またワイドレンズで撮影した画像。狭隘な京都の街では、このワイドズームは、画面の中に被写体を納めやすく使いやすい。個人的には、夕方の裸電球が灯った風景が好きなようで、結構こうした場面を撮影している。
ところで撮影の教科書的な本を見ていると、画面の構図などまことしやかに解説してある。まあ、平面だから、何をどう配置するとか、どう組み合わせるといったことは、絵画同様に、必要な要素なのだろう。
私はデッサンを勉強していたし、デザインを仕事にしているのだが、その割には、そのあたりの事情を考慮したことがない。ファィンダーを見ていると、まあこんな案配で納まるといったアバウト感覚で、何気なく撮影している。といって教科書に書かれてあるような構図に縛られていると画面も面白みがなくなるからだ。
つまりは、写真教科書に書かれてある構図の話などは内容が大体幼稚で、どうでもよいことだ思われる。ポスターなどはグラフィックデザイナーがレイアウトしているわけだし、写真屋の構図理論なんて、私はほとんど信用していない。構図ではなく、納めやすさだろうと思っている。
ただ構図の勉強になるのは、映画である。京都の街は、著名な映画監督が撮影の舞台に多用している。例えば、大分古いものだが、オリベッティをスポンサーとし、市川崑監督の「京」というタイトルの、京文化をプロモーションした40分程の小作品がある。これは京都の街を、相当に優れたカメラアングルと、フィルム編集がなされており、見事だというほかない。いまだにこれが記憶に残っており、或いは潜在意識にすり込まれているのかもしれないが、時折こんな風に撮りたいと思い出すことがある。
そんな古い映画の記憶が、私の構図と編集の教科書なのかもしれない。
昨日は、 名古屋から戻ってきたら地面が濡れていた。 2ヶ月ぶりぐらいで京都にも雨が降ったようだ。そして今朝は外に出て叫びたいぐらいの待望の大雨だ。台風の余波がきた。本来ならば暑い残暑も、時折こうした台風の余波で一息つくのだが、今年はこれまで、それが皆無であった。
明日から建築学会で富山だ。ペンを持参してゆこう。
京都市新京極通、撮影日2010年7月9日
OLYMPUS PEN E-PL1,M.ZUIKO DIGITAL 9-18mm/f4-5.6
シャッター1/60,絞りf4,-1/3露出補正,焦点距離9mm,I
SO400,iFINISH