Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE1436. iPhone文化

2017年06月15日 | Kyoto city
 朝いつもの七条のマッサージ屋まで散歩に出かける。歩くだけななら30分もあればついてしまうので、いつも撮影機材をとっかえひっかえで持参する。一通り使うとiPhoneが一番使いやすかったりしている。パノラマ撮影できる上に、家に帰るとパソコンに画像が届いているのは面倒がなくてよい。それだけに世界で一番使われているカメラでもあり、写真集も数多く刊行されている。レンズは35mm換算で広角30mm相当というのも使いやすい。明日は、iPhoneだけにしようと思うのだが、いつもなんかしら機材がついて回る。
 あろうことかこの日はフィールド機材持参だったから、オリンパスとしては大きいズームレンズであった。まあ短時間に何でも撮れるけど。フィールド機材だからのことはあり、遠くから引いて簡単に京都の混沌とした風景が撮れるけど、望遠レンズ固有のつまった感じが好きになれない。だから、いつも散歩に最適だと思うのが35mm相当の地味で飽き飽きしているレンズが一番使いやすい。ならばiPhoneでいいじゃないかといわれれば、その通りなのである。
 いまの画像で何よりも重要なのは技術や経験というよりも、その場にいられる環境が重要である。だからいつもポケットにはいっていて持参でき、そこにいられる環境で生活していることにiPhoneが収まっている。それは画像だけではなく音楽もコミュニケーションもあるiPhone文化かな。
 撮影機材もDVDも本も資料もなくなったら随分と家の中は整然としてくる。あとはアートだけが壁にかっていればよい。物がたくさんあるというのは、個人のこだわりの集積の結果だろうと思われる。そういうこだわりをすてると家の中は随分と暮らしやすくなることはわかる。iPhone文化はそうしなさいよといっているようだ。
 それができないのは、物などにはネチネチとした個人の思い入れや意味づけなどがたくさん詰まっているからだろう。そうしたこだわりを捨てませんかと、iPhoneにいわれているようにも思われる。

京都市
OLYMPUS EM1 Mark2
M.ZUIKO DG12-100mm/F4.0
ISO200,焦点距離80mm,露出補正0,絞りf11,シャッター速度1/250
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PEN LIFE1435. 疎縁体

2017年06月14日 | Kyoto city
 撮影機材を持ち出し毎日朝の散歩にでかけ七条通りのマッサージ屋にかよっている。今日は朝6時に起きたので、午前中の静かな時間にブログを書くという快適な一時だ。ただし混沌とした部屋に眼をつぶればだが。というのも朝10時近くに起きるとすべてが3時間遅れで進み、気がつくと夕方だという空しい1日になる。それに京都は朝晩は涼しいのだが昼前後は暑くて外を歩く気分ではない。もちろん日差しが強く、古民家などはコントラストが激しく、ラチチュードの狭いデジタル機材で撮影できるそんな光の状態ではない。
 少し雨でも欲しいと思うのだが、予報をみると一週間ほど雨がない。だから街が乾ききっている。それで沖縄をみると毎日雨でどうやら梅雨があけていないようだ。さて月末には、沖縄の梅雨もあけると確信しているのでダイビングの算段している。だから目下水泳教室に通い体を水に慣らしている。
 ふと目の前の本棚をみるとモノクロネガファイルが多いな。これもデジタル化すればずいぶん棚があくのだが。そうなるとニコンDfか。まあ古いニッコールレンズ35mm/F2.8という地味なレンズがことのほかよく移ったりするので、一寸散歩機材として意識が傾きそうだ。だがトランクが一杯だな、さてどうしたもんか。
 手元にニコンのスライドコピーアダプターがあるので、EOS1Ds mark3でゆけないかなと考えていたらOリングで行けるのか。ただしオートではないので面倒だな。それで1段本棚があくと具合がよいのだが。そんな風にして二次元資料をデジタル化して空間を空けようというわけだ。既に大型書庫2台分のデータはストックしたので、あともう一息か。データもデジタル化しないと空間がいくらあっても足りない。
 そんなことをつらつら考えていると、もう昼か。やはり朝早く起きると時間に余裕ができたみたいで精神的にも心地よい。昼を食べたら午睡だな。京都の昼間は暑くて歩く気分ではない。
 七条川端角のマックで朝の珈琲をすすっていると、眼前を京都女子大の学生達が列をなしして通り過ぎてゆく。私がカメラを向けているのを怪訝そうな顔をしているのが面白い。しかし君たちが願望する最高学位である博士養成の第一人者である私の1m前を通り過ぎてゆくわけだ。しらないというのは面白いものだと思う。つまり私にとって彼女たちは疎縁体なんだな。そう考えると世の中ってどんな人とすれ違っているかわからないと思う。それが一巡すると今度は炎天下の修学旅行生が通り過ぎてゆく。なんか暑そうだぜ!!。私の朝の珈琲タイムである。

