昨日の話題が転んだまま、今日も続けよう。
下側のCanon6Lは、1958年発売のフィルム機材だ。高校生の頃親父からもらったものだが今でも使える。セーム皮をストラップに巻き付けているあたりがなんとも律儀だった。
標準レンズで往年のフォトグラファー達が撮影したコントラストの高い日本の民俗的画像は大変魅力的であった。レンジファィンダー機材だからレンズ交換はできるが、標準レンズ並みに良い交換レンズが少なかった。
だからその後私もニコンF・システムに移ってしまった。なによりもパララックスがなく写そうとしている画像がストレートに見られる一眼レフは大変魅力的であったし、どのレンズも今でも使える性能を持っていた。当然その後はニコンフリークであった。
デジタル・オリンパスが登場する頃、ニコンから乗り換えてしまった。ニコンの3本のF2.8ズームはあげてしまったから、いまではFUJI FinepixS5proとツァイスのシステムが僅かに残るばかりである。
若い頃にすり込まれたDNAのなせるわざか今もCanonを研究用機材として使用している。今のE0S1Dsと並べてみると半世紀の時間が流れている。それも個人的には、色々と意味づけ深い半世紀である。
Canonというと標準レンズが真っ先に思い浮かぶ。半世紀前も、そして今も標準レンズを多用している。さらには、この画像もLEICAの標準レンズであり、標準レンズづくしというわけだ。
黒ずくめのファッションで標準レンズを付けたCanonの機材というのは、映画「第三の男」に通じる格好良さがある。キャノンにはミステリアスな黒が大変よく似合う。
それにしても同じ画像情報を得るのにデジタル機材は随分大きくなった。ニコンでもキャノンでも、フィルム時代のレンズシステムを引き継ぐと、どうしてもこうなってしまう。それはある種ユーザーにとっては喜ばしいことだが、時にはオリンパスやソニーのようにスパッと割り切ったほうが、先進的な機材になるけどな。
それにしてもこのPanasonic製SUMMILUXは線の細い結構シャープな良い写りをする。OEMとはいえ、LEITZのDNAが組み込まれているかのようだ。
OLYMPUS E-M5 LEICA SUMMILUX25mm/F1.4
ISO500,露出補正-1,f/2.8.1/180
下側のCanon6Lは、1958年発売のフィルム機材だ。高校生の頃親父からもらったものだが今でも使える。セーム皮をストラップに巻き付けているあたりがなんとも律儀だった。
標準レンズで往年のフォトグラファー達が撮影したコントラストの高い日本の民俗的画像は大変魅力的であった。レンジファィンダー機材だからレンズ交換はできるが、標準レンズ並みに良い交換レンズが少なかった。
だからその後私もニコンF・システムに移ってしまった。なによりもパララックスがなく写そうとしている画像がストレートに見られる一眼レフは大変魅力的であったし、どのレンズも今でも使える性能を持っていた。当然その後はニコンフリークであった。
デジタル・オリンパスが登場する頃、ニコンから乗り換えてしまった。ニコンの3本のF2.8ズームはあげてしまったから、いまではFUJI FinepixS5proとツァイスのシステムが僅かに残るばかりである。
若い頃にすり込まれたDNAのなせるわざか今もCanonを研究用機材として使用している。今のE0S1Dsと並べてみると半世紀の時間が流れている。それも個人的には、色々と意味づけ深い半世紀である。
Canonというと標準レンズが真っ先に思い浮かぶ。半世紀前も、そして今も標準レンズを多用している。さらには、この画像もLEICAの標準レンズであり、標準レンズづくしというわけだ。
黒ずくめのファッションで標準レンズを付けたCanonの機材というのは、映画「第三の男」に通じる格好良さがある。キャノンにはミステリアスな黒が大変よく似合う。
それにしても同じ画像情報を得るのにデジタル機材は随分大きくなった。ニコンでもキャノンでも、フィルム時代のレンズシステムを引き継ぐと、どうしてもこうなってしまう。それはある種ユーザーにとっては喜ばしいことだが、時にはオリンパスやソニーのようにスパッと割り切ったほうが、先進的な機材になるけどな。
それにしてもこのPanasonic製SUMMILUXは線の細い結構シャープな良い写りをする。OEMとはいえ、LEITZのDNAが組み込まれているかのようだ。
OLYMPUS E-M5 LEICA SUMMILUX25mm/F1.4
ISO500,露出補正-1,f/2.8.1/180