Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし310. 葵祭

2010年05月16日 | Kyoto city
 京都では、昨日葵祭が行われた。下鴨神社の観覧席から糺すの杜に入ってくる行列を撮影し、その後で出雲路橋の鳳舞に出向き中華粥などをいただこうと目論んでいたら、観戦席は早々に売り切れであった。企画倒れである。
 ならば今年は休日に重なり人出も多そうだから、加茂街道あたりから遠目に撮影することにした。高倉の自宅を出て、自転車で鴨川沿いのサイクリングロードを上がった。この時期の鴨川沿いは新緑が大変美しく、心地よいサイクリングだ。案の定加茂街道沿いは人の列になっている。遠くで警官が歩道に出ないでくださいと騒いでいるのが聞こえる。こちらには関係ないなと思いながら、対岸の土手に寝転び行列を待つことにした。タンポポの種子を飛ばしながら気長に構えていると、初夏の日差しが強くなってきたことを実感する。
 やがて葵祭の行列が静かにやってくる。音のない静かな祭である。そばで見ていても遠くで見ていても、あまり関係がないようだ。
 行列を対岸の土手から追いかていたら、御園橋まで来てしまった。さてこの時期上賀茂神社の隣にある太田神社に自生する杜若でも撮って帰ろうかと思ったが、人出が多いのでパスした。帰り道に再び鴨川沿いを自転車で下っていたら、30分程で松原通りまでたどり着いた。京都は街が小さいから、意外に自転車が便利だという再認識である。
 あとはビールでも買って汗ばんだ体でも醒まそう。一昨日、デザインサーベイで白川郷・金沢に出かけた二日酔い疲れの余韻もあり、休日のすこし心地よいほろ酔い加減だ。

京都市・加茂街道,2010年5月15日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AFNikkor80-200mm/f2.8D
シャッター:1/250,絞りf2.8,焦点距離200mm,ISO160,カラーモードF2
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京都暮らし309. 白川郷へ

2010年05月15日 | Kyoto city
 大学のデザインサーベイで、学生達と世界遺産白川郷に出かけた。山間の集落なのに、ビジター達がそこそこやってくるあたりは世界遺産たる所以だろう。
 この小さな集落が、これまで多くの人間達に撮影されてきたので、もう新しいアングルはないといわんばかりであり、今更私が撮影してもしょうがないのだが、カレンダーのような画像でもアップさせておいた。
 昔から、結(ゆい)というこの村独自の組織があり、屋根の葺き替をはじめ、この村の暮らしに必要なことは、村人達が協働で行うしきたりがある。それがこの風土でくらす人々の智恵だったのであり、今でも継承されている。だから特徴ある合掌造りの茅葺きの民家が数多く立ち並らぶ景観が今でも数多く維持され、この村の個性となっている。世界遺産に評価されたのも、この結という共同体組織の存在が大変大きいと聞いたことがある。
 従って今でも村の暮らしがあり、その上に観光というフィルターが乗せられているのだから、それらがどのように帳尻を合わせて行くかは、なかなか大変なことだろうと思われる。
 ともあれ新緑の大変美しいときに、私達が訪れることができたのは幸運だった。少し寒かったが森林浴の気分で、小さな村を散策していた。

岐阜県大野郡白川村,撮影日2010年5月13日
FUJI S5pro,AF-S Nikkor16-85mm/F3.5-5.6ED,VR
シャッター:1/250,絞りf11,焦点距離85mm,ISO640.
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京都暮らし308. 雨の古都

