バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

就労への道⑪ 企業実習まさかの顛末(続き)

2021年06月21日 | 社会的自立に向けて
「大変申し上げにくいのですが
 バンビくん、今日で実習終わりになりました... 」

先方から電話があり
「挨拶や返事をせず、仕事に対する意欲が見られない。
 作業内容も苦戦しているようだし、本人にもかなりプレッシャーがあるよう。
 お互いのためにならないので 今週で実習を打ち切りにしたい。」と
言われたそうだ...

バンビには吃音があって言葉が出にくいことは事前に伝えていた。
バンビの吃音には波があって、このブログにも散々書いているけど
小さい頃から行事の前には 特にひどくなる傾向がある。
今回も実習が決まった辺りから、緊張とプレッシャーでそれが酷くなっていて
学校でも口数が少なくなっていたり、家でも返事をしなかったりしていたんだよね。

完璧にやりたいけどできないことが多すぎて、無駄にプライドが高くて という
PWSの特性丸出し状態。
力が入ってしまい言葉が出にくくなると、恥ずかしくて余計大きな声が出せなくなる
というカンジだったのかなぁ...

200個以上に区切られた小さなスペースに
ピンセットでこれまた細かい種をつまんで真ん中に置いていく 
という作業の繰り返しは、手先の不器用なバンビには苦手だっただろう。
うまくできないことに一生懸命になれないんだよねぇ...

そんなこんなで 意欲が見られない、働く基本ができてない
という評価になってしまったのは とても残念なことだけど...

実習の受け入れが決まった時、採用に繋がらないことも往々にしてある
ということは承知していたけど
見込みがないと判断されたら途中で打ち切りになるとは思ってなかったから
とても驚いた。

バンビは 納得いってなかったのだろう。
帰路の途中で電話をかけてきて
「どうして来週から学校に行くの? 僕、何か悪いことした?」という言葉に
胸に刺さるものがあった。

とにかく帰ってから話そうね と言ったものの
無事帰ってくるまでは心配で
それに帰って来た時、私はバンビと冷静に話ができるか
ちょっと自分に自信もなかった。

本人曰く 会社の方からは
「今週で実習は終わりになります。月曜日からは学校に行ってください。」
としか言われなかったのだそうだ。

実習日誌のコメント欄にも
それと「挨拶・返事等基本的なことを身に着けるよう頑張ってください。」
としか書かれていなかった... うーん...

見込みがない者に時間も手間もかけてられない ってことなんだろうことはわかる。
そこは企業だからドライであっても仕方ないことなんだろう。
ただ2週間の予定を1週間で打ち切るなら もう少し何か説明とかあってもいいのでは
と思うのは親のエゴなんだろうか...

バンビは「もう〇〇ファームには行けないの? どうしてダメなの?」を
ずっと繰り返していた。
その日の午後は 野菜の収穫をさせてもらって
やっと楽しさや意欲を感じ始めてきたところだっただけに悔しかったのだろう。

もう夕飯の時間をとっくに回っていたけど
2人で堂々巡りの会話をして、一緒に泣いて... 結局2時間以上かかった。

私からは 
・挨拶・返事がはっきりとできなかったので
 やる気がないと思われてしまった。
・種置きがうまくできない日が続いて
 〇〇ファームの仕事には向いてないと判断された。
・失格になってしまったので、予定とは違うけれど
 来週はもう〇〇ファームには通えなくなった。
・バンビはバンビなりによく頑張ったと思う。
 特に遠い〇〇まで1人で1週間通えたのは偉かった。
・〇〇ファームはバンビには合わなかったということ。
 会社はそこだけではないので、別のところを探していこう。
 今回の経験を次に活かせるようにまた頑張ろう。
 特に挨拶・返事は大きな声でしよう。
ということは伝えた。

週末は 気分転換に努めていたんだけど
バンビは「〇〇は僕には合わなかったんだね。また他の会社探してね。」と
いうまでには回復したらしい。
元々スーパーポジティブだけど(そうなるように育てたきらいもあるけど)
驚異のレジリエンス!(てか能天気なキャラ)
まぁ、いつまでもクヨクヨされても困るけどね。


そんなわけで第1期の外部実習は失敗、夢破れてしまい
私も自分で探して来た会社だっただけに かなりショックではある。
でも凹んでいても仕方ない。
親がフォローしてやれるうちの失敗は悪いことではないと私は思っている。
この経験を次に活かせればいいんだもんね。

今後のことは改めて先生とも相談して考えるけど
就労移行支援の事業所を選ぶ方向になると思う。

私も自分が病気したりしてるから
早くバンビの将来にそれなりの目途を付けてやりたいと思う気持ちがあって
まずは就労を決めて、何年かして落ち着いたらグループホームを探して
と焦っていた面もあるのは否めない。

