バンビ・わーるど

プラダー・ウィリー症候群の息子「バンビ」を愛し、その成長を見守る母・suzuのつれづれ日記(&ときどき猫だより)

働ける子に育てる

2015年01月31日 | 社会的自立に向けて
先日、就労に関する講演会を聞いてきました。
スピーカーは 食品トレーを製造している大手企業の特例子会社の社長さん。

この会社、一部上場で障害者の雇用率なんと16%超。
”障害者でも働ける”ではなく、”障害者だからこそできる仕事がある”という発想は新鮮だった。

実際に働いている姿を動画で見せてくれたけど、早送りしてるのかと思うほどのスピードでリサイクルのトレーを選り分けてる姿にびっくり。
トレーの選別の精度は機械より余程高いのだとか。

障害者は真面目でズル休みしない、無駄なおしゃべりしない。集中力がある。
根が臆病だから慎重で、余計なことしないから、労災もほとんどないというのも驚き。

重度な人はWカウント(人数が2人分とみなされる)ので、働ける重度障害者は企業にとって貴重らしい。
重度だとお漏らししたり、8時間働く体力がなくて、そこら辺に座り込んだりもする。
でもいいんだと。お漏らししたら、シャワールームに行って洗って着替えれば済む。
最初は何もできなくても、長い人でも半年したら変わる。みんなちゃんと働けるようになる。

いままで ”挨拶できないと仕事できない”って話を聞いてきたけど
挨拶できなかったら仕事させない。みんな仕事したいから、挨拶するようになります と。

重度な人も仕事して月に10何万円稼ぐ。自分の仕事に自信とプライドを持ってる。
障害者も健常者も同じ働く仲間。
それぞれのできる力を伸ばせば、十分企業にとって戦力になる。
実際、この会社儲かっているらしい。win-winの関係が成立してるってすごい。

何かいろんな意味で 目から鱗なカンジ。

実際に障害者と現場で働いているリーダーらしき若い女性も話をされていて(丸の内当たりのOLにしか見えない みたいな方だったけど)
「作業着に袖通してから、ファスナー上げないでじっとしている人がいる。
 あぁ、いつもお母さんがやってあげているんだろうなぁ と思う。
 作業着を自分で着られない人は仕事できませんと言って、何度か教えるとみんなできるようになります。
 バスや電車の乗り方がわからない人もいる。 普段、家の車に子供を乗せて出かけているから。
 楽でいいかもしれなけど、大人になっても公共の乗り物の乗り方がわからないんでは困る。
 できないのではない、やったことがないからやり方がわからないだけ。
 やらせてないのは 親です。

 土日など余暇の時間を充実させることも大事。
 外出しても自分でお金払ったことないって人がいる。みんな親が払うから。
 親に お給料はどうしてるのか聞いてみると、貯金している と...。
 貯金もいいけど、普通の人と同じように自分で稼いだお金を自分の楽しみのために使うことも大切。
 リフレッシュしてまた明日から仕事頑張ろうという意欲につながるから。」

社長さんも
「うちの子はこんな子だから...」って親は言うけど、それ禁句です。
親が子供を差別して、可能性を狭めてる。

この先、高齢者が増え、障害者も増え、福祉のお世話になる人が増えるばかりなのに
働いて税金収める人は減る一方。
このままじゃ日本という国は破たんする。
働ける人は働いて、稼いで税金納めないと大変。
働くとは社会の役に立つ、誰かのために何かをすること。プライドであり喜びになる。

働いてい生きていくんだという意欲が大切。
そのためには まず親が、この子を働ける子にすると思わなければ。
意欲と体力を育てる。これが大事らしいです。

講演会の内容はそんなカンジで、なかなか良い刺激になりました。
特に親のあり方については 耳の痛い話だったしね。


ただ、就労ではなく例えば生活介護を受けながらのんびり過ごすことも別に悪いわけじゃなくて。
特にPWSだと 過剰な期待やプレッシャーから問題行動につながっていったりってこともあるようで
その子その子に合う環境というのはあるだろうし、それを選んでいけばいいのかな とは思う。

