バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

就労への道③

2020年07月09日 | 成長記録
 このブログは何より私の子育ての記録なので
バンビの就労について 書き留めておくのだけど...

 2年生になったら類型化というのがあって
一般就労か福祉就労か、明確な線引きではないものの
一応分かれる話は前にも書いたけど
バンビは 結局一般就労を目指すC類型になった。

 クラスも変わって、担任の先生も変わる。
昨日初めて保護者会があって、超久しぶりに学校に行ってきた。

新しいクラスは全員C類型なので、クラスの雰囲気は落ち着いているみたい。
ただ、C類型ってことは前にも書いたけど 時間に対してシビアになるので
何をするにつけ時間のかかるバンビは
たぶん着いていくだけでいっぱいいっぱいなんだろうなぁ...。

 本当なら1学期のうちにトライアル実習があって
希望すれば外部(企業等)での実習をさせてもらえたはずなんだけど
コロナ対応で 今年度は全員校内実習になってしまった。
バンビも1学期は企業を経験して、2学期は福祉(就労移行支援事業所等)で
と思っていたのだけど
トライアルは2学期以降でそれも3年生優先(当たり前だけど)になったので
どうなることやら...。

 で、その校内実習は昨年は2課だったのが、今年は3課に入れて
2週間近くを黙々と頑張ったようだ。

 実習で問われるのは作業そのものもそうだけど
それよりわからない時や困った時に自分から確認に行けるかどうか
質問や報告、それに御礼なんかが的確に言えるかどうか
うまくいかない時に自分なりに工夫ができるか とか
一度指導されたことが次から活かせるか とか。
そういう”仕事に取り組む姿勢”みたいなものが大事みたいなんだよね。

 バンビはそういうところ根が真面目だから、一生懸命取り組むし
質問や報告は日頃から意識させてやらせるようにしてるから
割とできるみたいで 評価されていた。
緊張もあるのか 吃音がキツくなって、話すのも大変そうだったけど
それでもすごく頑張っていたと思う。

 実習が終わり、通常の学校生活に戻って
バンビは今年は”オフィスワーク班”として 様々な仕事の手順をならっている様子。

一度ファイリングがうまくできなくて、二度検品で不合格になった時
泣いてしまって30分くらい固まって何もできなくなってしまったらしい。
うーん、なんて言うか、ブライドと能力がミスマッチなんだよね~。
手先の不器用さとか空間認知とか、本人の努力だけでは如何ともしがたい。
親としては不憫な限り...。

でも、30分で切り替えてそこからはまた仕事に取り組めたようなので
そこは成長と先生にも捉えてもらえたようで良かった。

ハサミの使い方も上手になってきて
あー あの幼少期の苦労も無駄じゃあなかったねぇ。

ただ ”オフィスワーク”も本人それがやりたくて選択したわけではなく
(私としては農園芸がいいかなと思うんだけど、選択肢にはなく)
手先が不器用で体力もないから、清掃は難しく
食品にはあまり行かせたくないし と消去法で選んだ作業班。

パソコンを使った作業もあるようだけど
バンビはまだローマ字を習得してないしなぁ... 道は険しい。

働く ってほんと大変なことだと思う。
定型の子はなんの疑問もなく、高校・大学と進学していったりできるけど
この子達は10代半ばで 働くことを考え、どう生きていくかを模索することになる。
なんかね、その姿は尊くて
お母さん、胸熱。ちょっと涙出てくる...

もうほんとバンビに合ったところが見つかりますように って祈ってる。
ってか、ただ座して待つだけじゃなく 努力して引き寄せねばならないのだけど。
頑張ろうね、バンビ。
お母さんもできることは頑張るから。
これからも成長していこうね。
あの努力は無駄じゃなかったって また言える日がきっと来るはず。

嵐の4ヶ月

2020年07月09日 | 日々の出来事
 なんともう7月で、実に4ヶ月以上もブログを放置してしまった...
これは最長記録かも。

 前回は3月で、この後仕事(パートだけど)が猛烈に忙しくなり
でもコロナ対応の自粛でそれがパタッとなくなったことで、燃え尽きた感が...
そこへ持ってきて 母が大腿骨骨折で入院となって
これは介護が必要になるかと思い、4月中旬に退職したところ
月末 手術をしたその日の夜に容体が急変して亡くなるという
予想もしなかった事態に。

