道徳、『教科』に格上げ案

今朝の朝日新聞の1面トップの大見出しである。安倍カラーーのこの案を例の教育再生会議が提起し、国民の期待に答え、アピールすると言う。『規範意識』の強化が目標だと言う。
 確かに世の中は不安定で、人心も荒廃している。美しい国づくりのため、人心を整え、社会の秩序を取り戻したいとの希望は十分解る。しかしこれは飲み屋の話ではないから、一応教育的に考える必要がある。
 40年前、道徳教育が特設され間もない頃、当時文部省の研究指定を受けていた埼玉県入間郡のある小学校で私は教師になった。学生時代の経歴から、すぐ道徳の副主任として、校内の道徳教育の責任を仰せ付かった。私は学生時代の研究スタイルから、すぐ子供たちの道徳心の実態調査を実施した。その一つに金子書房だったと思うが、道徳の『意識調査』の心理検査を実施した。結果は規範意識と実践意識の乖離が予想を超えて大きかった。簡単に言うと分っているが実行できない状態だった。当然、実践意識をどう高めるかが、学校の指導の中心になった。しかし実際の子供たちは特設道徳の目標とは異なった方向へ変化していった。埼玉県に見切りをつけ、東京へ移るきっかけでもあった。
 東京へ来て道徳の『内面化・実銭化』を狙った研究もした。それは学級を中心にした文化活動をベースにしたものだった。埼玉時代よりは、はっきり目に見える形で子供は変わった。しかし、それでも社会や時代の流れには抗し切れなかった。その後の教師経験の全てから子供の成長・変化は学校は一部であり、家庭を含め社会全体の『風潮』の影響が大きく、それがベースになっていることが痛いほど解った。当然と言えば当然である。
 だのに、今どうして道徳を教科に格上げし規範意識を高めようとするのかさっぱり解らない。解らないと言うより、教育的に意味がなく、何の効果も挙げないだけではなく、規範意識と実践意識の意識の乖離がさらに大きくなり、心のバランスを今よりさらに崩すと考えられる。子育てや教育上は心配が増えることになる。
 私は仕事として経験してきたが、自分の子供や自分自身の経験を振り返ると感覚的かも知れないがその因果を捕らえるのはそう難しいものではない。私の子供時代の大人たちは、教育のあるないに関わらず普通の常識として、生活全体の中に規範意識を求めていたように思う。それでも内面と外面の乖離はあり『内弁慶』もごろごろしていた。

今はそれどころではない。だいたい、規範意識の必要をことさら言う人間自身、内弁慶が多い。国のリーダーは「国内向け」と「外国向け」を使い分けるのが、普通になっている。

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