2010年05月12日 | Kyoto city
 この時期に、もし京都の街を徘徊しようとして、朝から雨だったら、それは普段の心がけが良いと思っていただきたい。雨に濡れた民家の瓦屋根は美しく、庭は雨に濡れて新緑が生き生きとし、そして苔は美しい。初夏の京都の街は、雨が降った時こそ、古都らしいたたずまいが堪能できるからだ。
 その雨も降ったりやんだりが多いので、フードのついたレインウェアがあれば便利だ。身支度さえすれば雨の日は楽しめる。これから梅雨もあるし、雨の降る機会が増えるだろう。湿っぽいなんて言ってないで、前向きに捉えれば、暑くなく寒くもない調度良い時期なのだ。
 撮影するのにも、天気が良いときは、陽の当たるところと日陰とのコントラストがありすぎて、ラチチュードの狭いデジカメでは全部の風景を描写するのは困難なのだ。それに最近のデジカメは、防滴処理位されているので、少しの水かがりでは影響がない。だから、雨が降った時こそ、大いに街を徘徊するべきだと私は思う。
 雨が降って困るのは、葵祭と祗園祭の山鉾巡行位である。こればかりは雨が降ると順延ないしは、山鉾の同掛けなどが、雨用のものに取れ変えられてしまうからだ。
 そういえば、今週の土曜日は葵祭である。土曜日の故か観覧席のチケットは大方売り切れたようだ。私は、水曜日から金曜日まで大学の授業やデザインサーベイに出張するので、このブログも次は金曜日以降にアップさせることにする。
 
京都市・青連院,2010年5月11日.
Fuji FinepixS5pro,AFMicroNikkor60mm/f2.8
シャッター:1/80,絞りf8,露出補正2/3,ISO1600カラーモードF2.
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 京都暮らし307. ヒューマンウオッチング

2010年05月11日 | Kyoto city
 自宅からバスで35分ほどゆくと天龍寺がある。嵐山の中でここの庭園は、何時出かけても見所或いは被写体がある。今の時期ならばサツキや杜若(カキツバタ)が盛んだ。朝早く或いは夕方、そして今の季節ならば、あえて雨の日に訪れたい。
 庭園を徘徊するのも面白いが、同様に面白いのがヒューマンウォッチングである。観光地は、人間が開放的になるためか、どこか生地のままの姿が現れる。一番多くウォッチングできるのがカップルなのだが、当然親しなったばかりで楽しそうなデートであったり、嫌々彼女に付き合ってきたり、喧嘩中であったり、怪しい関係であったり、と人間模様を感じさせてくれる。それに撮影していると、回りの環境に対して敏感になるためか、音が-つまり話し声がよく聞こえるのである。
 それに大方の訪問者は足早に通り過ぎてゆくので、お寺の縁側で庭を見ながらウォッチングしていると、次々に多彩なカップルが登場し、映画をみているような面白さがある。そんなことをしていると1時間位はすぐに経ってしまう。
 天龍寺は、訪れる人も大変多いので、ヒューマンウォッチングには格好の場所である。そんな庭園の見方いや聞き方があるのかもしれない(笑)。

京都市・天龍寺,2010年5月8日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf8,ISO320カラーモードF2.
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京都暮らし306. 複製可能な技術

2010年05月09日 | Kyoto city
 土曜日の昼過ぎに嵐山を散策した。真上に太陽が来るこの時間帯は風景の明暗のコントラストが強すぎて、撮影する側には好まれないのだが、樹木の多い嵐山は木漏れ日などのように、微妙な光が時折垣間見える事が多い。そんな微妙な光を求めての散策であった。
 そんなことをしていると、休日とはいえ随分暇なライフスタイルだと我ながら思う。振り返れば、プロデュース企業時代のプロジェクトで分刻みに走り回り、時代の最前列にいた頃とくらべれば大変な違いであり、リタイアメント感覚に近い。大学というのは、そういうところなのだろう。まして京都に隠遁しているのだから、傍観者的ライフスタイルで物事をみているという、従来からは信じられない根性が身についてしまった。
 京都という街も1200年の間に、政治は頻繁に変わり、その都度人々は右往左往させられ、応仁の乱というつまらない内乱で街は灰燼にきしたといった歴史があるから、傍観者的な気質が形成されてきたのかもしれない。一々時々の政府の見解など聞いていてもしゃあないやろ、だから先ずは傍観しているという歴史的知見であり、京都人の身の処し方だろうか。
 話題は変わるが、日本経済は技術で世界経済に立ち上がろうとする今の世論の論調は傍観者でも気になるところである。技術という一般解は複製されやすい特質がある。かつての日本も大いに複製して技術立国になったのではないか。それが今の開発途上国の姿なのである。そんな複製可能な技術だけで世界経済を走ることはできないと個人的には考えている。技術は、複製されないプロテクターがあって自立できるのである。そんなプロテクターの一つがブランド化なのだろう。
 こんなことを書き出したのも、夏休みにデザインと経済を縫合したプロダクトデザインの講義内容を、考えていたからかも知れない。暇な話題から、いきなり難しい話になった。

