Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE1110. ブログ建国記念日

2015年02月11日 | Shinkansen commuting
 大変厳しい寒波は通り過ぎたが今日もすこぶる寒い一日の京都である。予報では今週の金曜日も京都に雪マークが出ている。どうせお正月のように市内に雪が積もることはないとたかをくくっている。
 このブログ(正確にはウェブログ)を2007年8月16日に始めてからの2月11日をくくってみた。
2008年2月11日は書いていないが、付近の2月8日に京都市「引接寺の節分」でFuji FinePixS5。
2009年は「ヴァーチャルアイランド・プログラム」とこれは3DCGのレンダリング画像だ。
2010年は「北野天満宮の節分」、Fuji FinePixS5。
2011年は「ホームオフィス」というテーマで吉田神社節分の火炉祭、PEN E-PL1。寒いのに夜中まで出歩いていた。
2012年「忘れちゃいました」というテーマで雪の関ヶ原の車窓、PEN E-P3。
2013年「打ち止め宣言」、E-PM2で米原市柏原の画像だ。元気なことに雪の中を米原市へ出かけたわけだ。
2014年「伝統様式」、OM-D E-M5で京都市内の行き止まりの露地のある民家、この頃冬の京都の街を随分歩いていた。
 京都の節分行事の画像が多く、結構寒いのに外を出歩いていたようだ。機材論でいえば、5年前にFujiS5+ニコン系からオリンパス系に乗り換えており、最初に調達したPEN E-PL1がある。これは今でもシルバーのライツ・ズミクロンを付けて手元に置いてあるがシンプルで結構使いやすい。さらに今はないPEN E-P3なんてある。これはなかなかデザインが良かったがE-P5に乗り換えるときに売却した。などと7年目のブログ建国記念日といったらそれはいいすぎか。
 実は私が時折見ている世の中のブログの中には、10年以上毎日書かさず連続投稿されている驚異的なブログもある。それにしても何故こうしたブログは、長く続くのだろうか。確かにこの間にいくつかの変化というのはあった。別にそれをブログで書いたわけではない。
 最初に一つだけたてたガイドラインは、文章と画像はオリジナルでといったことぐらいだ。先の10年以上連続投稿を続けているブログもそうである。そのあたりがFBとの違いだろうか。それが原動力かなと思っている。
 しかしこのブログは、誰が読んでいるんだろうか。いやログというその時の意識の記録だから、一人も読者かいなくても書いているのかな(笑)。

新幹線 米原-岐阜羽島 2月9日
OLYMPUS E-M1,LEICA.DG.MACRO ELMARIT45mm/F2.8×2倍デジタルテレコンバータ
ISO200,露出補正-1/3,f/5,1/1000
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PEN LIFE1109. 寒波到来二日目

2015年02月10日 | Shinkansen commuting
 本気の寒波到来二日目も新幹線は、雪で徐行していた。さすがに冷え込んでいる1日である。夕方足助へ出かけたら、いかにも北国の夕暮れといいたくなる夕陽だった。これだけ冷え込むと雪こそないが、青森あたりの夕暮れを思い出す。
 去年ぐらいだったら雪の関ヶ原のフィールドへ撮影に出かけたかも知れないが、今年はそんな気分にもなれないぐらいに寒いので非行動的な日々。
 でも昔はこれぐらいの寒さが普通であったように思う。学校へ行くときに水たまりの氷を割った経験は、だれしもあると思う。それって朝の気温は零度以下でしょう。暖冬続きで体の方も随分と寒さに弱くなったようだ。そんな寒さも明日の祝日は一息つきそうだ。
 そんなわけで今日も関ヶ原の車窓画像である。撮り慣れたためかOM-D E-M1も最近使いやすいと思う。であればやはりE-M5はオールドライツレンズを付けたモノクロ用だろうか。最近あまり調査をしないし、そのため撮影もしないので、いくつかのボディが暇をもてあましているようにも見える。
 もうとても寒いからお風呂、あまり暖まらない。ならばはよ寝よう!。

新幹線 米原-岐阜羽島 2月10日
OLYMPUS E-M1,LEICA.DG.SUMMILUX25mm/F1.4×2倍デジタルテレコンバータ
ISO200,露出補正±0,f/2.5,1/1000
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PEN LIFE1108. 本気の寒波

