トップ画像は、1月10日のブログで書いた妄想の小樽の翆のイメージかな。翆は姉さん気質だし、僕が湯冷めしそうになると身体で暖めてくれるというぐらいの即物的行動だから元は他県の公立病院に勤めていたナースだった。2番目の画像は翆のアパートイメージ。実際小樽は、こうした木造建築が今でも少しばかり残っている。3番目は氷点下の凍てつく寒さだ。そして4番目は、小樽の飲み屋や寿司屋がある界隈。右側の鉄道のガード下を抜けると珈琲を飲みに出かける小樽の商店街。そんな風に妄想の旅・小樽のイメージを広げてみたが手元に冬の雪の小樽の画像がないので私のイメージとは大分異なる。じゃ、いざ!、撮影にゆくかと思ったが今年は暖冬で肝心の雪がない。
冬の小樽ほど旅に出かけたいと思うが実際にゆくことはなく冬が過ぎてゆく。
さて堀越庸夫さんの「蒸気機関車がいた時代」とする画像がWEBにアップされている。それは函館本線の倶知安から小樽に至るいくつかの峠越えで国産最大の蒸気機関車が走る鉄道写真だ。
堀越さんは当時の撮影についてを次のようにWEBで述べている。
「初めて冬の北海道に渡ったのは昭和41年の3月。巨大なC62が重連で長万部-小樽間のいくつもの雪の峠道を全力で走り抜ける姿に言葉も出ないほど打ちのめされた。その後、毎冬北海道に行くたびに何日も撮影に費やしたが、圧倒的な存在感に押され、どうやって撮ればよいのか最後まで迷っていたような気がする。」
このWEBサイトには、迫力ある蒸気機関車の画像が数多くアップされている。そうしたSL画像の端々に昭和の頃の小樽や北海道の空気が漂っている。今は、そんな古い木造民家が建ち並ぶ小樽でもないが、それでも所々でみかけることがある。
そんな昭和の頃の地方の生活の風景を数多く撮影したのは、民俗学者の宮本常一。泊まった民宿1200軒以上というぐらいだから、ほぼ昭和の日本の風景が全国的に実にマニアックに撮影記録されている。そこには、まだ豊かとはいえない地方の姿、といって不幸だとも思われない姿が生き生きと写されている。そうした風景の多くは、今は既になくなってしまった日本の風景だ。地球何周分かを歩き回って日本全国を踏破し、小さな機材で記録されていた。
こうした物事の全てを記録撮影しようとする周到な姿勢は誰に学んだのだろうか。それは、やはりあいつだ!、今和次郎!!。東京芸術大学出身の画家であり、その後民族学をはじめとして多分野の活動を行ってきた著名な学者・研究者である。その記録をみると詳細なスケッチばかりだ。
宮本も今も、調査の記録をビジュアルイメージとして記録している点で共通している。そんなわけで私の民俗学の関心は、宮本-今という軸が形成され、退屈な柳田國男を迂回している。柳田は全国の民俗調査の中から、どこの地方にも適用できる一般的特性は何かという視点に関心があった。
しかし地方には、それぞれなりのとらえ方や、やり方があるのだ。従ってどこの地方にも適用できる一般的特性などは、存在しないのである。だから地方毎に異なる要素は柳田の手元から抜け落ちてゆく。つまり柳田の方法論は間違っていたことになる。
というのも、どの地方にも適応できる民俗学の一般的法則性を柳田は見いだしたかといえば、そんなものはかなったと私は結論づけている。一般化できないからこそ、それぞれの生活をもった日本の地方が形成されていると理解したほうが民俗学としては興味深い。もし、共通する一般的特性という視点で見るならば、それは民俗学を越えた分野であり視点だろう、哲学とか、人間とか、自然科学とか・・・、の事だろう。
さて小樽の翆の話を書くつもりが、アカデミックな話になってしまった。さて小樽の話に戻らねば・・・。
堀越康夫(2020年1月10日時点):http://locomotivesteam.web.fc2.com/PhotoTeine3.htm
1)尾道(2014年6月7日)
OLUMPUS E-M1,M.ZUIKO DG17mm/F1.7
ISO1600,焦点距離17mm,露出補正-0.3,f/1.8,1/60
2)小樽(2012年6月24日)
OLUMPUS E-P3,Leica Macro Elmarit Asph 45mm/F2.8
ISO250,焦点距離45mm,露出補正-0.3,f/2.8,1/100
3)滋賀県米原市柏原(2013年2月9日)
OLUMPUS E-PM2,Leica Macro Elmarit Asph 45mm/F2.8
ISO800,焦点距離45mm,露出補正0,f/2.8,1/1000
4)小樽(2012年6月24日)
OLUMPUS E-M5,M.ZUIKO DG ED9-18mm,F/4.5,1/80
ISO320,焦点距離10mm,露出補正-0.3,f/4.5,1/80