京都市七条通
OLYMPUS E-M1Mark2,M.ZUIKO DG7-14mm/F2.8
ISO250,焦点距離50mm,露出補正0,絞f/11,シャッター速度1/80
 
 
 
 
 
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PEN LIFE1434. 世捨て人の住処

2017年06月13日 | Kyoto city
 今日は広角ズームレンズを持参し、路地の徘徊であった。
 祇園を下がり六原から七条にいたる道沿いには旗竿敷地、つまり行き止まりの路地が多い。路地の入り口には門がある。多分夜間には締め切られるのだろう。そんなわけで路地は個人の生活空間の延長だから、路地に入るのには勇気がいる。
 そして路地には、「あじき路地」、「南天路地」、「八朔路地」、「南天路地」、「やましろの路地」、「いちょう路地」、「石畳路地」といった固有名詞が付けられている。つまりこれが地名と同様の役割を果たしているのかもしれない。これらのなかには、保存したいと思われる古い民家群もある。だからといってこちらは、アーバ二スト達のように路地だ、保全だとはしゃぐ気分にはなれない。世の中から抜け出してそっと静かに余生を暮らしている老人達も多いのだろうか、空き家も目立つ。そっとしておいてほしい、そんな気配が路地の空間に漂う。路地にはお地蔵さんが置かれている。そっと余生を過ごしつつ、最後はお地蔵さんに導かれてあの世へゆくのだろうと想像している。つまり世捨て人の住処なのだろう。
 だから路地には入るのには、勇気がいるのである。
 さて、最近gooのブログにも慣れてきた。どうやら1度に100カット分の画像しかアップできないようだ。もちろん金額次第で増量できるが、こちらは急ぐ必要もないのでタラタラとやっている。毎日15回分はトップ画面にでるので、毎日の更新分と併せて見ることもできるし、そのうち毎日の更新分でトップ画面が埋め尽くされ過去ログをみかけないようにもなるが、過去ログをアップさせるごとにFBにリンクされるので、まあそれでええかという気分だ。FBを見ている方は過去ログ3000回以上のリンクをみさせられることになる。ご苦労様というほかない。
 さて今日は、昼時に満席になる焼きそば屋の席が空いていた。食べてみようか。たぶんコチジャンなどのスパイスが効いており、ニンニク入りもあるので労働者向けのこってりとした味だろう。がっつり食べて午後も肉体労働しなきゃ、という工務店の建設作業員が食事をしていた。たまには、こういう味もええか。おかげて、午後も眠くなることなく家でブログを書いている。

京都市あじき路地
OLUMPUS E-M1 Mark2,M.ZUIKO DG7-14mm,F2.8
ISO2500,焦点距離14mm,露出補正+1,絞りf11,シャッター速度1/60   
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PEN LIFE1433.  たまにはライツで

2017年06月12日 | Kyoto city

 gooの投稿数制限のおかげて、なかなかブログの復旧が進まない毎日である。本来ならば日曜日にアップしたいが、今日は復旧ブログのアップで限度に達してしまったからこの作業はおしまい。
 日曜日の夕方は、涼しい風が吹き半袖では寒い中を珍しく夕方の京都の街の散歩である。なかなか光が綺麗ではないですか。そうおもいながら、機材も久しぶりにPENにELMARIT28mmを付けた。PENにしてはズシリとくるレンズの感触が心地よい。このレンズは、写真をプリントしたときの色調そのままの描写をしてくれる。だからついつい光の綺麗なときに持ち出してしまう。こんなレンズをつけると光本位だから構図など無視して撮影するなど、被写体をみる視点が変わるのも面白い。ただし焦点距離は、みにくい液晶ファィンダーがたよりだから当然ピントをはずすこともしばしば。いつもMacの手前に置いてある。
 このブログでも、PEN LIFEと称して千回以上アップさせているのだが、その間にオリンパスも機材の考え方が変わった。最初は小さく愛されるPENだったが、最近はプロユース機材を目指している。こちらも水中撮影もできるフィールドシステムとしてそろえてアルミトランクにオリンパスシステムが一杯に埋まってしまった。おかげて手元に唯一残る初期型のPENであるが、小さなボディが愛らしく好感がある。さてその写りの質感の良さがどこまでブログで伝わることやら。というのもブログを見ている液晶モニターの精度によっても見え方は違うからだ。
 次の散歩には、このレンズをEM1Mark2につけてマッサージに行こうともくろんでいる。それにしても早く家具が届かないかなと首を長くして待っている。それで一気に部屋をかたづけたいのだが。もう混沌とした部屋で2ヶ月以上経過している。頭も混沌としてくる。