京都市・嵐山,2010年5月8日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4,ISO500カラーモードF2.
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京都暮らし305. 食傷気味の馬づくし

2010年05月09日 | Kyoto city
 また馬か!、とブログを書く側もゲンナリするのだが、上賀茂神社の競馬と同日に藤森神社では駆馬神事が奉納されており、駆馬の技(曲芸の影響もあるが)が披露される。馬づくしの連休なのである。
 これだけ馬が登場する土地柄であるから、当然のことながらG1レースである春の天皇賞や最長コースで競われる菊花賞が開催される京都競馬場が伏見にガンとそびえている。以前秋の菊花賞で遊び半分で馬券を買ったら、当たりましたねぇー。コースが長いため毎年番狂わせがあるのだ。また、あるときは出走直後に「アアッ」という大きなどよめきがあり、一番人気の武豊が落馬したり、ときには万馬券(100円の馬券が10,000円になって戻ってくる-あやかりたかった!)といった具合に、予想外の出来事続出で大変興奮させてくれる競馬場である。
 さて食傷気味の馬の画像であるが、こんなのでもアップさせておこう。明日はもう少し爽やかな画像で息抜きをしたい。

京都市・上賀茂神社,2010年5月5日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/640,絞りf5.6,焦点距離400mm,ISO400.
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京都暮らし304. アドビの色調

2010年05月06日 | Kyoto city
 連休中に今度は上賀茂神社の競馬(くらべうま)へ出かけた。平安時代から続く行事で、馬出の桜の木を出発点として、勝負の楓の木をゴールとする200mの間を二騎の馬が、スピードや作法や乗馬技術を競うというものである。五番勝負であるが、神様は三番迄みると「あとはよきにはからえ」といって帰ってしまうそうだ。
 このブログも馬ばかりの四番勝負まできているので、いささか食傷気味である。この時期馬が登場する催事が多いのだからなのだが、この先15日には、葵祭がある。あっ、これは馬ではなく牛か!。
 この日もキャノンEOSにいつもの望遠ズームをかついで出かけ、コースの正面に納まる位置で構えた。レンズを一杯に伸ばし600mm相当で、馬出の出発点あたりを見るとかなり小さく見える。
 こうなるとより長いレンズ!、となると私の手元にある1000mmのレフレックスレンズだが、勿論マニュアルだから、予めコースの任意の場所にピントを合わせ、そこを馬が通りかかったら連射をする他ない。そんな面倒をする意欲はないし三脚迄持参するのも面倒だ。
 というわけで撮影後に、トリミングすることにした。その後でPhotoshopで色調やコントラストを整えシャープネスをかけたので、もはやキャノンの色調ではなくadobeの色調である。
 キャノンのjpg元画像をみると眠たく感じられあまり発色が良くない。そこで後処理が必須になるわけだ。むしろRAWで撮影して後処理でいかようにも修正して見栄えが良くなるところにキャノン画像の特徴があるのだろう。
 だが私はリバーサルフィルム志向だから、撮影したら終わりで後処理はしないのだ。私のような人には、キャノンの撮影機材は向かないのだろう。

京都市・上賀茂神社,2010年5月5日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/800,絞りf5.6,焦点距離400mm,ISO400.
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京都暮らし302. 一寸撮影機材談義など