2015年02月09日 | Shinkansen commuting
 今日は本気の寒波がやってきた。京都も名古屋もすこぶる寒い1日であった。そしてついに関ヶ原は雪となり終日新幹線は徐行をしていた。だから朝の通勤は実にたのしい時間であり、ガラガラのこだま号から雪の風景に見とれていた。ところが実際には、靄が立ちこておりあまり雪景色がよく見えないのだ。
 午前中大学の雑用を片付け午後から足助へ車の練習に出かけた。今日は少し山奥まではいってゆこう。だが次第に積雪が見えだしたのでUターンして足助の町へ戻った。何しろスタッドレスタイヤではないから積雪地帯に踏み込んだら最後である。だが足助の町にも雪が大いにちらつきだしたので、粉雪を前面にあびながら早々に引き上げた。帰ったらバンパーに雪がたっぷりこびりついていた。
 本気で寒い一日だった。みんな今日一日はどうやってすごしたんだろうかとおもうような寒さだった。明日は京都にも雪予報が出されている。

新幹線・米原-岐阜羽島 2015年2月9日
OLYMPUS E-M5,LEICA.DG.MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-1/3,f/4.5,1/1000
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PEN LIFE1107. 荒技師

2015年02月08日 | Shinkansen commuting
 後期の授業が終わり4月の入学式の間までが、実は大学の先生は大変忙しいということは昨日書いた。じつはこの間の教育に関する仕事で大学の先生の仕事の1/4である。
 もう一つ研究という仕事ある。日本の多くの学術団体のの大会は秋に開催されるが、そのための論文の投稿締切が4月始めなのである。従ってこの忙しい時期とバッティングするように大会論文の執筆をすすめなければならない。特に院生は修士論文の提出与件が大会論文を発表していることとあるから必須となる。
 もうデータを解析したり、いやそれ以前にデータがない、データがなければ調査する他ない、間に合うか・・・とまあ七転八倒の笑える世界が続く。さて教育と研究とここまで悪戦苦闘して、それは全部他人のための仕事であり、私の仕事ではないことに気がつく。そんな一連の嵐が通り過ぎるとようやく、本来の自分達の研究に戻れるわけである。
 自分達の研究・・しなくていい!?、文科省の助成金がついてんだよね。しないわけにはゆかないでしょう。かってはそんな重層的な教育と研究の仕事に加え外部の仕事もあり、しかも名古屋と横浜を通っていた。だから1日24時間でも足りない。そんな多忙な中を結構楽しんでいたようでもある。
 限られた時間の中で多くの仕事をたずける方法は二つある。一つは仕事に応じた時間を配分すること。ただし、これをすると夜寝る時間がなくなり、頭脳労働者としては致命的だからこの方法は採れない。
 そこでもう一つの方法は、仕事を片付けるスピード2倍にする。そのめには段取りや無駄のないスケジューリングが必要になる。 相手は5分でその倍ぐらいの説明を早口でうけるので慌てふためくが、私は夜ちゃんと寝られる。私は、こうした後者の方法でこの忙しい荒波を乗り切ったわけですね。
 まあ大学の先生の仕事のやり方は、荒技師ですね。

新幹線・京都-米原 2015年1月26日
OLYMPUS E-M1,LEICA.DG.SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-1/3,f/6.3,1/800
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PEN LIFE1106. 春遠からじ

2015年02月07日 | field work
 立春を過ぎたから春だと思えば、そのようにも思われるが寒い日が続く。
 だが光だけは明るくなってきている。かっては縁側に射す柔らかく暖かい光が冬の風景だと思っていたが、現実は春の光だったのである。それは暦をみて納得させられた経験がある。冬とは年末から大寒の頃あたりの陽も短い頃だろう。今は11月頃の陽の長さに戻っている。地球もそれだけ暖められていると思いたい。
 この頃後期の講義も終わり、リポートだ試験だ、 必修科目の単位を落とした学生はどうするのか、 追再試験はやるのか、成績表がまだだ、学部や大学院の論文や作品の発表会がある、集大成の作品展の準備もある、大学の先生は暇人だろうと勘違いして企業の求人マンがやってくる、大学センター試験だ、本学の入試も都合2回、いや推薦入試もあるし大学院の入試もある、当然そのための会議数は増える、博士論文の審査もある、次年度のシラバス書かなきゃ、といった具合にバタバタと雑用が通り過ぎてゆく。それだけじゃない。今年度は文科省が大学ガバナンスなどということを言い出したので、目下国公立大学は大混乱だろうか。
 だからこの時は、講義で単位を落とした学生達には、冷たいのですね。とてもそんな個別の救済のことまで手がまわらんよ。タイミングが悪いと思ってあきらめておくれ。
 そんな修羅場の時間が通り過ぎると、こちらもようやくおそがけの春になる。春遠からじである。

