バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

現在の課題

2024年02月17日 | 問題行動
バンビは 高等部卒業後、福祉型カレッジに通所することになり
2年間の自立訓練事業を経て
4月からはいよいよ 就労移行支援事業(2年)へと移行する。

そんな成人後のバンビについての 現在の課題はー
これが「食」ではないんだよね。

もちろん、食べたい気持ちはあるから 
油断すると ちょっと買い食いしてたりとかはあるんだけど…
まぁ なんとか許容できる範囲 というか
本人としても ”(太って)入院はしたくない”という強い気持ちがあるので
それが抑止力になっているようには感じられる。

なので、何度も書いているけど 「メンタル」「心の安定」
これが最大の課題。


あと、生活の中で 困っているのが
1つは 咀嚼音を立てること。
食事の時、くちゃくちゃ音がするのが どうにも改善できない。

これは唇とか舌、あるいは口回りの筋肉が弱く
使い方(動かし方)がなってないせい なんだよね。

小さい頃 言葉の表出が遅かったから
STに通って口腔機能訓練はしてきたんだけど
しゃべれるようにはなったけど、この問題は解決できなかった…

「お口”むー”して食べるよ」って ずっと(いまでも)声掛けしてきて
その時は自分でもはっとするのか意識するんだけど
すぐまた元に戻って、くっちゃくっちゃ、ペッタペッタ というカンジ…

将来グループホームとかで他人と生活するようになったら
絶対嫌がられるだろうし、トラブルにならないといいんだけど…


そしてもう1つが 仕度に時間がかかること
これも小さい頃から今に至るまでずっと悩まされ続けている。

いろんな要因があるんだよね。
まず 認知の問題。

例えば、はい 体育の時間終わり、着替えて となった時
周りの子はすぐ着替えに行動が移せるんだけど
バンビは 他の子が着替え始めてからやっと着替えに向けて動き出す
というカンジ。

耳からの理解が覚束ないところがあるせいか
周りを見て初めてやるべきことがインプットされるのかなぁ…

あと 持ち物の多さ。
これも認知の問題が絡むんだろうけど
バンビは あれもこれも持って歩きたい人 なんだよね。
まぁ、私自身もそういう傾向があるから あまり言えないけど
必要 ”になりそうな可能性のある” ものを ひと通り持っていたいカンジ?

例えば 私は予備のマスク1枚が常にバッグに入っているけど
バンビは それが7,8枚
汚れたり、汗をかいたりして交換したくなるから と常に持ち歩いている。
(不経済極まりない)

当然、鞄がギュウギュウになり、物の出し入れがしにくい。
全部出して、また入れ直す みたいなことをよくしていて
荷物を広げまくるので スペースをたくさん使う。(非常識なレベルで)
これも課題。

そして、手先が不器用なので その出し入れもそうだけど
着替えそのものも 人より時間がかかりがち。
  
そんな風に 時間がかかるのに、時間の見通しが甘いから
家族で出かける という時も、いつもバンビの仕度待ちでイライラさせられる。
(もちろん、事前に声掛けはしているにも関わらず…)

まだね、仕度に時間かかるから 人より先に準備を始める とかなら
100歩譲って 待ってやろうって気にもなるけど
ギリギリまでグズグズしていて 何なの? ってことになるわけですよ。

家族はまだ仕方なく我慢もするけど(それだって限界あるけど)
これが 集団の中での行動となると 他人に迷惑をかける行為だからね…

小学校の時からずーっと指導され続けてきてるし
家でも視覚支援入れたり、収納を工夫したりしてるけど
なかなか治るもんでもなく 本当に悩みの種。


そして、最後に最近強く感じるのが
これまた認知の歪みから来るんだろうけど
”理解できてない” こと。

例えば、先日も カレッジで体育館でバスケをする時間があり
終わってからの片付け・着替えが遅くて 注意をされたことがあったらしい。

家に帰ってから 泣いているので話を聞くと
「そういうことではもうやらせないよ。自由時間もできないよ。」と言われた。
先生はひどい… と怒り泣き。

でも、支援員の方に確認すると もちろんそんな言い方をするわけもなく
最後の時間を指し示し、「支度ができるように最後の自由時間を短くしなくてはいけない(自分で早めに切り上げる等)、そのためにはどうすればよいか」という趣旨の声掛けをした という話。

そりゃ、そうだよね…

その時は バンビも笑顔で”早く着替えるようにしたい” と言っていたので
趣旨を理解してもらえたものと思っていた と…

もうね、こういうことがありがちで...

わかった風な言動をしてるから大丈夫かと思ったら
ぜんぜん理解できてなかったり、間違った解釈をしていたり
で、相手の言葉の1点を捉えて
(今回も 時間を短くして → やらせない に勝手に変換されてる) 
否定された、責められた と思い込み、他はすべてシャットアウト。

自分が悪いことは知っているのに
僕は悪くない、相手が悪い・酷い と
他責的・他罰的思考に陥ってしまうんだよね。

これが すーっごく厄介。

こういう状況に陥ったら
まずは もっとやりたかったの? とか 言われてイヤだったんだね とか
責めずに否定せずに 気持ちは受けとめてやりつつ
でも 先生が伝えたかったのはこういうことだよ というのを
冷静に、平易な言葉で、繰り返し伝え続ける。

耳から聞いても理解できないから 時には紙に絵を描いたり
話の流れを図解したりしながら 目からの理解を入れる。

こうやって気持ちが落ち着き、事態を客観的に受け止められるようになるまで
そりゃー 長い時間を要する。(ほんと疲れる…)

だから最初からこういう状況にならないように
話を持っていかないとならないんだけど
まぁ、いつもいつもこっちにそんな時間的あるいは心の余裕があるわけでもなく
支援してくださる方に それを常に要求もできない…

難しい、ほんと難しいのよ。
ただこれが プラダーウィリーだから っていうことなのかどうかはわからなくて
あくまで 現状のバンビの課題として書いてみたけど。

PWSでも みんながみんなこうじゃないかもしれない
でも大なり小なり そういう傾向があるような話は耳にする。
なんていうか 発達障害にも多いよね、こういう認知の歪み的なことって…
バンビは それに知的障害ゆえの理解不足が加わるからなぁ。

でも、こういうのって 解決 は無理として
それはそれでこの子の特性として受け入れてもらって生きていくしかないわけで
それには やっぱり「人」「信頼」これに尽きるのでは と思う。

バンビにとって 私は「味方」であり、いつでも・ずっと「信頼できる人」
であることが大切。
そして、周りの支援してくださる方にも そういう関係性を作ってもうらうこと
これが最重要。
だから そういう環境を探して、見つけて、選んでいく
何なら作り出す ことが
これからのバンビと私に課せられたお題 なんだろうな と心に強く思う。

特性を抱え、困り・悩んでいるだけじゃあダメなのよ ね…

by suzu
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還暦を迎えて

2024年02月16日 | 日々の出来事
 私は37歳で結婚。超晩婚で
39歳でバンビを出産した。超高齢出産~

つまりバンビが成人したということは、私は還暦を迎えたわけです。

還暦って 昔なら子や孫に囲まれ赤いちゃんちゃんこ着てお祝いされるイメージ?
まぁ、実際 友人には孫がいる人も何人もいるしね。

でも、先日 義姉夫婦と話していて
「自分達が若い頃は60代って
 もっとおじいちゃん・おばあちゃんだと思っていたけど
 いざ自分がなってみると 中身(心)はそんなに変わりがなくて
 ただ身体だけが少しずつ衰え 若い頃と同じようにはできなくなってきた」
という話になって

