「きっと、寿命だったんですよ」
母が亡くなった時に
そう言われて
何故か、すごく
ほっとしたのを覚えている。
友だちは、癌の終末期だった。
ステージⅣから13年生きた。
ご主人によると、13年前片肺切除した後に
医師から5年生存率7%と言われていたらしい。
奥さん、つまり私の友だちには
そのことは、伝えなかったそう。
だから、私も知らなかった。
日曜日にお見舞いに行った時も
「緩和ケアは、嫌。
まだ治療したい。
諦めたくない。」
軌道も狭くなって、ゼーゼー言いながらも、
必死にご飯を食べていた。
亡くなる二日前に
初めて弱音を吐いた。
「死にたくない」と。
どのお医者さんも
ステージⅣからこんなに生きた人は
見たことないって。
彼女は、奇跡の人だった。
支えたご主人も立派だった。
友だちとして
誇りに思う。
よく大学サボって病院に来てた息子さんが
「お母さんは、頑張る人だったけど、
僕には決して、頑張れとは言わなかった。
健康で居てくれたら、それでじゅうぶんと
言ってくれた。」
素敵なお母さんだったね。
覚悟はしてたけど、
...お別れは、ツライ。
母が亡くなった時に
そう言われて
何故か、すごく
ほっとしたのを覚えている。
友だちは、癌の終末期だった。
ステージⅣから13年生きた。
ご主人によると、13年前片肺切除した後に
医師から5年生存率7%と言われていたらしい。
奥さん、つまり私の友だちには
そのことは、伝えなかったそう。
だから、私も知らなかった。
日曜日にお見舞いに行った時も
「緩和ケアは、嫌。
まだ治療したい。
諦めたくない。」
軌道も狭くなって、ゼーゼー言いながらも、
必死にご飯を食べていた。
亡くなる二日前に
初めて弱音を吐いた。
「死にたくない」と。
どのお医者さんも
ステージⅣからこんなに生きた人は
見たことないって。
彼女は、奇跡の人だった。
支えたご主人も立派だった。
友だちとして
誇りに思う。
よく大学サボって病院に来てた息子さんが
「お母さんは、頑張る人だったけど、
僕には決して、頑張れとは言わなかった。
健康で居てくれたら、それでじゅうぶんと
言ってくれた。」
素敵なお母さんだったね。
覚悟はしてたけど、
...お別れは、ツライ。