喫茶 輪

コーヒーカップの耳

宝塚へ

2012-12-09 18:10:49 | 杉山平一先生

行って来ました。
朗読劇「杉山平一さんの文学と人生」
会場は先日「ブルーグラス45」のコンサートがあった、宝塚西公民館です。
阪急小林駅の近く。
立派な建物です。
Cimg2579 Cimg2580
宝塚西図書館も併設されています。
宝塚市長の中川智子さんも参加でした。
Cimg2582
軽妙で感動的なお話のあと「希望」を朗読されました。
改めて、こんな市長さん、いいなあと思いました。あと、お付きの人が急かして会の途中で名残惜しそうに出て行かれました。そりゃあ忙しいですよね。特に日曜日の市長さんなんて、あちこちの催し物に顔を出さなきゃならない。

このあと朗読劇。
Cimg2585
宝塚で活動する「朗読なずな」の会員さんの朗読です。
「わが心の自叙伝」を輪番に朗読。
そして、詩を五十数篇、次々と朗読されました。
詩はみなわたしの知るものばかりでしたが、こうして次々と朗読を聞かされると、自分で読むのとはまた違った世界に浸る思いがしました。たっぷりと杉山先生の世界に浸かって来ました。
ただ一点、ちょっと不満に思ったのは、詩と詩の間にもう少し間が欲しかったということです。
詩には余韻というものがあります。それを感じる間もなく次の詩に移ってしまうのは惜しいような気がしました。わたしは先生の詩を知っているからまだいいですが、会場に来ておられた聴衆の皆さまは、杉山詩にそれほど馴染んではおられない人のようでしたので、この点ちょっとと思った次第。
それにしても、宝塚は杉山先生を大事にされる。うらやましい思いをします。
神戸や芦屋や西宮はどうなんだろう?大阪も。

会場で、ある人から杉山先生の記事が載った新聞を頂きました。
12月1日付けサンケイ新聞夕刊です。
Img081←クリックImg081_2←クリック
うちの店に来られるお客様から聞いてはいましたが未見でしたのでありがたかったです。

コメント (2)
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「文学雑誌」

2012-12-09 10:58:02 | 杉山平一先生

うれしいなあ!
郵便受けに入ってました。
ノアさんが送ってきて下さいました。「文学雑誌」第88号です。
Img080
いい表紙だなあ。カット絵は当然杉山先生の手になるもの。
「杉山平一 追悼号」
読むのが楽しみ。
涸沢純平さん、ご配慮ありがとうございます。

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ニカラグァ米 11

2012-12-09 09:16:06 | 懐かしい話

承前

湯浅さんの北隣に蓑田さんがある。
あの、空気銃の被害者のたけしさんの家である。
たけしさんは、義雄さん清さんに次ぐ3男だった。
湯浅さんとは奥様同士が姉妹だった。
仮堂建設の世話人名簿には蓑田実の名が。
現在のご主人、清さんのご尊父である。
実さんは大工さんだった。だから、仮堂の建築を引き受けておられる。
たしか「日本盛」にお勤めの大工さんだった。
無口な人でゆっくり言葉を交わしたことを覚えていない。
やはり、わたしの子どものころの思い出だが、こちらでも一間の部屋でお暮らしだった。
玄関を入った所に土間があった。それを突き抜けると裏に出て、学校の煉瓦塀だった。
子どもさんは多かった。わたしがよく遊んだのは4男のまさひろ君だった。わたしより2歳ぐらい年下。ビー玉やベッタンなど、当時の子ども遊びの定番を毎日のようにした。
ある夏の日だったと思う。
いつも通り、用海小学校の破れた塀から校庭に入り、雑草が生い茂る草はらでトンボを追いかけた。そして珍しくギンヤンマを捕まえた。捕まえたギンヤンマをまさひろ君に持ってもらった。虫かごを持っていたわけではない。指に羽根を挟んで持ってもらっていたのである。片方の手に3匹挟める。親指と人差し指には挟みにくくて無理だった。
で、帰る時に、分けるのだが、なにかトラブルがあった。で、ケンカになった。わたしはかなり怒った。
彼は逃げて行って、家の中に入り込んだ。わたしは追いかけて行って家に入った。土間から見ると、部屋にはお母さんが座って何か用事をしておられた。縫物だったか。お母さんの名は「つぎ」さんだったと思う。この春、99歳で亡くなられた。
そのお母さんの後ろに彼は逃げた。ここに隠れたら安全とばかりに。
わたしはそれが許せなかった。家に逃げ込めば安心、お母さんの後ろに隠れたら安全と思う気持ちに益々腹が立った。
わたしは上がって行った。そして、お母さんが驚く間もなく、彼を一発殴って帰って来た。
このこと、わたしが覚えていたというより、このお母さんがことあるごとに話された。「きんちゃんは子どもの頃ゴンタやった。家にまで上がり込んでうちの子を叩いて行った」と。何度も何度も聞かされた。うちの家内も嫁入りして来てから聞かされている。
そのまさひろ君にこの春、お母さんの葬儀でお会いしたが、すっかり変わっていて、年月の流れを実感した。上のような話はする間もなかった。

つづく

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