喫茶 輪

コーヒーカップの耳

姫路の詩碑二基

2025-02-28 23:14:32 | 
もう何年前になるだろうか、「触媒のうた」の取材で姫路の町をレンタル自転車で走り回ったのは。
 
今日、姫路文学館からの帰りに、そのうちの2ヶ所の文学碑の前を歩いた。
 
阿部知二と阿部知二(書は子息の良雄氏)の文学碑。
 
それにしても今日はよく歩いた。
約9000歩。
元気で歩けるありがたさ。感謝です。
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姫路文学館へ

2025-02-28 19:00:28 | アート・文化

姫路文学館へ行ってきました。

開催中の「坂本遼展」を観に。

 

よくもまあ、これだけの資料を展示できたものだと思いました。

学芸員さんのご苦労が忍ばれます。

草野心平、竹中郁を初め坂本遼に接触した幾多の文学者の直筆書簡や生原稿その他。

みな時の流れをしみ込ませて、しかしその時の文学者の息づかいを感じさせるものでした。

これだけのものに、もう再び会えることはないでしょうね。

坂本の最後の仕事といってもいい児童雑誌『きりん』も貴重な資料が並べられていて、あの時代の兵庫県の詩人の無私の仕事を思わずにはおれませんでした。

今から思えば日本の児童文学の歴史にとって、とてつもない大きな仕事だったと思います。

ああ、凄い。坂本遼、竹中郁、足立卷一。

 この写真(昭和50年・第5回たんぽぽ忌)は、イベントルームで上映されているものをわたしが写したもの。

左から足立卷一、竹中郁、草野心平。

帰りに、姫路の古書店「続・書肆風羅堂」さんに寄ってみましたが、お休みでした。

 残念。

 

 

 

 

 

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坂本遼展記念誌

2025-02-28 10:50:11 | 本・雑誌
今日はこの本を読んでます。
 
 
姫路文学館で催されている「坂本遼展」の記念誌。
 
A4版と立派な本です。
 
長く親しくさせて頂いている播磨の詩人高橋夏男さんにお贈り頂いたもの。
 
その高橋さんが巻頭に文を寄せておられます。
 
心がこもっていて、しかも学術的。
 
後世に残る立派な文章。
 
姫路文学館に行くのが楽しみです。
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「宮っ子」の記事ふたつ

2025-02-28 10:00:35 | 宮っ子

『宮っ子』3月号が出ました。

特集記事が「浜脇地域」ということで、この写真は浜脇地域の中のお店かと思いましたが違いました。

平木地域の「お茶の間ぷちだがしやさん」で、NPO法人にしのみや次世代育成支援協会が運営。ボランティアスタッフがお迎えするとのこと。

表紙の構成がちょっとチグハグかな?

さて「用海版」ですが、これはわたしが担当の「街角小景」

交差点の上空の電線の模様も魅力的なのですが、この高架の幾何学模様は迫力があります。

こちらの記事は昨年催されたもの。

第二回めはあるのでしょうか?

 

imamuraさんの本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 

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以倉紘平さんの詩に涙腺崩壊

2025-02-27 18:07:32 | 
『以倉紘平全詩集』ですが、ここまで読んできて涙腺崩壊。
 
 
ティッシュペーパー片手に読んでます。
「遠い蛍」。
35歳で亡くなった娘さんのこと。
 
この詩集は以前に一度読んでいるのですが、やっぱりあきません。
 
こんなん年寄りに読ませるのは殺生というものです。
 
 
 
書庫の奥から出してきました。
『坂本遼作品集』です。
 
1981年発行ですから、40年以上前に買った本です。
 
近いうちに姫路文学館の坂本遼展に行きます。
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以倉紘平さんの「アリゼ」

2025-02-27 09:29:51 | 

以倉紘平さんが主宰する詩誌『アリゼ』225号が届きました。

これに、頼まれて朝倉裕子さんの詩集『雷がなっている』の書評を書かせていただきました。

美しい雑誌『アリゼ』に載せて頂いてありがたいことでした。

その主宰者、以倉さんの詩です。

「嵯峨さんの最後の言葉」です。

いいですねえ。以倉さんの詩はわたしの心にしっくりと沿います。

今、合間合間に読ませてもらっている『以倉紘平全詩集』(編集工房ノア刊)が素晴らしいです。

今、五分の三ほど読んだところですが、慌てずにゆっくりと読んでます。

 

 
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

 

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タイトルに違和感

2025-02-27 08:52:15 | うんちく・小ネタ
昨日上げた『きりん』の竹中郁さんのページですが、何か違和感ないですか?
そのタイトルです。「行ないで書く」。
わたし、最初見た時、「行かないで書く」と思ったのでした。
現場に行かずに想像で書くという意味かと。
内容を読むと「行(おこな)いで書く」ということでした。
これ、いいんですかねえ?
調べると、こんなことが書かれていました。
これは昭和38年の本ですのでよかったんですね。
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「きりん」の復習