でも、私としては やっぱりバンビには将来働いてほしい。
仕事をすることで得るプライドや喜びや仲間を大切にして、余暇も充実した人生を送らせてやりたいと思う。
バンビが高校を卒業するまであと7年。
彼がどんな人生を選びとるのか 不安もあり、楽しみでもあり...。

メールはこちらまで → yakkoxhs@gmail.com

神の御業

2015年01月27日 | 日々の出来事
先週、バンビのお友達が亡くなった。
それはあまりに突然の悲しい別れで、誰もが事実を受入れられず、戸惑うばかりで...。
私にとっても いろいろなことを考えさせられた。
そのことについては これ以上ここでは書けないけれど。


そのお友達のご一家はクリスチャンで、会葬御礼にいくつか聖書の言葉が記されていた。
「主が与え、主が取られた。主の御名はほむべきかな。」

私はクリスチャンではないけど、キリスト教系の学校に通ったのでキリスト教概論の勉強をしたことがある。
その言葉は、その時習った旧約聖書の「ヨブ記」にある。

高潔な人物で敬虔な信者でもあるヨブという人が、サタンに試され
子供や財産を全て失ったり、自身が重い病気になったりと次々と不幸に見舞われる。
それでも揺るぎない信仰心で言う。
「主が与え、主が取られたのだ。主の御名は誉むべきかな。」


この後、因果応報だと責める友人の言葉にも屈せず、自身の潔白を訴え続けるヨブ。
不条理な苦しみはさらに続き、ヨブは嘆きの言葉を発する。
「主よ、私はあなたに向かって叫んでいるのに、あなたはお応えにならない。」
そして... 


という風に続いていく、とても奥の深い?話なのだけど。


当時まだ若かった私には 正直理解できなかった。
”神様から幸せを受けたのだから、不幸も受け入れるべき”という考えは、きれいごとにしか思えなかった。

バンビに障害があるとわかった時も、”何故?どうして私の息子が?”と嘆き悲しみ、神様を恨んだりもした。

でも、それからさらに歳月を経て、今ならわかることもある。

苦難のない人生なんてないんだ。
命あるものは必ずいつかは死ぬのだし、生きていれば誰だって年取ればなおさら病気になったりもするし
うまくいかないこと、思いどおりにならないことなんていくらでもある。
そういう苦難に打ちひしがれ、生きる希望を失うこともあるだろう。

それを ”すべては神の御業”としてある種の諦観の元に受け入れていくことは
心を強くする1つの術なのかもしれない。
信仰は、いやそこまでいかなくても そうやって何かを信じて現実を受入れる気持ちは
生きる支えになるんだろう。

実際、私がそうだった。
このブログにも書いたけど「神様には特別の計画がある。」という言葉が当時の私を支えてくれた。

聖書の中にある言葉は きっと何千年も前の人々の生み出した生きる知恵なのだろう。
私達もその言葉に救われて生きていく。
どうにもならない不条理も 神様はただ沈黙しているのではない。
私達と共にあって、私達の想いを受けとめてくれている。
そう思えば少しは前向きに生きていけるということなんだろうか...


亡くなったお友達のご冥福と
そして遺されたご家族がこれからもずっと神様に守られますようにと
心から 本当に心からお祈りします。

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父と息子

2015年01月16日 | 日々の出来事
うちのオットを知る人は、彼に対して”穏やかな人”という印象を持つようだけど
実際は見かけに寄らず短気なところがあって、特に最近はちょっとしたことでキレやすくて困る。
仕事でストレスでもあるのか、年齢的なものなのか...(男性にも更年期障害的な症状はあるらしいからねー


特にバンビに対してすぐイラついて、そんな言い方しなくてもいいのに ってこと連発。
まぁ、わかるんだけどね。
バンビは何をするにも時間がかかるから、急いでいる時とかはほんとイライラするし
それに、この頃はちょっと反抗期入っていて、口答えもするし。それがほんとにカチンと来る。


以前にも書いたけど、オットの父親(バンビにとってはおじいちゃん)は見た目も中身もとても威厳と貫禄に満ちた人で
オットはそういう父親に対して尊敬の念と、ちょっとしたコンプレックスを持っていた様子。
そういうオットにとって、バンビがオットにするような口答えなんて、”親に対してありえないこと”なんだろう。
まぁ、それは理解はできる。

でも、だからと言って、そんなムキになって怒ることないんじゃない? と思ってしまうんだよね。
(まぁ、彼に言わせれば、私が怒ってる時だって同じようなもの らしいんだけど...)