京都市七条通
OLUMPUS PEN EPL1,LEITZ ELMARIT28mm,F2.8
ISO200,露出補正±0,絞りf11,シャッター速度1/125    

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PEN LIFE1432. 数と量の話

2017年06月11日 | Kyoto city
 相変わらずブログ復旧工事中である。今日は、1日にアップできる投稿制限数が多分90位に制限されているので容易には進まない。それをしつつ最新版のアップ続けている。だから真ん中が時系列的に切れている状態だ。まさしく鉄道でいえば不通区間があることになる。でっ、そう例えるとブログはそんな不通区間にようやく敷設された枕木の1本ではないかとおもったりしている。つまり通るあてのない列車のために敷設するという地道な作業というわけだ。
 さて舞鶴市吉原地区の画像を続けよう。このように路地が曲がりくねって先が見通せない空間を、"メタファーの空間"と読んでおこう。先が見通せないから、その先に何かがありそうだという期待感が生まれる。そん期待感がうまれるように道をつくればよいのだが、そんなことに解釈をはせる技術者はいない。道はまっすぐがよいというのが彼らの常識なのだ。だから退屈なまっすぐな道を延々と歩かされる苦痛が生まれる。そんな点からみれば、舞鶴市吉原の先が見通せない曲がりくねった路地は、まさにメタファーの空間だといえる。
 さてブログの復旧工事に時間がかかるのも、投稿制限数があるからだ。どれだけが制限数なのかは公表されていない。WEBで調べるとロボット投稿との戦いなのだそうな。あるときは300投稿できた日もあれば、今日みたいに80投稿で限度に達するなど、日によって変わってくるようだ。投稿できなくなると、今度は私の会社のホームページをいじったりして時間をつぶしている。このあたりもiWebとは違うようだ。こんな雑用をして、相変わらずクリエイション0の日が続く。いささか慣れたけど、いったいいつになったらマイペースでクリエイションに没頭できるんだろうかと悩ましい限りである。本日の投稿も投稿制限の網にかかり、投稿できないわけだ。夜中の12時をすぎてからの投稿だろう。復旧工事のため、Mac3台を横に並べるというなんか投資企業みたいなデスクである。
 さてそのクリエイションは、書いておかないと忘れそうだ。福島県のクリエイションがある。たただしこれは多分他の企業にかっさわれたプロジェクトだろうと推測しているから仕事には結びつかないだろう。だが途中までイメージを固めたので、新しい都市と建築の模擬設計でもしてみようというわけだ。まあ地味なプロジェクトなのだが、ソフトの慣らし運転が必要になる。
 ようやく私向きの家具が入ってくることになった。まあデザインは問わないが、多種多様の画材や荷物はかたづずぐくだろうという仕様だ。こういうとき無印良品の収納家具はあまり使えない。あとはノルの家具なのだけど、なかなか東京まで物色する意欲もない。WEBであつらえ向きの家具をみつけたので、デザインの悪さは眼をつぶるとして、先ずは部屋の整理だ。これで混沌とした仕事場も少しは整理されるだろうか。大学の研究室に赴任した頃は、大量の荷物がちらかる部屋で半年間会議用テーブルで仕事をしていたのに比べれば、これはまだましなのだろう。
 なかなか今日のブログはアップできない。見出しを変えて数と量の話でトライ

舞鶴市吉原
OLYMPUS E-M1Mark2,M.ZUIKO DG12-100mm/F4.0
ISO250,焦点距離34mm,露出補正±0,f/11,1/80
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PEN LIFE1431. 舞鶴市吉原の集落