2010年05月06日 | Kyoto city
 昨日、一昨日と昼間は少し暑く感じられ、先週まで炬燵を広げていたと思ったら、今週は冷房を入れだした。暦の上では昨日から初夏である。
 1月の成人式の通し矢に引き続き、流鏑馬でも相変わらず矢を射る瞬間を捉えようと私は躍起になっていた。まあ流鏑馬は、結果としてEOS40Dの6.5コマ/秒の連射なので、その瞬間を撮影する練習をするのには、もってこいの被写体である。今日の画像も矢を射った瞬間が捉えられた。1/400秒でも矢がぶれていることがわかる。
 このような動的な被写体に対しては、AFがきびきびと合焦するキャノンは大変使いやすい。それにズームレンズを一杯に伸ばして600mm相当になっているわけだし、当然手ぶれ補正がついているのは有り難い。スポーツ関係者の多くがキャノンを使用するというのは、よく理解できる。だから私も曲のあるキャノンの色を我慢して使わざるを得ない時がある。私は、このような緑の多い被写体の場合、Photoshopで修正しAdobeの色としている。勿論トリミングもしている。
 ただこの俊足な機材で風景を撮影したいとは思わないので、そこは発色が良く大いにノンビリしたマニュアルフォーカスのFujiS5だろう。今はそんな風に使い分けている。
 そういえば2008年1月2日のブログでも書いたが、昔の私の機材も標準レンズはキャノンで、それ以外はニコンだったという相乗りスタイルと変わらない。日本は世界一の撮影機材生産国なのだから、それ位の贅沢はありかと思っている。
 横浜に住んでいた頃は、今のキャノンシステムで波とサーファーを撮影していた事を思い出した。京都は海が日本海と遠いからから、先ず馬だな。

京都市・下鴨神社,2010年5月3日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/400,絞りf5.6,焦点距離390mm,ISO800.
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京都暮らし301. 流鏑馬そして初夏の気配

2010年05月05日 | Kyoto city
 5月3日に世界遺産である下鴨神社・糺の森で行われた流鏑馬にでかけた。
 私は、もう何回も出かけている催事である。そんなわけで今回は、平安時代の装束で矢を的に向けて離した瞬間の画像でもアップさせておこう。100m間隔に立てられた三つの的を射るわけだ。各的の間を馬は5秒ぐらいで駆け抜けて行く。動くものの一瞬を撮影するという練習には、調度良い催事である。といって京都では、これが一番動的だと思うが。
 糺の森に行くと、早くも朝から来ている連中達が三脚を立てて最前列の良い撮影スポットを占拠している。私は、そんな人達の僅かな隙間に潜り込み、脚立を立てて手持ちで撮影した。それにしても、ここでの機材はキャノン+望遠ズームというのが圧倒的に多い。十人に一人キャノン以外がいるかいないかといった程度だ。やはりキャノンの方がAFが早いし、一瞬を捉える道具として大変使えるのであろう。
 目の前の朝から来ているという最前列のフランス人は、三脚を立て最新の80-200mmズームレンズ+キャノン7Dを使用していた。確認画像を背後から観察すると、あれ!以外にいい色ではないかと感心したりする。この機種は、ファインダーが大変優れており、私もグラッとしてしまう機種だ。
 こうした風景を観察していると面白い。流鏑馬が始まる頃になると、複数のEOS1Dmark4に明るいEFズームレンズというプロ以上のリッチな機材を抱えた素人オッサンが登場したりする。機材はプロ並み以上でも意識は私達以下であり、肝心なものを忘れている。脚立である。これなくしては、遅く来ると何も撮れないからだ。催事の撮影では、機材はボロでもよいが脚立は必須なのである。そんな姿を見ると、ホント機材が泣くぜと周囲から冷たい視線が飛ぶ。オッサンは、程なく引き上げていった。
 京都も昼間は、突然少し暑くなってきた。春を通り越し夏の気配が濃厚だ、この催事の頃は、いつも夏の始まりを感じさせてくれる。流鏑馬は、初夏を告げる京都の伝統行事なのであろう。

京都市・下鴨神社,2010年5月3日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/320,絞りf5.6,焦点距離400mm,ISO800.
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京都暮らし300. 続・日吉館の記憶

