Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

EOSな日221. オキシトシン

2020年01月13日 | field work

 

 昨日のブログで家族は、生殖・生育システムと書いた。いや、うちはそんな即物的ではなく、チャンと夫婦、子供、ともども家族の愛情がある、と反論が登場するだろう。それは否定しないが、でもそんな情緒的な話だけかい?、ほかになんか共有とか共感の経験はないの??、とこちらは首をひねるだろう。

 年末仕事をしながらNHK番組の再放送を横目でみていた(BS世界のドキュメンタリー「愛を科学する」2019年6月13日初放映)。

 その愛情とは何か、スキンシップやセックスで脳内に分泌されるオキシトシンというホルモンが分泌することによって愛情がわくというのが、今の科学の知見だとする番組だった。オキシトシンが分泌されると、闘争欲や遁世欲、恐怖心が減少させられ、男と女、夫と妻、親子、人間と動物も含まれるのだろうけど、愛情や母乳の量、乳児の発育などに影響を与える。つまり良好な人間関係が築かれているときに分泌される脳内ホルモンだそうだ。つまり愛情とは、オキシトシンの分泌によって起こると結論づけられていた。そのオキシトシンよりさらに効果が高いのが合成麻薬MDMAであると番組は伝えていた。

 MDMAは、昨年11月、沼尻エリカが逮捕されたことでも話題になったあの薬物だ。私の理解では、タレントは身体が資本だから体育会系的体質でしょう。だからMDMAを服用して乱交パーティーをでもやっちまったのかな。そこまで快楽を極め尽くしたら、人生や仕事に不満や後悔はないと思うけどな。

 さてオキシトシンに話を戻すと、男と女は最初はラブラブでオキシトシンも大量に分泌されている。やがて数年経ち男と女の間に倦怠期が訪れる。科学的にいえばオキシトシンが分泌されなくなったということで説明ができそうだ。

 何年も男と女が一緒に長い年月を暮らす家族も同様でしょう。長い年月の間にオキシトシンが分泌されないのだから愛情もない。にもかかわらず、家族愛だと言い張るところに、疑似家族や仮面夫婦といった言葉でしめされる感情の形骸化や形式化が始まるのでしょう。ましてカソリックの国ならば離婚はできない。だから愛情がなくても愛するそぶりが必要になるという実に面倒な世界だ。

 つまり愛は感情ではなく、脳内ホルモンの影響だというのが科学の知見である。だから、なんかあいつと一発やりてぇー気分でオキシトシンが分泌され始め、でっ濃密にセックスしたあとフルに分泌されて愛情がわくというのが科学の見方であり順序であり、素直な人間の行動なのだろう。

 科学の知見でまとめると、一発やりてぇー!、が先、愛情はセックスの後にわくものです!。そうした科学の知見で得られた順序をひっくり返したのが恋愛小説だ。だって小説の書き出しから一発やったなんて話から書き始めたのではポルノ小説になってしまう。だからポルノ小説と恋愛小説は表裏一体の構造をなしている。表から見た愛は、裏からみるとセックスだったわけであり、この2つの言葉は同義語だということになる。


ポルトガル・ボルト

EOS1DsMark3、EF28-300mm/F3.5-5.6L,IS,USM

ISO800,焦点距離100mm,露出補正0,f/9,1/250

 

コメント
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