2017年06月09日 | field work
 iWebブログから引っ越して、ようやくgooブログにも慣れてきた。こちらの方が簡単なので、使い勝手はなれ次第。
 アクセス数のランキングがあるのは面白い。へーっ、200人/日以上以上の人たちが閲覧している。そんなに多かったか。当然アクセス数なんか興味がない。上位のブログをみるとブログの書き方に定番があり、動画のように画像を時系列でつなげ短いコメントを付すというスタイルが目立つ。ならば動画にしてYou Tubeにアップざせればいいじゃんと思うのだけど。
 そんなブログなかで、読ませるブログは少ない。といって私のブログが読んでもらえるように書いているかというと、実はそうでない。あれこれ考えていると、結果として文章になってゆくだけの話である。もちろん図面だってよいのだけど、それじゃ一般性がない。まあそれで10年書き続けているのだから、その時々の私の考え方を書いているだけである。全部読むと当然矛盾することもあるだろう。それでいいのである。その時々に正直であれば。
 あるいは話題性のある話をあえてするという手もある。たとえば大学入試問題出題と採点の裏側なんて話題は、入試シーズンにかけば読者は増えそうだと入った具合にである。すでに時候の話題なので書いてもええけど、つまらん話の方が多い。実際採点していても実につまらんかったけど。
 だから今日は映画のロケ地のような舞鶴市吉原の画像でもあげておこう。実際フィルムコミッショナーという組織があって、映画のロケはしているようだけど。舞鶴の海沿いは、結構よい風景だと思う。リアス式海岸だから海岸線はでっこみ引っ込みがあり、日本海が正面に見えないというのも桂離宮のエントランス空間にある屏風のの松みたいで面白い。それに吉原の1キロほど続く路地沿いの民家群が心地よい空間を形成している。吉原は、日本海の風が直接吹き込まず波も静かそうだという合理性がみてとれるあたりは、昔からの集落なのだろう。それを思うと今の住宅地開発などは、土地の風土を無視してつくるのだから、時折災害に見舞われる。昔から人の住めないところを造成して作っているわけだから、住宅地不適のところもあるのだろう。どうせ安普請住宅ばかりだから、こわれてもよいかぐらいの気楽な姿勢が開発者側や購入者側の双方にあるのだろう。こういう集落の中の住宅を手直しして住むと快適だと思うけどな。実際すでに人が住まなくなった住宅もチラホラあるようだ。それでも若い世代もそこそこ住んでいるではないか。雲外ここは健全に進化しているのかもしれない。
 さて最近は、相変わらず午前中の散歩とマッサージ通いが欠かせない。遅く起きるとこれで街を一巡してくるともうお昼である。だから午後から夜中までブログのリニューアルをしていると、朝寝坊になる。実は朝早くの京都がきれいなのだが。最近みそびれている。ブログの修復をしていると、かっての画像の発色がよいと思うことがある。そのときの機材であるFuji FinePixS5を散歩に持ち出す。9年前のデジカメだが結構色は綺麗で今でも十分通用するではないか。それが今中古で3万程度で売られている。その値段なら遊べるだろうな。こうしたフィルム調の色をだす機材は今はないよなぁー。みんなadobeRGBの色だもん。

OLYMPUS E-M1 Mark2,M.ZUIKO DG 12-100mm/F4.0
ISO200,焦点距離12mm,_露出補正±0,絞f/11,シャッター速度1/160.
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番外編290. 復旧工事