でも、バンビは就労に至るまでに
もう少しいろいろな経験を積んだ方がいいってことなんだろう。
焦らずじっくり行こう。
そんな風に気持ちを切り替えることができて、私も腹が座ったので
今回の経験も無駄じゃなかった。

〇〇ファームには1週間お世話になったから 感謝はしている。
でも、実習中ただの1つも前向きな言葉をコメントに書いてもらえなかった。
いくら出来の悪い子でも 何かしら良いところに目を向けてもらえたら
ありがたかったんだけどね。
そういう会社とご縁がなかったってことなんだな 今はそう思っている。

頑張ったね、バンビ。1週間お疲れ様でした。



就労への道⑩ 企業実習まさかの顛末

2021年06月21日 | 社会的自立に向けて
3年生になって、第1期の実習の時期を迎えるに辺り
進路担当の先生から言われたのは
「オフィスワークの実習の募集はあります。
 但し、バンビ君がそこで実習しても
 正直言って採用の見込みはかなり望み薄です。」ということ。

バンビは実習班で”オフィスワーク”を選択し
本人的にはコピーとかシュレッターとかの業務を
それなりに楽しんでやってるらしいのだけど...

一般的に オフィスワークでの求人って
大体パソコンくらいはできて 例えば名刺作成をしたりとか
郵便室の業務なんかを担う つまり漢字の読み書きくらいはできてないと難しい。
本来 知的には軽度の子達が多く属する班なのだろう。
バンビは両方苦手だし
普段の授業も何とか着いていっているというカンジではあったんだよね。

でも採用に繋がらないとわかっていて
この時期実習だけさせるのもどうかと思ったので
その実習はお断りした。

そこで福祉就労に切り替えても良かったのだけど
私にもまだ未練と言うか、いろいろ迷う気持ちがあったりして...
で、自分でハローワークの求人で探した企業の求人票を先生に見せて
もし可能ならここで実習させてもらうことはできないか? と相談したら
先方に確認してみる ということになった。

これが就業技術科だと 就労はすべて先生にお任せで
保護者が口出す余地もなかったりする学校もあるみたいだけど
バンビの学校は 特に問題ないみたい。

そこは親会社は誰でも名前くらいは知ってる会社で
その100%子会社(特例子会社ではなく普通の子会社)が
何故か千葉県で本業とはぜんぜん関係ない農業をやっているんだよね。

私は 以前からバンビには農業がいいんじゃないかな と思っていたので
ギリギリ通える範囲だし
非正規雇用だけど 最低賃金の時給はもらえるし
これはいいんじゃないか と思ったわけで。

でも最初は 今年できたばかりの会社でまだ実習を受け入れる余裕がないから
と断られてちょっとガッカリしていたら
急に やっぱりどうぞ という話になって
そこからは実習に向けてGO! という日々が始まった。

私は 下見にも行って、バンビと一緒に通勤練習も2回して
先生と3人で事前面接にも行った。

そこの会社はいまどきよくある障害者雇用率を稼ぐための
サテライトファームではなく
ビニールハウスもあるけど、地植えの野菜や果物もあって
暑さ・寒さに弱いバンビには大変かもしれないけど
見晴らしもいいし、野菜という成果物が目に見えるのは嬉しいだろうな と。
何より 身体を動かす仕事はPWSには合ってるんじゃないかと思えた。

通勤には バスと電車を乗り継いで1時間以上を要したから
それもちょっと心配ではあったけど、それぞれ乗るのは20分ずつくらいで
下り方面だから 混雑もなく座れるし
バンビにとっては それ程苦ではなかったみたい。

そうやって長靴やら軍手やらも用意して 2週間の実習が始まった。

一般的に 初日と最終日に先生と保護者も同行するパターンが多いのだけど
先方の都合で 初日は担任の先生のみの同行となった。

その日は朝から結構な雨で
作業着やら長靴やらに弁当・水筒等の大荷物を持って出発。
何だか心配で 私は家で何をするにも集中できなかった...。

帰ってきて読んだ実習日誌のコメントには
「挨拶ができませんでした。
 種置きの仕事は難しいようなので午後は業務から訓練に切り替えました。」
と書かれていた。

なんかイヤな予感...

