遠足のバスの中でのこと。
1人の男の子がかなりなハイテンションで、ずーっとしゃべりまくり。
声が大きいのと、発音が不明瞭なので相当耳につく と言うか
はっきり言って うるさかったのだけど、親は何も注意せず。
バスガイドさんが説明してくれてるんですけどね...。聞こえやしない。
水上バスでは、最初はもの珍しさと特別おやつタイムでおとなしかった子ども達も
やがて飽きて騒いだり、走り回ったりし始める。
他のお客さんで、席を移った人もいるくらい目に余り
先生が何度か同じ子を注意してるのに、その子の親は携帯見てたりして...。
帰りのバスで さすがに先生が
「親がいても並べない、静かにできない子達を 普段並ばせよう、静かにさせようと
私達はいかに大変なことをしているか...。」
と 愚痴とも嫌味ともつかないことを言っていた。
そんな言い方しなくても、もっと直接はっきり親にダメ出ししちゃえばいいのに と思うんだけど
やっぱりいまどきは そうもいかないらしく
翌日の手紙にも”いろんな考えの家庭がありますが”と前置き付きで
「子どもを自由にさせすぎてはいけません。」と書いてあった。
子どもの指導だけでなく、親までとは 先生もご苦労なことだなー。
バンビが運転免許試験の順番待ちをしてた時
同じクラスの子も一緒にいて、ベンチに寝転んだり、ふざけたりしているのを
近くに座っていた高学年の男子達が 侮蔑と好奇心の混じった目でじーっと見ていたのを
その子の母親は知らない。
どっか行っちゃってたから。(買い物らしいけど)
こちらがルールを守れなければ、”何なの、この子?”という目で見られても
それは仕方ない と私は思う。
船の中でも私達の団体をイヤなものを見るような目で見ていた人達がいることを
子どもが意識できないのは、つまり親が意識できてないから。
そりゃ確かにキッザニアで親も相当疲れたよ。
でも、子どもが飽きてきてることは子どもを見てればわかるし
会話をするとか 一緒に着いて船を見学するとか
工夫すれば周りに迷惑をかけずに過ごすことはできたはず。
子どもがふらふらしててもまるで気づかないかのようにしている人が
一人二人じゃなかったことに すごい驚き。
おおらかというよりは無関心すぎるでしょ。
しつけは叱ることだけではなく、誉めることも大事。
誉めるのも叱るのも子どもをちゃんと見てないとできない。
私は バンビが障害児であるというそのことだけで他人に侮られるのはイヤなんだよね。
「障害」は 本人にとって生きにくいハンディキャップだけど
それ自体は「害」でも「悪」でもない。
それなのに他人に「悪」と見なされるのは許しがたい。
だからこそ、他人に侮られないように 守らなきゃいけないルールで
守れるはずのルールなら きちんと守れる子にしたい。
”障害児だから仕方ない”っていう言い訳は親が言わない方がいいと思う。
障害の特性で意識せず奇声を発したりしちゃうのは、そりゃ仕方ないけど
しつけができてなくて騒いでるのは 放置している親が悪い。
それは健常児でも障害児でも同じ。
どんなに教えても、しつけても障害故にできないことは確かにあると思う。
自閉症や多動の子に じっとしてろと言うのが難しいことは知ってる。
それでも問われるのは親の姿勢なんじゃないかと思う。
障害だから無理って、あるいは無関心で放棄していれば、親が悪い ってなるけど
でも、障害児だけど何とか静かにさせよう、周りに迷惑かけないようにしよう って
親が頑張っていれば(ただ必死になるんじゃなくて、そのやり方が適切であれば)
同じように親が悪いとはならないように思うから。
「ちゃんとできるなら、支援級になんかいないわよ。」っていうことを言い放つ親が
子どもをダメにしている気がしてならない。
何か ずーっとモヤモヤしている出来事だったので、ちょっと毒を吐いてみたけど
やっぱりすっきりしないなぁ...。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp
