな)生活も想像すらしてなかった。

あれから3年。あっという間に流れた時間。
桜が咲く頃になると今だって心浮き立つ気持ちになるけど、でもベビと会話してた頃のことを思い出して鼻の奥がツンとしてくる。
きっと毎年桜の季節になると、あの時の自分を懐かしく思い出すことになるんだろう。

そんなわけで、桜は私にとって大好きだけどちょっとせつない花になりました。

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バンビについて

2006年04月06日 | バンビの生い立ち(ブログ公開まで)

バンビ自身についての紹介です。

2003年4月生まれ。男の子。帝王切開にて出産。
低筋緊張、吸てつ反応ナシ、停留睾丸、小顎が認められNICUに入院。
心室中核欠損症の合併症が判明。(心臓に小さな穴が開いてます。)

生後2日目にプラダー・ウィリー症候群の疑い有りということで検査。
欠失型ではなく、UPD(片親性ダイソミー)であることが1ヶ月後に確定。
生後3ヶ月弱で退院。

以下 既に記憶がちょっと曖昧だけど、発達の記録。
 首すわり:9ヶ月頃、寝返り:10ヶ月頃、お座り:12ヶ月
 ハイハイ:1才3ヶ月、つかまり立ち:1才5ヶ月、つたい歩き:1才7ヶ月
 独歩:2才1ヶ月

現在は、階段昇降に挑戦中。低い段ならつかまらずに何とかというところ。
運動面の発達は、PWSとしては少し早い方かも。

言葉はこちらの言うことには大体理解して反応するが、本人の発語には至らず。
しきりに何かしゃべっているけど、喃語の域を出ない。

身長は現在約90cm。健常児より少し小さめ程度。(たぶん-0.5SDくらい)
※SDスコアについては、こちらのホームページをご参照 
成長ホルモンは規定範囲外なので、使ってません。
体重は11.8kgなので、こちらも普通の少し痩せ寄りというカンジ?
過食はまだ始まってない模様。

写真は退院直後のもの。生まれた時から髪がふさふさ。(てか、ぼーぼー?)
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