GWは葬儀の対応に追われ
と言ってもコロナ対応で本当に最低限のことしかできなかったけど
とりあえず顔を見て見送れたことを良しとするしかない状況だった...。

それが少し落ち着いて、また息子と自粛生活(オットは週4出勤していた)に戻る中
散歩に出かけた公園で、生まれたばかりと思われる仔猫を4匹と出会う。
役所や動物愛護センターに連絡したものの
”親猫が近くにいるかもしれないから放っておけ”と言われ
でも、初夏の暑さやカラスにやられるかもしれないと思うと
私自身が母を亡くしたばかりで、命に対して敏感になっていたせいもあり
見捨てておけず、家に連れて帰った。
2匹は翌々日までに亡くなって荼毘に付したものの
残る2匹は命をつなぐことができた。
ただ、3時間おきの授乳や排せつのお世話は大変で
私が仕事をしていたら難しかったかもしれない。
これも母が引き合わせた縁なのかもね。

1ヶ月お世話して里親さんに委ね(うちには先住猫がいるので)
それも落ち着いたところで 今度は職探し再開。

母の四十九日法要の準備もしながら
6月から新しい仕事をスタートして1ヶ月。
まったく未知の分野のお仕事だったので、毎日が勉強また勉強。
緊張もあってか、あと天候のせいもあってか とにかく毎日クタクタで
今日に至る... というカンジ。

はぁ、ほんとに激しい嵐の4ヶ月だった...。

その間、バンビは誕生日を迎え、17歳になりました。
身長はまだ伸び続け、体重はコロナ太りで+3kg。
まぁ、運動量が激変したので、これは仕方ない。
お腹周りがかなりヤバかったけど、この1ヶ月で少し戻したかな... というところ。

学校が再開したものの、最初は学年ごとの分散登校で
それが元に戻ったらすぐ実習(ほんとは外部の予定だったけど、全員校内になった)
がスタート。
2週間頑張って、今月やっと通常の学校生活が始まったという状況。
やれやれ~。


母のことは このブログでも何度も書いているけど
私が結婚した後すぐ脳腫瘍の手術を受け
その時の医療過誤(術後の脳内出血を見過ごされたらしい)で身体が麻痺し
最重度の要介護者となった。
18年の長きに渡って父が介護をし続けてきたけど
今回 自宅で転倒して、大腿骨を骨折した。
高齢でもあり、手術が身体に負担になるのではという心配もありつつ
医者にした方がいいと言われ、同意した。
手術は予定の倍の時間がかかり、何か不手際があったらしいが成功したと言われ
安心していた矢先に 容体が急変して帰らぬ人となってしまった。...。

医療も人のやることだから、ミスもあるだろう。
でもそれが二度重なるとは...
二回目も結局 医療ミスというところまでは行かずに(まぁ医者は認めないよね)
片付けられてしまった。

納得いかない面もあるけれど、それを引きずってあるいは争って生きていくのは
残された家族には負担が大きい。
85歳の天命を全うした と思う方が救われる。

娘がやっと片付いて
老後をこれから父と二人でどう過ごそうかとあれこれ考えていたであろう母。
夢も自由も奪われてしまったけれど
18年近く父に大切に介護されてきた母は、ある意味幸せだったのかな...。

私自身は 母にはいろいろな想いがあり(過保護な人だったので)
バンビを産んでからも頼ることができなかったことは
(母のせいではないけど)せつなく思うこともあったし。
でも、自分が親になってみて 当時の母の気持ちを理解できたところもあり
今はただ冥福を祈るのみ。

残された父を 介護のみに長い年月を過ごして今は気が抜けてしまったような父を
どうか天国から見守っていてほしい。

そして、私はこれからも母としてバンビを自立させるため全力を注いで生きていく。
どうか私のことも、バンビのことも見守っていてください。

7月、新しい生活のスタートに想うー。