Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ798. D51-791

2024年12月14日 | field work

 鉄道のエッセイが続いた。最後に過去の鉄画像をとりだした。画像が破損しphotoshopで読み込めない。こういうときはスクリーンショットが役立つ。物理的に元データ情報に依存しないのでトラブルはコピーされない。
 このとき鉄ちゃんに連れられ有楽町駅で撮影したと記憶。東京駅にSLが来る。それが珍しかったのか通勤電車の窓から乗客が見ている。そう昔の通勤電車は窓が開いた。つまりNOエアコンだった。
 出かけたら最前列は人だかりで後からカメラを上に掲げてメクラ撮影した。後で見返すと、こちらの方が面白い構図だ。もう1歩後に引いた方が鉄ちゃん達も撮影出来てよかったはずだ。ピントや露出は予めセッティングしておいた。ふと思うとマニュアルの便利さは、こんな場面で役立つ。たかだか光の量とシャッターの開く時間のコントロールだからオートにする必要はない。
 今でも映像ではピントは目測の方が使いやすいし、露出はマニュアル設定でISOオートが使いやすい。そんなことを思い起こす1枚である。
 SLが通り過ぎて「なんだデコイチか!」、と意欲消失した。今でもD51は山口線では観光列車として使われている。四つの動輪が回る姿は興味深いけれど、当時1,000台以上量産されたSL。量産されたというと帝国海軍の零戦と同類カテゴリーだ。従って食傷気味。今どきデコイチ如きじゃねぇー、なのである。前面の人間達を見ていると、こんなものに熱中しているようでは、たいした人間にはなれないぜ。帰り道にそう反省していた。
D51-719と車体番号があるので調べた。
1942-10-28/水三菱重工業神戸造船所新製、配属東京局、配置新鶴見区(着 11/7)
1945年5月29日:空襲被災 新鶴見区の庫内で駐機中4mの至近距離に25km爆弾が着弾。ロッドが折れ無数の鉄片が機体にめりこんだため修繕を要し大宮工機部に入場。
以後新鶴見機関区に配置。
1954年5月2日国府津機関区借入。
1962年12月30日国府津機関区借入。
1970年10月19日東海道本線高島貨物線電化記念列車(トップ画像の撮影日)
1971年2月1日大館機関区に配置。奥羽線貨物を牽引。
1971年10月26日廃車 
空襲で至近弾を受けながらも復活し、横浜の臨港線や東海道線で稼働し青森県で廃車になる。このように鉄道車両、とりわけ機関車は、全数では無いが記録が残されている場合がある。28年間活躍した機関車である。

1970年国鉄有楽町駅、Cano6L,50mm/F1.4
コメント
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