2010年05月04日 | Kyoto city
 京都暮らしのシリーズも300回になった。ブログ全体では、3年近く続けているので、どれぐらいの回数を重ねたことか。
 さて日吉館、大学時代に見事に罠にはまった出来事の翌年に学外授業で再度日吉館に泊まるハメになった。今度は日本美術史の先生もいる、という気楽さもあり、我々は多いにすき焼きを食べ且つ飲んだ。今度は気楽な学外演習だ。大体引率の先生からして、奈良博の元学芸員だったし、有り難いことに酒のみだ。芸術学を専攻する同級生のM君は、博物館の暗い廊下で鬱積したストレスを発散していたんだという、とんでもない自説を展開していた。
 夜私達は日吉館の宴会のお酒で大いに盛り上がり、そして夜もふけたのでお開き、と思いきや!。出たいつもマークされている酒豪のS君が暴れ回ってちん入しているではないか。それもお決まりの女子の部屋から、豚をひき殺すようなちんきな女子共の悲鳴が聞こえてくる。他の大学生達からは、筑波大学って恐ろしいところですねぇー、と言われ、私としてはワッハッハッの世界である。面倒見の良いM君が、酒豪をなだめようと、せわしなく動き回っている。酒豪をなだめたいのか、女子部屋に行きたいのか真意はわからんが。そんな珍奇な騒動をしているうちに私は、お酒に酔ったこともあり寝てしまった。まあ翌日は何事もなかったようにみんな、しらけきって奈良の寺社を徘徊していたが。
 M君には後日談があって、さらに翌年また学外演習で奈良にゆくはめに。まあ、引率の長谷川誠という日本美術史の先生から可愛がられていたし、なよりも若いくせに大人のお酒の相手ができるという先生にとっては重宝な人材だったのでまた日吉館に泊まり込んでいた。でっ、あるとき長谷川先生の酒飲もう!という執拗な誘いを断り、日吉館のすき焼きの夕飯時前にトンズラしたわけだ。でっ、どこに言ったかというと、なんとあのクラシックな老舗の奈良ホテルへ一人で出かけ、私から借り出したジャケットにネクタイを締め、ダイニングを食べに出かけたというではないか。まあ、一度は奈良ホテルで食べたかったというのが彼の最大の理由なのだ。そんな豪傑達の話を、いくつも生んでくれたのが、日吉館である。
 日吉館に泊まると、この歪んだ廊下のある少し傾いた建築の中で、一生忘れることのない可笑しくも笑えるも思い出をたくさんつくってくれた、大変素晴らしい旅館なのである。
 さて、女子部屋にちん入した酒豪のS君だが、その後名古屋で再会し、僕と10年間お酒を飲んでくれた。その後S君が50歳を過ぎてから、子供が出来ない体質だといっていた若く綺麗でスレンダーなフィリピーナを孕ませて一子を設け故郷の静岡県に帰ってしまった。その後S君がどうしているかを探るのは、これからの楽しみだろう。

奈良市,奈良県庁,2010年4月29日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AFNikkor80-200mm/f2.8D
シャッター:1/250,絞りf16,ISO640,カラーモードF2
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京都暮らし299. 日吉館の記憶

2010年05月03日 | Kyoto city
 東大寺に向かう手前の古い民家が建ち並ぶ一角に日吉館はあった。
 私の大学でもそうだったのだが、日本の美術大学は、古美術の勉強のために1~2週間は、奈良・京都に行かされるのが必修科目なのである。だから日吉館は、そのための研修に訪れる学生が長期間泊まれるリーズナブルな旅館として、私達の間では大変著名なのであった。それに夕飯はすき焼き鍋で、若い胃袋を満たしてくれたことも、多くの学生の記憶にある。 
 もちろん我が国の古美術の研究者や作家も多く宿泊した。往事の宿泊人名簿を孫引きすると、亀井勝一郎、広津和郎、杉本健吉、西村貞、青野季吉、志賀直哉、小林秀雄、阿部知二、滝井孝作、三好達治、西東三鬼、水原秋桜子、谷川徹三、東野英治郎、芥川比呂志……とあり、昭和の文化人達のサロンであったことがうかがえる。
 この旅館の女将の一代記は、昭和47年にNHKの朝ドラ「あおによし」となって放映された。
 私が学生時代に男2人、女3人のグループで、奈良を徘徊した時に初めて日吉館に泊まった。受付の若いお兄ちゃんが「一緒ですかぁー!」と言うから、私は一緒のグループに決まってるジャンとおもいながら「はい!」と返事をし、離れの建物に案内された。ああここで食事かぁーと寝転んでいた。やがて食事も終わり、それにしても俺たちの部屋はどこなんだろうと思ったが、一向に案内してくれる気配がない。そこで件のお兄ちゃんに尋ねたら、「あれっ、一緒だというから一緒の部屋にしときましたよ!、えっ違うの!!、今日は一杯で部屋ないょ!!!」という始末だ。そういえば、受付でクスクス笑っている奴がいた。一緒というのは、部屋が一緒で良いかという意味だったのである。
 でっ、なんとか頼み込み私達男2人は、布団部屋で泊まることになった。そして翌日から元気に奈良を徘徊していたのである。ここに泊まると何かしら思い出をつくってくれるのであった。
 日吉館は20年前に廃業し、その後女将も亡くなり、現在は更地になっている。

