ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

何も残らない

2010年07月14日 | ラブレター
何にも残らない…。

去年、突然母が亡くなって、

遺品を整理しながら、そんなことを考えていました。

母の姿が目の前から消えて

一ヶ月、半年、一年を過ぎ、


「こんにちはー」


孫が大好きな母が、満面の笑みで、ふと玄関に表れそうな気がしていたけど、

次第に残像が薄らぎ

あったはずの母の存在のリアリティがなくなってきました。


なくなればなくなるほど、

形のない温かい何かが

私の心の中を閉めていくのを感じます。

何かが残っている。

時が過ぎるほど、核心に変わってきました。

ものでない、何か。

あなたの中にも、きっと。



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祖母が孫を殺人

2010年07月14日 | こころの子育て
ああ眠れない…ショック!!
群馬で祖母が15歳の孫を刺殺…

祖母は自らも腹を刺したとみられ、
重傷を負った。

「自分がやった」と話している。

2人が口論しているのを家族が目撃している。

祐樹君は搬送先の病院で死亡が確認された。


祖母、祖父、祐樹君、妹(13歳)、おじ(41歳)、おじの子(いとこ)の六人暮らし。

妹が「お兄ちゃんが刺された」と近所の家に飛びこんだ。

台所付近で2人が倒れ、
包丁が落ちていた。

祖母と祐樹君は直前まで口論していて、
祖母が台所の包丁を持ち出して刺したらしい。


祖母は、息子二人の子ども
(殺されたゆうきくんを含む孫)三人を引き取り、面倒を看ていた。

友達の証言からの浮かぶ
口うるさい祖母の姿。

孫を育てている現在だけでなく


おそらく息子二人を育てた時も
口うるさい母だったのであろう。

息子二人も離婚(か別居)しているらしい。

「ちゃんと、良い子に育てなきゃ」

そんな思いが強すぎて
アダになったのではないか。

祖母も、そんなふうに
「良い子」に育てられたのではないか。

つまり、過剰適応なのでは?

過剰適応の例として分かりやすいのに
「メランコリー親和型」(テレンバッハ)の性格タイプがある。

メランコリー親和型というのは、
うつ病に陥りやすい性格タイプ。

この性格タイプの特徴は、
社会的適応の良好さにある。

仕事熱心で責任感が強く、
着実に任務を遂行し、
また義理人情にも厚く、
他人へのきめ細かな気遣いも怠らない。
対人関係も円滑で、
人から信頼され、
どこといって非難されるところのない、
いわば社会的優等生といってよい人物像。

しかし、この良好な外的適応性は、
内的適応性を犠牲にすることによって成り立っている。

クラウスが「役割との過剰な同一化」とよぶように、

彼らは社会的役割の遂行を
何よりも優先させる生き方によって、

知らず知らずのうちに
本来の自己を見失うという事態に陥ってしまう。

メランコリー親和型に見られる
この過剰なまでの現実適応のあり方を、
テレンバッハは「病的正常性」と読んだ。

「入門人格心理学」
加藤義明 中里至正 編著より


もし、祖母が「過剰適応」だとしたら

せっかくの愛情が
曲がってしまった
切ない事件。

殺人は、自分を殺すことと比喩されるが
祖母の生き方は、それだけ辛いものだったということか…。

だからと言って、
尊い命は奪ってはならない。


殺されてしまった男の子は、
私の子と同じ年齢。

体格、体力共に66歳の祖母をとっくに上回っているはず。

どうして刃向かわなかったのか?
狂気に満ちた攻撃に遇えば、
人間、抵抗するのが自然。

そうしたら、おばあちゃんを殺してしまったかもしれない。

それを考えると、彼は、殺されるとわかって、
本気で抵抗しなかったのではないか。

…辛過ぎる。

…報われない。


妹さんも。

恐かったね。

辛いね。苦しいね。

少しずつ心の傷を癒やして

お兄ちゃんの分まで生きて。

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