2017年06月08日 | Kyoto city
 最近、朝起きると機材をかついで東山の方へ散歩に出かける。先ずは松原の橋をわたり宮川町の通りから田中図子を抜けて南下し、本町の路地を道行くままに徘徊して七条通にたどりつく。そこで目的のマッサージ屋に日参している。そのまま往復3時間はたっぷり街を徘徊してゆく。さて画像は京都市内の田中図子の光景である。著名な路地だから何回も機材を変えて撮影している。結果時にはiPhoneの画像が一番だなと思われるてくると、もう手元の機材なんかいらないじゃないかいう気分になる。あれらって何のために集めたのだろうか。撮影機材をめぐる環境も変わってきたと思う。 
 さてブログの復旧に努める毎日だ。復旧しなくても過去ログでリンクすればよいじゃないかという見解もある。だがそれでは永久に観ることはないし、なんといっても今ではサポートされないiWebのソフトで制作したのが曲者なのだ。MacOS10.12.5ではiWeb自体は使えるとデフォルトの画面が登場し、ドメインファイルが開かないというトラブルに見舞われている。つまり便宜的に利用している古いiMacでしか使えない。
 そうなると、ここはgooサイトにすべて移してしまった方がよいかなと判断した。そこで復旧作業である。復旧のためのデータは保存してある。こういうときに、常に元に戻せるということが重要だということは研究者なら誰でも知っている。
 さてその元データファイルを見ていたら京都暮らしシリーズのテキストはあるが、画像データが200カット以上ストックされていない事に気がついた。まあ写真ファイルから再度ダウンロードすればよいのだが、手間が大いに増えた。たぶんこの頃は、保存しなくてもいいやという気分だったのだろう。あるいは1日のアクセス数が2人とかだったりしたから、厭世的な気分だったのかもしれない。それでも書き続けた10年のブログである。といって自慢するほどでもないのだが、文章量は400字詰め原稿用紙で高さ30cm位になるのではと推測している。そういうものをぱっとあきらめるほど、こちらは潔くない。つまり頑固なのだ。
 まあ時間があることだし、ボチボチやることにしよう。復旧工事が完了すれば、現在も書き続けているブログと時系列でつながるわけだ。つまり鉄道の復旧工事と一緒だな。
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番外編289. 手強いぞ!

2017年06月07日 | Kyoto city
 さてブログの復旧を続けている。1日のアップ数が300ほどで制限されるので一気にはゆかない。まあ2週間ぐらいこの地味な仕事が続くのだろう。それはよいとしても、アップさせるごとにFBにリンクされる。その都度ごとに読者は「いいね」をクリックするわけだから、むこうもやりきれんだろうと思う。だってまだ8年分のブログをアップする予定なのだから。こちらはFBの設定をはずすのは面倒だと思っている。まあ過去ログでもちゃんと書いているので、読めるとは思いますが。
 そんなこんなの雑用の合間に階段室の電球が切れた。でっ、近くのヨドバシで調達。だがアイリスオーヤマ製のLEDライトはつかない。そこで別のソケットにさしたが、やはりだめ。そこで寺町の電気屋でパンソニック製を調達したら、これは文句なくついた。そこでヨドバシ調達品は返品。でっ、店頭で試みたら明かりがついて。なにこれ!。でもすでにパナソニック製を入れちゃったのでアイリス製は返品。店員さんが「上と相談します」、「今回は特別に応じます」、なんか仰々しい。わたしが「アメリカなら10日間ぐらいはリコールできるけど」といったら「ここは、日本ですけど!」、おっ口答えするんだ。なんかこの店も水準低そうなだな。「それにしても原因がわからない」と私がいうと「確かにそうですね」と理性的な答えが返ってくる。おっ、店員さんは工学系出身だなと少し見直す。まあお互いに原因がわからないので、返金してくれた。昔はよくヨドバシで調達したのに。今後はやはり価格の安いAmazanにしよう。そんなやりとりを思い出していると、専門量販店という存在自体がそろそろ限界なのではなかろうか。調達するならAmazonのほうが安いし、エアコンなどは近所の電気屋のほうが修理にも来てくれそうだし信頼感がある。そうなると近所の電気屋が結構復活するんではないかという見方も成り立つ。以前のように忙しいときは、こんな暇なことをしなかったのだが。明かりつかいなな、次いこう、はい!おしまい!!、でおわったのだ。
 そういえば、ガスヒーターをいれたときは、大阪ガスのショールームでこれにしますと決めたら、近所のガス屋がその日のうちにやってきて、「高い機種をかっていただいてありがとうございます」といってさっさとつけてくれた。おかげて京都の寒さから脱出できたわけだが。ガス器具は量販店では扱わない商品だから、近所のお店がたよりである。でも、その方が安心感があってよいのでは。
 そんなことを考えていると、近所のお店が結構便利だったりする。パン屋も近所の石焼き釜のお店のパンは、味も進々堂と大差ないか、あるいは少しおいしいと思う。京都なんかまだ近所のお店が結構残っていたりする。つまり近所のお店がAmazonになればよいのだよ。通販もするけれどご近所さんも大切にするという姿勢だろう。京都の老舗はみんなそんな風に商売をしているから、いまも存続している。
 そんなふうに都市開発の仕事をしてきた人間は、日常のこんな現象から将来動向をさぐるのだが。それにしても高度経済成長を牽引してきた量販店を核にしたショッピングセンターはもうありえないと思う。そうなるとやはり近所に商店街が必要でしょうという答えにたどり着く。それが都会暮らしを堪能できるわけだ。商店街復活の道はありそうだなということになる。少なくとも量販店以上に。
 さて今日の画像もパノラマモードだ。やはり空間を全部取り切れるというのがこのモードの便利なところだ。しばらくはまりそうなモードだし、もっといえば、これ一つで・・・。どうする!!!、手元のオリンパスE-M1システムやCanonのEOS1Dsシステムとか、ツァイスレンズがあるFujiいやニコンシステムは。もちろんオリンパスのシステムだって同じ事はできるのだが、こちらは撮影後オートでパソコンに届けられ、パノラマモードだって補正され、こうしてただちにブログに使えるわけだ。だから、いちいち操作なんかする必要もない。これは手強いぞ!、と思う。

