就学について立て続けに書いてますが...
知り合いの6年生の子が、紆余曲折の末 A校の支援学級に決まったんだけど
区の学務課に「定員の関係で入学できる人数が少ないので、学区外だと無理。」と言われて
でも、どーしても入れたいから学区に引っ越すことにした と、ママから聞いてビックリ。
まぁ、そこに至るまで小学校入学の時点からいろんな経緯があることは知ってたし
それに、前から思い込んだら一筋なところのあるママだとは感じてたけど
そこまでするんだー って。
もっとも 昔から”孟母三遷”っていうくらいで(また故事成語かい)
中国の孟子のお母さんは、息子により良い環境を求めて三度引っ越した って話なんだけど
親が子どもに良い環境を与えたい っていうのは誰でも思うことで
だから それ自体はわかるし、いいと思う。
でも気になったのは そのママが
「B校は暗くて(物理的に明るくないって意味)うちの子苦手だし、トイレも和式じゃできないし
乱暴な子がいるからそれもイヤだったし...」って、まぁ他にもいくつかそういう言い方をしていたこと。
それに比べてA校はいい ってことなんだろうけどね。
別にね、うちはバンビをB校に行かせられたらと思ってるのに否定されたから不快 ってことじゃなく
(感じ方・もののとらえ方は人それぞれだと思ってるから そこは気にしてないし)
何だろう?
子どもの苦手なこと、嫌いなことを ことごとく排除しようとしていく姿勢に疑問を覚える というか...。
難しいとこなんだけどね。
そうしてやりたい親心もわかるし。
でもさー、いつまでも親がそうやって環境整えてあげられるわけじゃないじゃない?
普通に考えたら、いつかは親から離れて生きていく日が来るわけだから。
その時までに 苦手なことや嫌いなこと、つまりその子が生きていくのに支障になる課題を
少しでも減らしておいてやらないと、後で大変 ってなことになりそうな気がするんだけどなぁ。
どうなんだろ?
ってか、苦手なことや嫌いなことはしなくて済む生活を与え続けると
いざ それでもやらなくちゃいけないって時に、困るのは本人なのでは? と思うんだよね。
例えば、和式トイレじゃ用が足せない って、ほんとに切羽詰って和式しかないって時 どーするんだろう?
小さい時から練習させればできるようになると思うんだけどなー。
それって、障害の種類とか重さとかあんまり関係ないと思うけど。(身体的に無理な場合は別として)
おチビの時の粗相なんて何てことないけど、中学生で和式でできずにお漏らし ってヤバいでしょ。
まぁ、それは些末な例だけど、一時が万事そういうことで
人間生きてたら 苦手だろうが、嫌いだろうが、やりたくなかろうがやらなきゃならないことってあるわけで
それは障害者だって 同じなんじゃないかと思うんだけどね。
できないことでも繰り返してくうちにできるようになることもあるし
苦手なことに立ち向かうから克服できることもあるし
失敗の中から学んで、身についていくこともある。
大事なのは そうやって立ち向かう気持ちを育てることなんじゃなかろうか。
まぁそれって結構大変で、悪しき要因を取り除いて最適な環境を整えてあげる方が
実は親としては余程簡単で楽だと思う。
でも、それじゃ本人に何も身に付かないじゃん。
かと言って、本人にただ試練を与えればいいって話でもなく、過酷な状況に置き続ければ心身ともに潰れてしまいかねない。
だからその辺のバランスが大事というか、難しいんだけど。
うーん...。
バンビは今のところ あんまりこれがイヤとか、苦手とか自分で言うことないし
てか、今考えてもそーいうのあんまり思いつかないんだけど...(私が忘れてるだけ?)