あぁ、みんなそうなんだな となんだか納得してしまった。

年齢を重ねるだけ経験値が上がり それによって分別もつくことが多くなっても
精神的には”老成”とは ほど遠く
心はいつまでも なんだか未熟なまま。

ただ、身体の方は 寄る年波には逆らえず
足腰が痛んだり、老眼になったり、なかなか疲れが抜けなかったり と
衰えを感じることも多くなるんだよね。

まぁ、人生100年時代といわれる現代においては
60歳なんてまだまだこれからなんだろうけど
「健康寿命」という言葉があるように
ただ長生きすればいいってもんでもないし
今のこの生活を維持しつつ老いていく っていうのはなかなか難しい。

私の父は 知識欲が強いというか 向学心が高いというか
私はそこをとても尊敬していたのだけど
それでも 母が亡くなってからは 
もう自宅に毎日来ていたヘルパーさんも来なくなり
外に出るのは 日々の買い物と通院くらい という生活になると
まず 人としゃべる という機会がとても減ってしまったみたいで...

晩年 私は最低月1回は会いに行くようにしていたけど
(今になってみれば もっと話す機会を増やしてあげられれば と
 後悔の気持ちも強いけど)
同じことを繰り返し話すことが 増えたし
弟によるとコンロに火を付けて忘れていたりも何度かあったりしたらしい。

”ピンピンコロリ”じゃないけど
ずっと元気にシニアライフを過ごして
その日が来たら周りに迷惑かけることなくお別れする って
よっぽど意識していかないと(意識していたとしても)難しいよね…


などと なんとなく老後とかお別れの時のこととかを意識するようになる
還暦の私です。

女の50代・60代と言えば 
子育てについては もうそろそろ卒業だけど
ただ そこに親の介護とか、自分自身の体調とかが加わってくるので
なかなか ハードモードよね。

うちは オットも私も二親亡くして 介護はもうないのだけど
バンビみたいに障害のある子の子育てには ある意味終わりがないからなー。

子どもが成人しても その生活を維持するのは親がかり。
自分で考えたり、自分で準備したりするのは難しいもんね…

まぁ、子どもが健常であっても 
例えば就職とか結婚とか独立とかの課題はあるわけで
”息子がいい年して結婚の気配もない” みたいなことで悩んでいる知人もいたりする。

何に悩むかは人それぞれ なんだよなぁ…

20年前、バンビに障害があるってわかって どん底に落ちていた私に
かけてもらった友人知人の言葉で いちばん心に響いたのは
「一生、病気に無縁の人は たぶんいないよ」っていうのだったな。

健常で生まれ育っても 人間いつどんな病気やケガするかなんてわからないのよね。

最近ショックを受けたのが
昔の先輩で 若かりし頃よく飲んだり、一緒にスキーを楽しんでいた仲間が
60代前半でがんになって お酒禁止等制限の多い生活をしていること。

海外生活をしていたり すごく華やかだったから
ちょっとうらやましく思うところもあったけど
そんな人が… と思ったら なんかつらい。 
(まぁ、私自身もがんサバイバーだけど)

自分と他人と比較してうらやんだりするのは ほんと意味ないなと
改めて思ってしまった。

ぴあカフェとかで子育ての話をする時 よく言うんだけど
横軸(周り)と比べず、縦軸(時間軸)で比べる方がいいんだよね。

周りの子と比べたら、わが子にはできないことばかり と思ってつらくなるけど
1年前のわが子、5年前のわが子と比べたら…?
その子なりの成長が きっとあるはず。

私なんて バンビが私のことを「ママ」って呼べるか
この子と手をつないで歩ける日がくるか って
そんなことを思って 泣いていたんだもん。

そこから考えたら今の生活は嘘みたいにありがたい、ほんと御の字だよね。

だから、これからの人生 自分は自分。他人と比べない。
バンビや私に関わってくれる人、支えてくれる人に 日々感謝。

バンビのこと、親なきあとのことについては まだまだ課題山盛りなれど
身体を労わり、心を豊かに、生活にも潤いを持ちながら
自分の残りの人生を 楽しんで生活していきたい。

というわけで、皆さん 今後もどうぞよろしくお願いします。

by suzu 
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