京都市東山区
iPhone7
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番外編288. 舞鶴市吉原地区

2017年06月06日 | field work
 
 日曜日に舞鶴へ出かけた。目的はとれとれ市場で魚を調達すること、ついで吉原という街を徘徊することであった。魚はともかくとして、吉原という街がなかなか空間として心地よいところだ。中央に海から続く水路が走り住宅地の最後で止まっている。その水路に接するように両側に民家が密集して建ち並び、水路沿いの岸辺に各民家ごとに船を係留し、そのまま海へ漁に出られる構造になっているあたりは昔風の合理性である。そして狭い曲がりくねった路地が民家を貫くように続く。曲がりくねった路地沿いに民家の家並みが変化があって空間として面白い。
 特に地元で観光に一役立てようという意図がないところも心地よい。そして路地沿いには、おそらく町内会組織が確立されており、地域共同体としてのコミュニティがしっかりあるのだろうことをうかがわせるお地蔵さんの祠が随所にたっている。それ自体がそうしたコミュニティの存在を示しているわけだ。つまり祠というのはほっとけばよいものではない。ちゃんと掃除をしないと次第にくずれてゆくものなのだ。
 帰りに駅前の商店街を歩いたが、店はシャッターを降ろし大変閑散としている。駅裏の商業量販店が日曜日の買い物客を一手に集めているようだ。こりゃあかんなと思いながら通り過ぎた。全国どこの地方都市でみられる風景だといってもよい。
 そんな街だから早々と特急列車は最終便が出てしまい。綾部まで各駅停車で行き、そこで特急へのりつぐことにした。それにしても綾部の街の閑散としていること。駅近くにはなぜか温泉とマンションが建ち、当然コミュニティなんかあろうはずがない。
 吉原の街と比較すると、その差は歴然としている。コミュニティの存在が暮らしやすい街とそうでない街を分けているようだと感じられた。戦後の核家族化の中で、町内会組織による地域共同体が失われたところも多い。本当に町内会組織がなくてもよいのか。かまわれなくすむ気楽さはあるが、隣に誰が住んでいるかもわからない部屋にずっとこもっていることが本当に気楽といえるのだろうか。近所でなにか事が起きたらどうするんだろうか。そうでなくても街が災害に見舞われたら、やはりコミュニティがないと支給の食料だって届かないだろう。そんなふうに考えると、いささか綾部駅前をみていると疑問な所も多々ある。やはり街には地域共同体というコミュニティが必要だと思われる。
 そういう私も今年は地元町内会の会長であり、これからいろいろと催事などで大変であるが、そういうことが町内の人をまとめてゆくことになる。住宅地ではコミュニティは、必要な機能なのである。
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番外編287. 飛雲閣のお茶会