愛知県・足助町 2015年1月31日
OLYMPUS E-M1,LEICA.DG.SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正±0,f/7.1,1/800
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番外編105. フェチの続き

2015年02月06日 | Nagoya city
 フェチの続き。Fujiの撮影素子と相まってカールツァイスのレンズは建物のエッジが小気味よく描写され大変シャープだ。であれば、フルサイズのボディでこのレンズをつけてみよと考えるとニコンDfボディとなる。であればまたFujiの撮影素子をつんだフルサイズボディを登場しないかと思い、ニコンDfには手を出さないようにしているのだが。
 撮影データをみるとISO100、1/100にF8だなんて、若い頃のフィルムカメラの撮影設定みたいだ。そうつまりカメラの基本的操作が、フィルム時代そのままにデジタル化された機材なのである。だから使い勝手もフィルム時代と全く変わらないところが良いのだが。
 でも最近の学生達はフィルムという存在自体を知らないようだ。スライドで講義していたら、それってどんな仕組みなんですか?、と訪ねて来る学生がいた。
 去年は、コダックのスライドプロジェクターの電球が切れた。当然ストックもないし、業者にそんなものがあるはずもない。大学の中を探し回ってようやく1台つかえるスライド・プロジェクターを見つけた。先生しかつかわないので、もってってくださいと言われた。本学最後のスライドプロジェクターである。
 スライドをデジタル化すればよいではないかと思うが、ストックしてあるスライド画像が1万枚を超えると、それも難しい。1枚千円でデジタル化すると、1千万円かかる。
 だからフィルムとは言わないが、せめて今のニーズに合わせてFujiの撮影素子をニコンDfボディに積んだフルサイズデジタル一眼レフを開発して欲しい。どうもニコンやFujiというメーカーは、なんでも待たされるのですね。待ったあげくに出ないということがあるからね。
 それがいやでオリンパスに逃避しましたけど。あの待たされる悪夢はもうごめんこうむりたい気分もある。悪夢だから忘れることにしているが。
 もしそんな仕様のボディが登場すれば、デジタル一眼レフとしては最も高品位な画像が撮影できるシステムになるんだど、まあ夢か。

愛知県・足助町
Fuji FinepixS5pro,Distagon25mm/F2.8
ISO100,露出補正-0.3,F/8,1/100
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番外編104. フェチ

2015年02月05日 | Nagoya city
 Fuji FinePixS5とカールツァイスレンズのクラシック・システムは、白い壁の光を感じさせてくれる写り方をしてくれる。レンズが25mm、50mm、100mmと倍々の往年のお奨めシステムで組み立ててあるので、フルサイズニコンDfなんか調達すると申し分ないシステムになるという理由で、Dfに食指が働きかけるわけだ。それにdfは、ファィンダーも優れていて、ツァイスマニュアルレンズに格好の組み合わせだと思う。
 だがFujiS5のような写り方をするボディはもうないので、いまでも手放せない機材だ。S5はかってのニコンD200のボディを流用してFujiの撮影素子をつんだ変わりものだが、今度はニコンDfボディを使ってFujiの撮影素子をつんだフルサイズモデルでもださんかね。色は俄然Fujiの方が綺麗だと思うけどな。
 それにしても車とか撮影機材というプロダクトは、どうしてこんなにフェチになれるのだろうかと思う。それは悪魔のようなささやき、といっても良いだろうか。だって同じプロダクトでも、冷蔵庫フェチとか掃除機フェチなんて聞いたことがないですよ。
 まあ、ボチボチち使っているのがいいのかな。ただしこのシステム一式は、重たいので車がないと持ち出す意欲はわきませんけど。

愛知県・足助町
Fuji FinepixS5pro,Distagon25mm/F2.8
ISO100,露出補正-0.3,F/8,1/160
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PEN LIFE1105. それがどうした!