2025-02-26 08:48:03 | 足立巻一先生

児童詩誌「きりん」を復習しています。

これはわたしが所持する「きりん」の資料の一部。

現物の「きりん」11冊です。

昭和23年から46年までの23年間にわたり220号まで発行された子どもの詩と作文の本。

井上靖が「日本でもっとも美しい子どもの本を」と言って、当時の関西の詩人が欲得抜き、手弁当で編集発行したもの。

井上靖40歳、竹中郁43歳、足立卷一34歳、坂本遼43歳、尾崎橘郎34歳。

戦後荒廃した世相の中で奇跡のように美しい児童書が発行されたのでした。

わたしの小学校時代、用海小学校にも届けられ、各教室に置かれてありました。

北海道から九州まで、全国の子どもたちの詩や作文が載っています。

教師の協力なくてはできないこと。

そうして何万もの作品が残ったのでした。

今の時代では絶対に無理でしょう。

あの時代を井上靖は次のように言っています。

《私は終戦の20年8月から23年いっぱいくらいまでを、つまり終戦後三年半ばかりの間を、狐に化かされたような奇妙な季節だと思っている。その頃私の周囲にいた人全部が、多かれ少なかれ、狐に化かされていたのではないかと思う。

わたしはこの奇妙な、物の怪に憑かれたような三年半の時期を大阪で過ごした。(略)私が、竹中郁氏や足立卷一氏と繁く往来し始めたのはこのころである。竹中氏も足立氏も、やはり正常ではなかった。狐に化かされるか、物の怪に憑かれているか、でなければ多少得体の知れぬ病気に罹って発熱していた。》

わたしはその時代の子どもだったのです。わたしの教師も作文教育に熱心でした。特にわたしには「毎日作文を一つ書いてきなさい」と言った人でした。

さて「きりん」ですが、この号を見て下さい。

昭和38年3月号です。このころは充実していて、60ページ余りあります。

こどもの詩と綴り方と詩人の文章が載ってます。

竹中郁、坂本遼、足立卷一、灰谷健次郎、今江祥智、長新太など。

その中の竹中郁のページです。

一年生の、もとやまようこさんの詩を題材に詩の指導を懇切丁寧にしています。

ここに出てくる「坂本先生」というのは詩集『たんぽぽ』で有名な詩人、坂本遼のことです。

今、姫路文学館で「坂本遼展」が行われていますが、その坂本遼です。

この時代の「きりん」に関わった子どもたちは幸せだったと思います。

教師も充実感を味わったことでしょう。比して、今の教育現場はどうなんでしょうねえ。決して幸せとは言えないと思いますが。

 

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足立先生関連の本

2025-02-25 18:50:06 | 足立巻一先生
このところ足立先生関連の古い本を出して来てます。
 
これは、『きりんのあしあと』(澤田省三著2007年刊)。
 
 
著者の澤田さんからの手紙が挟まれていました。
 
わたしより年少だから今もお元気でしょう。
 
戦後の日本で奇跡的ともいえる児童誌『きりん』についての歴史が書かれています。
 
井上靖が、「日本で最も美しい子どもの雑誌を出しなさい。それが今一番必要なのだ」と言って生まれた児童誌。
 
こちらは東秀三さんの「足立巻一』と、庄野至さんの『足立さんの古い皮鞄』。
 
 
東さんも庄野さんもすでにお亡くなりになっています。
 
庄野さんの本には庄野さんからの手紙が挟んでありました。
そしてサインが。
 
サインのことも手紙のこともすっかり忘れていました。庄野さん、ごめんなさい。
 
さあ勉強です。
 
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
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ゲキトバという言葉

2025-02-25 10:06:53 | うんちく・小ネタ

ある詩の雑誌を読んでいたら、こんな言葉が載っていた。

ある詩の一部である。

「自身に激を 飛ばしただけの」と。

この「激」だが、これに「飛ばす」と続けば正しくは「檄」でなければならない。

しかしその場合、決して自分に飛ばすものではない。

人に(多くは意見を同じくする者に)決起を促す文書のこと。「檄文」などと使う。

スポーツ新聞がよく使っていた。「星野監督が檄を飛ばした」というように。多分記者は「激しく励ます」という意味で使ったのだろう。でもこれは大間違い。

さすがに最近は「檄」を使わずに「ゲキ」とカタカナにしているが、やはり誤用といっていいだろう。

さて、この詩の場合だが、作者は分っていてこう書いたのだろうか。だから「檄」ではなく励ます意味で「激」という字を使ったのだろうか。それならスポーツ新聞に習ったことになるが。