1人の男の子がかなりなハイテンションで、ずーっとしゃべりまくり。
声が大きいのと、発音が不明瞭なので相当耳につく と言うか
はっきり言って うるさかったのだけど、親は何も注意せず。
バスガイドさんが説明してくれてるんですけどね...。聞こえやしない。
水上バスでは、最初はもの珍しさと特別おやつタイムでおとなしかった子ども達も
やがて飽きて騒いだり、走り回ったりし始める。
他のお客さんで、席を移った人もいるくらい目に余り
先生が何度か同じ子を注意してるのに、その子の親は携帯見てたりして...。
帰りのバスで さすがに先生が
「親がいても並べない、静かにできない子達を 普段並ばせよう、静かにさせようと
私達はいかに大変なことをしているか...。」
と 愚痴とも嫌味ともつかないことを言っていた。
そんな言い方しなくても、もっと直接はっきり親にダメ出ししちゃえばいいのに と思うんだけど
やっぱりいまどきは そうもいかないらしく
翌日の手紙にも”いろんな考えの家庭がありますが”と前置き付きで
「子どもを自由にさせすぎてはいけません。」と書いてあった。
子どもの指導だけでなく、親までとは 先生もご苦労なことだなー。
バンビが運転免許試験の順番待ちをしてた時
同じクラスの子も一緒にいて、ベンチに寝転んだり、ふざけたりしているのを
近くに座っていた高学年の男子達が 侮蔑と好奇心の混じった目でじーっと見ていたのを
その子の母親は知らない。
どっか行っちゃってたから。(買い物らしいけど)
こちらがルールを守れなければ、”何なの、この子?”という目で見られても
それは仕方ない と私は思う。
船の中でも私達の団体をイヤなものを見るような目で見ていた人達がいることを
子どもが意識できないのは、つまり親が意識できてないから。
そりゃ確かにキッザニアで親も相当疲れたよ。
でも、子どもが飽きてきてることは子どもを見てればわかるし
会話をするとか 一緒に着いて船を見学するとか
工夫すれば周りに迷惑をかけずに過ごすことはできたはず。
子どもがふらふらしててもまるで気づかないかのようにしている人が
一人二人じゃなかったことに すごい驚き。
おおらかというよりは無関心すぎるでしょ。
しつけは叱ることだけではなく、誉めることも大事。
誉めるのも叱るのも子どもをちゃんと見てないとできない。
私は バンビが障害児であるというそのことだけで他人に侮られるのはイヤなんだよね。
「障害」は 本人にとって生きにくいハンディキャップだけど
それ自体は「害」でも「悪」でもない。
それなのに他人に「悪」と見なされるのは許しがたい。
だからこそ、他人に侮られないように 守らなきゃいけないルールで
守れるはずのルールなら きちんと守れる子にしたい。
”障害児だから仕方ない”っていう言い訳は親が言わない方がいいと思う。
障害の特性で意識せず奇声を発したりしちゃうのは、そりゃ仕方ないけど
しつけができてなくて騒いでるのは 放置している親が悪い。
それは健常児でも障害児でも同じ。
どんなに教えても、しつけても障害故にできないことは確かにあると思う。
自閉症や多動の子に じっとしてろと言うのが難しいことは知ってる。
それでも問われるのは親の姿勢なんじゃないかと思う。
障害だから無理って、あるいは無関心で放棄していれば、親が悪い ってなるけど
でも、障害児だけど何とか静かにさせよう、周りに迷惑かけないようにしよう って
親が頑張っていれば(ただ必死になるんじゃなくて、そのやり方が適切であれば)
同じように親が悪いとはならないように思うから。
「ちゃんとできるなら、支援級になんかいないわよ。」っていうことを言い放つ親が
子どもをダメにしている気がしてならない。
何か ずーっとモヤモヤしている出来事だったので、ちょっと毒を吐いてみたけど
やっぱりすっきりしないなぁ...。
メールはこちらまで → bambi-suzu@mail.goo.ne.jp