例えそういうのがあったとしても、私がそれを排除するんじゃなくて
じゃあどうしたらいいかを一緒に考えていきたいなぁ と思う。
いつまでもママがバンビの見方で、一生ママがバンビを守れるわけじゃない から。
自分で何とかする手立てを身につけさせてやりたい。
自分で何とかしようと思う人に育てたい。
私はそう思ってるんだよね。
メールはこちらまで → yakkoxhs@gmail.com
知り合いの6年生の子が、紆余曲折の末 A校の支援学級に決まったんだけど
区の学務課に「定員の関係で入学できる人数が少ないので、学区外だと無理。」と言われて
でも、どーしても入れたいから学区に引っ越すことにした と、ママから聞いてビックリ。
まぁ、そこに至るまで小学校入学の時点からいろんな経緯があることは知ってたし
それに、前から思い込んだら一筋なところのあるママだとは感じてたけど
そこまでするんだー って。
もっとも 昔から”孟母三遷”っていうくらいで(また故事成語かい)
中国の孟子のお母さんは、息子により良い環境を求めて三度引っ越した って話なんだけど
親が子どもに良い環境を与えたい っていうのは誰でも思うことで
だから それ自体はわかるし、いいと思う。
でも気になったのは そのママが
「B校は暗くて(物理的に明るくないって意味)うちの子苦手だし、トイレも和式じゃできないし
乱暴な子がいるからそれもイヤだったし...」って、まぁ他にもいくつかそういう言い方をしていたこと。
それに比べてA校はいい ってことなんだろうけどね。
別にね、うちはバンビをB校に行かせられたらと思ってるのに否定されたから不快 ってことじゃなく
(感じ方・もののとらえ方は人それぞれだと思ってるから そこは気にしてないし)
何だろう?
子どもの苦手なこと、嫌いなことを ことごとく排除しようとしていく姿勢に疑問を覚える というか...。
難しいとこなんだけどね。
そうしてやりたい親心もわかるし。
でもさー、いつまでも親がそうやって環境整えてあげられるわけじゃないじゃない?
普通に考えたら、いつかは親から離れて生きていく日が来るわけだから。
その時までに 苦手なことや嫌いなこと、つまりその子が生きていくのに支障になる課題を
少しでも減らしておいてやらないと、後で大変 ってなことになりそうな気がするんだけどなぁ。
どうなんだろ?
ってか、苦手なことや嫌いなことはしなくて済む生活を与え続けると
いざ それでもやらなくちゃいけないって時に、困るのは本人なのでは? と思うんだよね。
例えば、和式トイレじゃ用が足せない って、ほんとに切羽詰って和式しかないって時 どーするんだろう?
小さい時から練習させればできるようになると思うんだけどなー。
それって、障害の種類とか重さとかあんまり関係ないと思うけど。(身体的に無理な場合は別として)
おチビの時の粗相なんて何てことないけど、中学生で和式でできずにお漏らし ってヤバいでしょ。
まぁ、それは些末な例だけど、一時が万事そういうことで
人間生きてたら 苦手だろうが、嫌いだろうが、やりたくなかろうがやらなきゃならないことってあるわけで
それは障害者だって 同じなんじゃないかと思うんだけどね。
できないことでも繰り返してくうちにできるようになることもあるし
苦手なことに立ち向かうから克服できることもあるし
失敗の中から学んで、身についていくこともある。
大事なのは そうやって立ち向かう気持ちを育てることなんじゃなかろうか。
まぁそれって結構大変で、悪しき要因を取り除いて最適な環境を整えてあげる方が
実は親としては余程簡単で楽だと思う。
でも、それじゃ本人に何も身に付かないじゃん。
かと言って、本人にただ試練を与えればいいって話でもなく、過酷な状況に置き続ければ心身ともに潰れてしまいかねない。
だからその辺のバランスが大事というか、難しいんだけど。
うーん...。
バンビは今のところ あんまりこれがイヤとか、苦手とか自分で言うことないし
てか、今考えてもそーいうのあんまり思いつかないんだけど...(私が忘れてるだけ?)
例えそういうのがあったとしても、私がそれを排除するんじゃなくて
じゃあどうしたらいいかを一緒に考えていきたいなぁ と思う。
いつまでもママがバンビの見方で、一生ママがバンビを守れるわけじゃない から。
自分で何とかする手立てを身につけさせてやりたい。
自分で何とかしようと思う人に育てたい。
私はそう思ってるんだよね。
メールはこちらまで → yakkoxhs@gmail.com