2015年02月04日 | field work
 こんな風景でないと望遠ズームレンズを持ち出す機会がない。フルサイズ換算で600mmなんてのは、ランドスケープではあまり使わない焦点距離だ。でっ、撮影したみたがつまらない。せめて通りで催事などをしていると少し違ったかもしれない。
 このレンズで正解だったのは、奈良明日香村を甘樫の丘から撮影したときだ。大和地方特有の民家形態が結構美しかった。つまり大変使い道が限られているレンズだ。
 今は撮さないが湘南海岸のサーフィンはこのレンズが必須だ。かってフィルム時代に1000mmレフレックスレンズ、ニコンF4ボディ、ハスキー三脚という重量級の3点セットの機材をかついで海岸沿いを徘徊した。その後Canonのデジタル一眼レフに変わり100-400mmのズームレンズになったときは随分ホッとした。 だから今はものすごく小さく軽い。原則として三脚が不用だし。
 あとは催事の時だな。祭のときは撮影アングルがかぎられているので、こういう望遠ズームレンズは便利だ。ただし暗いのが難点だな。
 オリンパスからは300mm単焦点レンズがでるようだが、あれズームレンズでないと不便だな。仕方がないから40-150mm/F2.8で代用しろということか。明るいのはいいと思うけど。これをPEN E-PM2に付けたりして。PENミニで使えるというのが面白い。
 さて機材論で話がすべった。研究上の知見でも書いておこう。屋根勾配が揃っていて、やはり伝統的建造物群保存地区ではあるが古い建築物が少ないようにみうけられる。恐らく改築した民家が多いのかも知れない。民家形式は、妻入り平入りと多彩なことがよくわかる・・・。
 まあ、それがどうした!、ということなのだが。

愛知県・足助町
OLYMPUS E-M1,M.ZUIKO.DG75-300mm/F4.8-6.7Ⅱ
ISO200,焦点距離300mm.露出補正-0.3,f/6.7,1/320
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番外編103. 日本の城

2015年02月03日 | Nagoya city
 今日は節分、京都市内の社寺では節分行事が盛んだ。つまり旧正月の行事であるから盛大に行われる。だが最近節分行事も人出が大変多くなってきたし、イベント的趣が濃厚なので私は撮影には行かない。精々面白いのは吉田神社の火炉祭ぐらいか。
 それに恵方巻という習慣が好きになれない。明治の頃に大阪の海苔問屋が始め、近年になりセブンイレブンが一般化したわけだが、習慣的ないわれは皆無である。つまり商売繁盛を意図したものであり、歴史性はなく、大いに迷信といってよかろう。
 そんなわけで今日は愛知県・足助城址公園へ出かけた。戦国時代の城の復元である。一般的には城に対する誤解が幾つかある。今日は、それを解いてゆこう。
 先ず城のシンボルである天守閣は、安土城以降江戸時代のもであり、藩主の意志を表現したシンボルぐらいの意味しかないこと。本来の要塞としての城には、天守閣はなかった。
 江戸期の藩主は、城に住むことはない。城は山の上などに設けられ大変不便なので、平時は藩政を行うために町の中に二の丸や三の丸御殿をつくり、そこで生活していた。従って城は戦の時の籠城するための備えにすぎない。実際江戸期には戦はなかったので、城が要塞としての役割を果たすことはなかった。城が戦で落城したのは幕末の西南戦争における熊本城ぐらいである。
 城とは何か?、それは天守閣ではなくその塀で囲われたオープンスペースのことである。戦の時は何百、何千という兵士が城に立て篭もるので、そこで野宿をし、飯を食べ、武器の手入れをしたりできるための広いオープンスペースが必要になる。それに藩主用のたてこもり兼武器や食料保存庫としての天守閣が設けられていたにすぎない。四国・松山城がその典型例である。つまり城は籠城する兵士達が野宿するためのオープンスペースと兵糧などを蓄えた天守閣と呼んだ倉庫とで構成されている。
 そこで足助城は、1525年頃創建され、1590年に廃城となる。まさに戦国時代の定型的な山城である。これが城の原型の一つでもあり、防衛上の砦として城が機能していた頃のものであろうといえる。
 さて節分があければ、明日は二十四節季の一つ立春である。春の気配が起きてくる頃といったらよいだろうか。ようやく春の弱々しい光を感じさせてくれる。