奈良市,若草山,2010年4月29日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AFNikkor80-200mm/f2.8D
シャッター:1/250,絞りf16,ISO500,カラーモードF2
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京都暮らし298. トラブルから立ち直り

2010年05月02日 | Kyoto city
 何が原因だったのか不明だが、インスペクタのサイト名を変えたら、MobileMeに接続できた。そこで再度以前の名前にもどしたら、今度はスムーズにつながったわけだ。こうした方法が適切だったかはわからないが、今は従来通りiWebは稼働している。
 MobileMeに接続できないときは、示されるメッセージに振り回された。インターネットの設定をし直せ、公開中のエラー等々である。
 そこで先ず今まで読まなかったMacのトラブルシューティングを熟読し、iDiskの重たいファィルを削除し、LAN配線を確認し、ファイルに公開し、あげくのはてにノートPCにドメインをコピーしてみたり、そのどれを試してもMobileMeに接続できなかった。さらには、OSの再インストールや新しいiMacの購入なども考え、MacOS10.5のトラブルシューティングの本をお急ぎ宅急便でアマゾンに注文した。
 私は、OS10.5を使うようになってから、今までマニュアルを参照することはなかったが、このようなトラブルがあると勉強するようだ。今のMacはOS10.6なのだが、周辺ソフトが対応していない上に、トラブルシューティングの本が刊行されていないので、まだ現在のOSを使う必要がありそうだ。
 天気が大変良いのにもかかわらず、まる二日間は家に閉じこもっていた。やれやれといった気分であり、ようやく連休モードになりそうだ。もちろんiWebがこれからもトラブらなければだが。

奈良市,興福寺,2010年4月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/125,絞りf8,ISO160,カラーモードF2
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京都暮らし297. iWebはトラブルだった!

2010年05月01日 | Kyoto city
 新薬師寺のブログを書いたあとに、次に入江泰𠮷記念奈良市美術館のブログをアップロードさせようとしたときから、私のiWebは三日間アップロードできないトラブルに見舞われた。アップルのトラブルシューティングを参考に回復を試みても原因不明で直らない。
 やむなくメールでappleに打診したら、アメリカ西部から、コロルドというアドバイザーから返信メールが届いた。今もいくつかやりとりをしている。
 最後の手段として一時的にサイト名を変更してアップロードしたら、ようやくつながった。そこでもう一度以前のサイト名に戻して復帰したようだ。この三日間は、七転八倒だった。 
 今晩あたり届く予定のコロルドからの返信メールを見ながら、また手直しをするかもしれない。しかし、アメリカは多民族国家だと実感させられた。流ちょうな日本語でメールが来るのだから。つまりユーザーが日本人であれ、中国人であれ、ユーザーの国の流ちょうな言葉で、返事が打てるぐらいの人材がアメリカには普通に居るということだろうか。
 こういうところを見ると、母国のPCだ、俺たちで面倒を見るというアメリカン・スピリッツを感じさせてくれる。そう転では、日本は単一民族だから、こうした対応は一寸無理だな。
 もしこのブログが幸運にもアップが続けばと願うばかりである。

奈良市,白毫寺,2010年4月24日撮影.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Distagon25mm/f2.8,ZF.
シャッター:1/125,絞りf11,露出補正1/3,ISO160,カラーモードF2 
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