バンビは叱る時も接し方を気を付けないと、”怒られた”って一点だけに意識が行ってしまいがち。
そうなると、もう自分が悪かったってこともどこかに飛んじゃって、こっちの言うことも耳に入らなくなってしまう。
それは、バンビの持ってるPWSの特性だから、配慮してやってくれ と私がいくら言っても
たぶんオットにはそれがいまいちピンと来てないらしい。

”悪いことは悪いって教えなくてどうする。
 甘やかすから調子に乗ってるんだ。
 痛い目に合わないとわからないんだよ。”

そう言って、叱り飛ばすことが多くなってきてる。
そうするとバンビも攻撃的になり、オットはますます逆上して
私が「もう、やめて。バンビもやめなさい。いい加減にしてよ!!」と爆発して仲裁するしかなくなるんだよね。
ほんと、これがストレスなのよ...。


オットの気持ちはわかるんだけどさ。
そりゃ私だって バンビを思わず叩いてしまうこともあるけど
頭の中では常にバンビの持ってるPWSの特性を意識してはいるつもり。
でも、オットはバンビと同じ目線になってまともにぶつかり合ってしまう。

まぁ、大抵男の人はいくつになっても子供じみたところがあるようだし
男親は自分が育った路線でしか息子と向き合えないものなのか...。
(一般論ではなく、単にうちのオットの問題なのかもしれないけど どうなんだろう?


ほんと最近 思春期に差し掛かって反抗的になってきた息子の扱いの難しさを思う。
もちろん、この問題は健常児でもあるんだろうけどね。
そういう意味ではバンビなんて中身はまだ幼いところもあり、単純で扱いやすいところがある反面
PWS故の頑固さやこだわりや、思考特性みたいなものがあって
そこをうまくやらないとヘンな方にこじれてしまう難しさがある。

”私がいなくなったら、二人でうまくやっていけるの?”と思うと、オットより先に死ねないわ。
ほんと、これが最近の悩みの種。

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家から電話

2015年01月13日 | 日々の出来事
その日、バンビは5時間授業で、私の方が帰宅が遅い予定だったので
移動支援サービスを使ってヘルパーさんと出かけるスケジュールを組んでいた。

で、私はと言うと 仕事の帰りに買い物に立ち寄り、30分くらいしたところでスマホに着信履歴があることに気付いた。
誰もいないはずの自宅から。それも7回も。
バイブレーターにしてあったので、にぎやかなショッピングモールではまったく気づかなかった。
すぐに掛け直したけど、誰も出ない...。

バンビはもうとっくに出かけていて、家には誰もいないはずなのに?
それに、もしバンビだとしても あの子が私の携帯に電話できたっけ?

不安になってすぐ帰宅したら、もちろん誰もいない。
バンビは私が用意した荷物を持って出かけた様子だし。


夕方、バンビが帰宅してから真相がわかった。

私は15~18時まで移動支援の依頼をしたつもりで、バンビにもそういう風に予定を伝えていたんだけど
何かの行き違いでか、ヘルパーさんは16時に来たらしい。
15時過ぎてもヘルパーさんが来ないので、私に連絡しようとして電話したのだとか。

電話番号はだいぶ以前に私が電話の子機に短縮ダイアルでセットして、バンビに掛け方を教えていたのだった。
私自身はそのことをすっかり忘れていたのに、バンビはちゃんと覚えていた というわけ。

笑ってしまった。と、同時に”意外にやるじゃん。”と感心もした。

たぶんバンビのことだから、”15時過ぎたのに何で来ないんだろう?”と とても不安だったに違いない。
”どうして来ないの?”と聞きたくて、私に何度も何度も電話したんだろうなぁ...。
その気持ちを察したら、何だかとても申し訳ない気持ちになった。

ただ、想定外の困った状況になった時、何とかしようと自分なりに考えて行動できたところは
すごく偉かったし、親が思うより成長してるんだなぁ という気がした。


でも、何度かけてもつながらなくて諦めたのか 宿題もやらずDVDを観ていたらしい痕跡が消し切れてないまま
(テレビの画面は暗かったけど、電源入りっぱなし)なのはご愛嬌だったけどね。

少しずつ子どもではなくなっていくバンビを見守っていくのは 何だか楽しいような、寂しいような...

