官から民へ・小さな政府

「政治は言葉」という言葉がある。政治は言葉しだいという意味だ。
 タイトルの言葉は今の政治が目指している言葉。
 官から民へ何が移るのか。小さな政府で何が小さくなるのか.ちょっと立ち止ま って考えてみた。
 いつの時代もどこの国も、国(政府・官)は税金を集めそのお金で、国民の生活を守るという約束が前提に成り立っている。要するに社会は契約によって成り立っている。その上で、今何を官から民へ移そうとしてるのか。
税金の徴収が民へ移るとは思えない。むしろ税金はじめ、医療保険や年金の掛け金など官へ納めるお金は増えていく。なのに政府は小さくなるという。小さくなる官や国の入金は大きくなる。
それでは、国民を守る出口の方はどうか。
年金や保険で明らかのように、給付は減り、結果、医療機関・薬剤(民)への個人持ち出しは増えている。教育費にいたって塾などでわかるように民への持ち出しも増える一方になっている。
要するに政府や官から言うと、入り口は大きく、出口は小さくということになる。国民から言うと、出費は官へも民へも増えるだけということになる。これらが官から民への実際だろう。部分的には正しい言葉遣いだ。
国が大きな借金を抱えているのだから仕方がないし、努力されてる方々には、意地悪なな言い方かもしれない。ただ、「政治は言葉」などといわず、ありのまま正直に言ってほしい。メディアだって判っているはず。
どっちにしても国全体として豊かにならなければ借金も返せないし、国民も豊かにならないだろうと考えるのは普通。小泉さんもそう考え一所懸命なのだろう。国が金儲けをしようと思えば、大企業を中心に国際競争に勝つ他ないと多くの人が考えのもしかたないかもしれない。だが望まなくても結果として格差社会になる。そして治安が乱れ犯罪が増える。(これは、世界のどの国にも言えること)今の形で勝ち抜こうとすれば、国内的には治安を維持する力(警察など)、国際的にはまさつにまけない防衛力が求められる。小さな政府といいながら小泉さんはじめ政府の権力は強化され、公務員は減らしても、警察は増やす。平和を願うと口にしても防衛体制を強めなければならなくなる。国の内外のどちらから見ても強い政府の道を進んでいるではないか。これも国際競争でお金儲けしようという従来の経済の論理で言えばある程度(勿論限度はあるしそれも問題ではあるが)やむをえないことだろう。
40年前までならそれも仕方なかったかも知れない.しかしこんにちは、経済の上からも、地球と人間との共存が求められているのではないか。今向き合わなければならないのは、資本家と労働者ではなく、特定の国と国ではない。人間が真正面に向き合わなければならないのは足元の地球ではないのか。先日テレビで、元、上野や多摩動物園の園長さんだった増井光子さんが、今日の自然の壊れかけた状況を変えるには、「人間が価値観をかえるしかない.これは人間の存亡にかかわるようなことだ」とお話をされていた。まったく同感だ。
「政治は言葉」が通用する今日だから、国や社会が価値観を変えるにはまだかなり時間はかかるだろう。しかし、「政治は言葉」などとのんきなことを言ってる状況だろうか。権威や風説はほとんど役に立たないから、身近な現実をしっかり見て感じとり
自分にできることをするしかない。心細くはない、現実と地球や自然が応援してくれる。
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