2017年06月05日 | Kyoto city
 先日、西本願寺飛雲閣のお茶会に誘われた。久しぶりの飛雲閣ではあるが、昔は撮影一切まかりならぬであったが、今回は外観ぐらいが撮影できたのは少しは進化したのだろうか。やはり国宝だけのことはあって完成度が高いではないか。豊臣秀吉の建築のセンスはどこからでてきたか。やはり織田信長に学んだのだろうか。飛雲閣は、二度目とはいえ出かけておいてよかった。というのも近々修復工事が始まるので、そうなると何年もみられないことになる。お茶会の後西陣のミシュラン一つ星そば屋に出かけ初夏の古都の時間をつぶしていた。gooにアップさせるとパノラマ画像の右側が大分削除されている。これが限界か。
 さて、このgooにアップさせるのはよいとしても現在私の10年分の過去ログがWEB上にはない。しらべたら10年前から年号がはいりそうだ。ならば過去ログ修復をしようかと考えている。そうなると一ヶ月はかかるだろうか。といってやってみないとわからないこともある。どこか話が飛雲閣みたいだ。私のブログは国宝ではないけど、私の意味的関心では同列にある。
 誘ってくれた京都の先生にお返しをしなきや。さて一の傳で西京漬けでも物色しなきゃ。こういうとき京都は、迷わなくてすむのがありがたい。肉は三島亭で、魚は津乃利で、お総菜は井上で、漬け物は打田で、だし巻き卵は三木鶏卵と実に簡単だ。まあ私の家から歩いて行ける範囲の店ばかりだが。
 
iPhone7
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EOSな日109. 座り心地

2017年06月04日 | Shonan coast
 iWebから移動してくると、どこか座り心地が悪いgooの画面である。原稿用紙に向かって書くという感覚ではない。それにすべてに公開という気分もうっととおしい。iWebだったらMacユーザーぐらいしかみなかったのだから好き勝手に書けるようなところがあった。それはまさに論文を書いたりするときの感覚に似ていた。目下座り心地の悪い紙面で原稿を書いている。座り心地は悪いが、それ以外はまあ快適だ。しかしFBにどうやってつながってんだろう。FBを開いても私のブログのリンクはないですが。なにか設定があったのだろうか。そのうちにわかるだろうと思っている。
 予約投稿は、まとめ書きには調度よい。私など3日ぐらい書きためていることがあるし、予約投稿をつかってアップできるのも便利だ。旅に出ているときには、日本にいるかのように投稿できるし、旅先からスマホでアップさせることもできるだろう。だが旅先でブログは書きたくないですけどね。だって旅先は忙しいのだよ。
 目下の悩みはURLでブログが表示できない。ほんとにWEB上にあるのだろうか。これもそのうち解決するのだろう。
 もうひとつ私にとって無意味なのがジャンルだ。雑誌ではないのだから読者におもねってジャンルを書く気分ではない。そんなのどうだっていいだろう。あえて言えば、アート&デザイン分野の人間の意識で書いているから、ジャンルは一つでよいか。それに私のブログは、画像とテキストとが一致していないことのほうが多い。というのもテキストを書くための気分向上に画像を使用しているわけだから、画像とテキストの一致なんて私には関心がない。たくさん書かされた論文や雑誌の原稿じゃないのだから、そこは適当に書いている。だからブログなのである。
 
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EOSな日108. テストラン

2017年06月03日 | Shonan coast
 1週間ほど休んでいたブログを再開した。それに8日分のブログがなくなっていた。タイムマシンの記録の狭間にあったようだ。まあそれは書いたものとして、引き続きブログを書いてゆこうか。
 この前まで作成した10年分のブログはすべてiWebで作成したものだったが、Win系PCでは編集が崩れたりデータが重くなるなどの課題もあった。プロバイダーの契約が終了するのを契機として、gooでブログを書き続けようかなと考えている。まだテストランだが。いまではもっと先駆的なブログもあるが、gooは基本的な長く続いているし、私のように10年間書き続ける人間にとっては、まあ調度よいのではないかと考えている。
 Win系特有の操作環境は編集画面ではないため実にそっけなく、今ひとつ執筆意欲の向上に貢献はしないが、私のブログの編集やFBにアップさせるなど類似しているので試みに使ってみようかと考えた。
 iWebではアップ画面そのものを編集しているので、それはIndesignを使っているのと同様の感覚であり大変使いやすかった。私はパソコンマニアのようにオペーレーション志向ではなく、コンテンツ志向なので執筆以外の手間はとりたくない。もちろんHTML言語をつかってというのであれば、手元のMacにはいっているDreamweaverを使えばよいのだが、まあオペレーションが面倒くさい。
 すこしテストランのつもりでgooでブログを書こうかと思う。

鎌倉市稲村ガ崎
2008年8月1日
EOS Kiss Digital,EF macro60mm,f2.8
ISO400,露出補正60mm,f/5.0,1/200

 
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