詩の前後を読んで考えて見たが、よくわからない。作者に聞くほかないか。

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病院で読んだ本

2025-02-24 15:22:37 | 健康・病気
今日は渡辺脳心臓血管センターでの検査と診察の予約日。
心電図検査はすぐに済んで、診察待ち。
いつものことだがこれが長い。
予約時間を一時間以上待って、やっと呼ばれる。
診察室に入ると、H澤先生は電話中。忙しい先生だ。
で、心電図の結果を見ながら「どうですか?」とおっしゃる。
「お陰で昨年の手術以来元気にさせてもらってます」とわたし。
H澤先生からは、「心電図は問題なしです」と言って下さる。
やれやれホッ。
診察室に入ってから出るまで、約1分ぐらいか。
「ではまた3ヶ月後に」ということになりました。
このあとまた会計で少々時間が。
で、持って行っていた本『ひょうご現代詩集』をほぼ読み終えました。
しかし、わたしの肌にピッタリ合うような詩にはなかなか出合えませんでした。
昔は杉山平一先生の詩などお気に入りがあったものですが。
中で以倉紘平さんの「豊饒」は好きでした。
ただ惜しいかな、誤字が一字。
まあ、文意を変えるものではなく、誤植とわかるのが救いですが。
 
 
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
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遠山さんの「おばちゃん」

2025-02-24 09:33:33 | 

今朝の神戸新聞「読者文芸」の特選詩です。

神戸新聞さん、遠山さん、記事拝借お許しを。

遠山耕二さんの「おばちゃん」ですが、いいですねえ。

ちっとも詩人ぶらずに平明な言葉で書かれています。

それでいて、無駄な言葉がなく、読む者の胸にじんわりと伝わります。

この詩を特選に推してくださった選者の時里さんに感謝です。

妻にも読み語ってやりました。

新聞の投稿欄はやはりこういった生活詩が主役にならないといけないと思うのです。

難しい詩人語が多用されるような詩は多少優れていてもこの欄にはそぐわないと思うのです。

もちろん、優秀な詩を落とす必要はないと思いますが。

昔、選者をしておられた足立巻一先生は、この欄で「優れた詩を落としたことはない」と言っておられました。

でも足立先生は、わたしが思うに生活詩を優先しておられたように思います。

多少完成度が足らなくてもその心を大事に見ておられた、とわたしは思うのです。

 

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「鶺鴒」23

2025-02-23 17:02:44 | 

江口節様よりお贈りいただきました詩誌「鶺鴒」23です。

表紙詩は増原順子さんの「池の月」。

主宰、発行者の江口節さんを含め15人の同人が作品を載せておられます。

皆さん、真面目な作風で、わたしも真面目に読ませていただきました。

それぞれ一生懸命書いておられるの分る詩で好感が持てます。

その中でも、工藤恵美子さんは『テニアン島』という詩集が話題になった人。

この度はその詩集とは異質の作品で、わたしには新鮮でした。

肩の力が抜けた詩で、新しい境地でしょうか。

これからも楽しみです。

 

 

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足立卷一先生の企て

2025-02-22 18:40:09 | 足立巻一先生

昨日、足立卷一先生の色紙の事を書いた。

これは村上翔雲師が、足立先生が催したチャリティー即売会で購入したものだろう、と。

そのことを裏付けるようなパンフレットをわたし所持している。

 

昭和59年に催された「編集工房ノア創立十周年記念 10年の歩み展」。40年ほども昔。

これの「ごあいさつ」を足立先生が書いておられる。

「この催しは私が出しゃばって企てたものです。」と。

そして「著者色紙展示即売」の説明書きにはこんなことが書かれている。

「なお色紙の売り上げは編集工房ノアへカンパいたします。」

足立先生はこんなことをしておられたのだ。本当に情の深い人だった。

これであの村上翔雲師の色紙のいきさつも想像できるというものだ。

わたし、この企画展に行きましたが、その時の恥ずかしいエピソードは書かない。

 

『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。

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足立先生の二冊の本

2025-02-22 09:12:51 | 足立巻一先生
あることを調べるために出してきました。
 
足立巻一先生の『夕暮れに苺を植えて』です。
 
 
わたしが初めて買った足立先生の著書。
 
これを読んだためにわたしの人生の「やちまた」の一つが定まったのでした。
 
人生の岐路の一つというわけです。
 
足立先生の魅力に取りつかれてしまったわけで。
 
写真には二冊写ってますが、このうちの一冊はあることで、足立先生のご長男、明さんから贈られたものです。
 
「父が好きだった本です。すでにお持ちでしょうが」と。
 
足立先生の書斎にあったものということ。
 
何冊か置いておられたのでしょう。そのうちの一冊。
 
 
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
 
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