愛知県・足助城址公園
Fuji FinepixS5pro,Distagon25mm/F2.8
ISO100,露出補正-0.3,F/8,1/114
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PEN LIFE1104. 再び足助

2015年02月02日 | field work
 京都は陰鬱な曇りの空模様であり、こんなところで暮らしていると人間も相当に慇懃で根暗な根性になるんだろうと思いながら、新幹線が名古屋に近づくと抜けるような晴天となる。やはり東海地方というだけのことはあり、風は冷たいが、やはり光が大変明るく気分も爽快になってくる。
 だから京都人は、昔から根性が複雑にねじ曲がっている超根暗。それにひきかえ名古屋人は基本的に根あかだと私は思う。それに朝廷対幕府という歴史的構図もあるしな。
 さて時間があると、大学から足助町まで車の練習をしている。幹線道路、自動車専用道路、田舎道、それに足助町を観光ルートとは逆方向から迂回して入る山道などがあり練習には変化があってよい。往復約90kmの道のりだ。この3月の半年車検までには、5,000kmは走りたい、1年で1万キロと目論んでいる。どこかジョギングの練習をしているみたいだ。
 そんなわけだから、足助町は飽きるほど訪れ撮影をしている。リニアな集落だから、変化がある構図のないのが寂しい。従って同じ所を何回も撮影することになる。違いがあるのは天気ぐらいだ。そんなところで新しい構図でも発見できたら面白いと思いながら、いつもマンネリ化した画像が続く。
 足助では、もうじき中馬のおひなさんという催事が2月7日から始まる。当面の被写体はこれだな。明日は、足助城址から足助の街並みを望遠レンズでねらおうかな。

足助町
OLYMPUS E-M1,LEICA.DG.SUMMILUX25mm/F1.4×2倍テレコン
ISO200,露出補正-0.3,f/4.5,1/640
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PEN LIFE1103. 単焦点レンズ志向

2015年02月01日 | Photographic Equipment
 夜中に眼が醒めて再度寝られなくなったらどうしようか。そうなったらブログでも書くしかない。デスクトップに長いこと置き去りにしていた画像をネタに真夜中のブログである。それにしても1年近く前の画像か。
 画像は、オリンパスE-M5に17mm/F1.8のレンズを付けたが、なかなか格好が良いと自画自賛。このレンズはオリンパスのどのボディに付けてもよく似合うと思われる。
 これは万能の広角レンズであり、これ1本で旅に出るなんて面白いかも知れないと思っていたら、実際に尾道でのゼミ視察や、福井の学会などにでかけた時には、E-M5にこのレンズ1本しか持参していなかった。つまりあまり撮影することを期待していない時に持参するといった場合にこのレンズをチョイスする機会が多いようだ。
 オリンパスの12-40mm/F2.8のズームレンズならば、私が頻繁に使用している単焦点レンズの焦点距離が全て含まれる上に、1本で済む上に性能もよさげだ。
 だがこれに食指が働かないのは、どれか一つのレンズをチョイスする面白さと、撮れない被写体を切り捨てて被写体を絞り込むというプロセスがないからだと思われる。なんでも撮れるということは、結局何も撮れないことと同義だと思う。
 別の言い方をすると人間の被写体を眺めている眼は、ズームレンズのようにコロコロと画角を変えられるほど器用ではない。一端この画角の範囲と定めたら、数日間ぐらいその視界の経験が維持されるのではなかろうか。眼の画角を変えたいときは、忘れるという操作が必要となる。つまり経験の初期化。
 そんなところが、単焦点レンズ志向にさせているのかもしれない。そろそろ眠くなってきた。また寝ますか・・とここまでは夜中に書いた。今朝起きたら京都は弱々しく雪が舞っている。

2014年3月4日
OLYMPUS E-M1,LEICA.DG.TELE ELMARIT45mm/F2.8
ISO3200,露出補正-0.3,f/2.8,1/50
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