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結婚してね

2015年01月06日 | 日々の出来事
バンビが時々言う。「ママ、大好き。」
何の脈略もなしに不意に。
「ありがと。ママもバンビが好きよ。大好き。」と答えると「じゃあ、バンビと結婚してね。」と来た。

私  :「うーん、ママはもうパパと結婚してるからバンビとは結婚できないんだけど。」
バンビ:「えー、そうなの? じゃあ、バンビは誰と結婚したらいいの?
     イ・○ミちゃん(バンビが好きな韓国の美人プロゴルファー)は結婚してくれるかなぁ?」
私  :「さぁ、どうだろうねぇ。○ミちゃんはバンビよりだいぶ年が上だし...。」
バンビ:「○ミちゃんはボクにご飯作ってくれるかなぁ?」
私  :「結婚したらご飯作ってもらいたいの? ○ミちゃんは仕事が忙しいからなぁ...バンビが作ってあげないとダメじゃないの?
     バンビはご飯作れるの?」
バンビ:「えー、できないけど...。じゃあ、誰が僕と結婚してくれるの? 誰もいなかったら寂しいよぉ。」
と言うので笑ってしまった。

バンビにとって「結婚する」とは、好きな人と同じ家に住んでご飯を食べて一緒に寝る(もちろん性的な意味はない)ことらしい。
面白いなぁ と思うけど、ちょっと切ない話でもあるよね...。
この子は将来誰かと結婚できるかなぁ? と思うと。

PWSで結婚してる方が海外にはいるとは聞いている。
それなりの支援があれば、バンビが今思い描いている「結婚」ならできる?かも?

いつかバンビの夢が叶うといいね。君を愛してくれる人とどうか巡り合えますように。

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新年のご挨拶

2015年01月06日 | 日々の出来事
あけましておめでとうございます。
今年もこの拙いブログを細々ながら続けていけたらと思いますので、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

さて、我が家は今年久しぶりにオットの年末年始の出勤がなく、大掃除をかなり手伝ってくれたこともあり
何とか紅白の始まる頃には新年を迎える用意も整いました。

元旦には浅草寺に初詣に行ったんだけど、お天気悪いし寒かったせいか
例年よりかなり人出は少なかった気がする...。(相変わらず境内は激混みだったけど

バンビは私達からもらったお年玉だけは自由に使えるので(親戚からの分は全て貯金ね
またまた”ドラえもんの本を買う”と本屋さんへ。
ところが、お目当てのドラえもんの科学シリーズ・恐竜編の在庫がなく...
翌日また別の本屋さんへ買いに行くことに。

自分の想いがかなわなかった時、気持ちの切り替えができることってとっても大事だなぁ と改めて思う。
2日に見つけた時は「あった、良かった! やったー。嬉しー!!」とそれはそれは喜んでたけどね。


3日はオットの実家に親戚が集まり、4日は私の実家へ。
バンビはどちらでもジェンガをして遊んでいました。
最初のうちは自分で選んで取れても、高く積み上がって難しくなるとどこを抜いていいんだかわからなくなるみたいだけど...。
まぁ、ルールにのっとって遊べるようになったなー とバンビなりの成長を感じる。

5日は心臓の定期検診で病院へ。
片道2時間弱かけて、待ち時間3時間(検査の時間も入れてだけど)で今回の診察はわずか5分程度。
いやー、ツラい。ほんとに大変。
それでも、バンビはゲームをしたり本を読んだりしながらちゃんと待つことができて
おやつも診察が終わるまで我慢することができた。

我慢するとか、ルールを守るとか、気持ちを切り替えるとか 小さいうちから意識して積んできたことが身についてきてるから
今はそういう意味ではすごく生活していて楽になった気がする。
ありがたいことです。


今年はバンビも6年生。進路のことで悩むことになるだろうとは思うけれど...
それでも 家族仲良く、みんな元気に過ごせたらそれだけで十分な気もする。

皆様にとっても実り多い、穏やかな一年になりますように。

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