さらにバンビが「明日は休み」と言い出したから また大騒ぎ。
先生に確認しても聞いてないという話だし、日報のどこにも書いてない。
よくよく聞いたら 職員さんに言われたのではなく
一緒に実習している人(他の学校の生徒)がそう言っていた という話。
さらに先生と話を重ねて 調度火曜日が千葉県民の日だということが判明。
千葉県の子は学校が休みだから実習も休み ってことだった。
バンビの認知というか理解力の不完全さがこういうところに現れる...

実習は10~17時だけど 遅れないように8時過ぎに出発して
帰りは 18時半を過ぎるので
お風呂入って、夕飯食べて寝る という状態の毎日。

2日目、3日目と日誌には
「挨拶・返事ができていません。
 種置きが難しいようです。立ち鎌の扱いに苦労しています。」と
そんなことばかり書かれていて
その都度 バンビには注意したり、励ましたり...
それでも心配していた 通勤時の寝過ごしはなく
毎日張り切って出ていく姿に
頑張ってるなぁ と胸熱な日々が続いていった。

そして、やっと1週間が終わるという 金曜日の夕方
バンビがまだ帰宅する前に 担任の先生から電話があった。
「大変申し上げにくいのですが
 バンビくん、今日で実習終わりになりました... 」

(長くなるので、次に続く。)

障害支援区分が認定されました

2021年06月05日 | 福祉・医療・療育関係
18歳になるともう1つやることが、障害支援区分認定。

その人の特性に応じて必要とされる標準的な支援の度合いを総合的に示す区分として、厚労省が定めたもので
区分1~6まであって(認定外となる場合もあるみたいだけど)
6の方がより支援を必要としている(つまりは障害が重い)ということになる。

これが愛の手帳(療育手帳)の度数とはまったく関連なく
本来は一次審査・二次審査があって
一次審査では認定調査員による訪問審査があるはずなんだけど
この新型コロナ禍で、保護者つまり私が区役所の福祉窓口の担当者からのヒアリングを受けるだけでOK
ということになっていた。
これがまた現在のバンビの状況をあれこれ聞かれて
子どもの状況を整理して把握しておかないとダメだなぁ と思った次第。

で、その後医師の意見書なんかももらって
(個人でお願いするのではなく、役所経由で)
二次審査として 区の審査会で審査され
その結果が申請者に通知されるという流れ。

この認定を受けないと障害福祉サービスが受けられないし
認定を受けたからと言って、区分によっては受けられないサービスも出てくるというわけ。
詳しくはこちらを参照 → 障害福祉サービスの内容(厚生労働省)

うちは 一次審査が3月上旬で、今週やっと通知が来たから
3ヶ月弱かかったことになるな。

結果 バンビは区分3でした。まったくの中度。

区分3だと 例えば卒業後 生活介護施設の利用は可能。
でも施設入所支援は 区分4からになるので(年齢で変わるみたいだけど)
親から離れた住まいを探すなら グループホームということになるわけね。

まぁ、3年ごとに更新されるようなので これはあくまで現時点での話。

ただ、これはあくまで障害福祉サービスを利用するために必要となる区分
なので 例えば愛の手帳や精神手帳を取得していても
これまで福祉サービスを利用していない人には
障害区分認定の案内は来ないみたいで驚いた。

バンビは 移動支援と放課後等デイサービスと
短期入所の受給者証を取っていたので
それの支給決定のために 障害支援区分認定が必要になったってことなんだね。

この辺り 福祉は複雑な気がするけど
高齢者の介護給付と同じで 要支援とか要介護の認定区分によって
デイサービスが利用できたり、施設に入れたりするもんね。

ランク付けされるのってあんまり気分のいいものではないけど
要は その人の特性や状況に応じて必要とされる支援の内容や支給量を公平にするためには
チェック項目を設けて点数化し、ランク分けするしかないってことなんだろう。


これとは別に 重度知的障害者判定というのもあって
これまた愛の手帳の区分とも関係なく
障害者雇用率の算定のために
重度だと人数がWカウントになるので
(重度知的障害者1人雇用すれば 2人分に計算される)
障害者職業センターというところで判定を受ける というのが
秋以降あるはず。(たぶん一般就労する生徒だけなんだろうけど)

なんか そういうのもね。
障害者個人じゃなく、頭数で見られてるようなカンジで
抵抗感はあるんだけど...

まぁ、世の中の仕組みに抗えなくて
淡々と受け入れていくしかないのかな とちょっとモヤる日々。

ほんといろいろあって 忙しい。
しかも誰もそういうのをきちんと教えてくれる人がいないのがまたつらい。
知らない人は知らないまま
遅れをとっても誰も手を差し伸べてくれない
日本の福祉はそういう仕組みなのよね。
だからこそ アンテナを張って、情報を仕入れることは
子どもを守るため 親にできることの1つなのかもしれないな。