地球から見た月と、月から見た地球

地球上ではどうやっても月から見た地球の写真は撮れない。両方とも同じ地球だが形も意味も異なってくると思う。月や人口衛星からの地球の情報は既に部分的ではあるが生活の中に入っている。しかし。殆どは従来の 地球から見た地球(地球中心)の認識で社会や文化が成り立ち、人は行動する。日本の歴史は明治以降は現代と区分されている。現代はいつまで続くだろう?が永久に「現代」が続くはずはあるまい。明治になって歴史を整理し、時代区分をしたのだろう。その時を現代とし、日本の歴史年表と歴史認識は基本的には今も変わっていない。当時、無限に大きく見えた地球と、1969年のアポロ11号以降、月や人工衛星などから地球全体が、有限な存在であると人の目と写真で経験した。地球や歴史の認識が変わり、行動も変わっていいはずだったが、実際はそうはいかず

「近代」的な地球の無限さを前提に政治的 ・経済的・文化的行動が続いてきた。恐らく、政治・経済・文化の多くが年表的には現代であっても認識上は、近代を引きずった基本的な認識や世界観が変わらないからだろう。学問や研究の手法も月へ行く以前と基本的には変わっていないのではないだろうか?。月から見た地球の現実は確実に変化しているのだが、人間の意識は相変わらず、国や国家間のダイナミズムで、行動しているようだ、こんな事を見ていると歴史の進化は迷信のようだ。そんなに甘くはない。地球温暖化に反応でいないでいる人類は、このような分厚い認識の壁(養老流に言えばバカの壁?)が原因になっているのかも知れない。地球環境の問題はゴア氏の言うように政治の問題ではなく全ての人間の基本的な倫理の問題だろう。口で言うように本当に親がわが子を愛しているか、そして自分が生来持っている生物や人類の生存と子孫を残すDNAが機能するかどうかを、地球や周囲の現実が社会と我々一人ひとりに今どうするか?と、問いかけている。  

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )