原子力発電の監督責任はどこか?

原子力発電の事故隠しが相次いでいることがバレちゃった。ところで原子力発電を管理監督している役所はないのか?新聞やテレビには責任の役所名が全くでてこないので、分らない。公的機関の守備範囲外ということか。ホリエモンの粉飾決算であんなに動いた公安や検察も何の動きもない。矛盾を感じる。
 町のラーメン屋さんでもそれを管理監督する役所がある。学校での子供の事故は学校が責任を問われ、子供の粗相も親の責任が追及される。
 それが核問題のある原子力発電には行政が管理監督する責任の部署はないか?それはありえないだろう。
 担当部署が頬かむりし、政治やメディアもそれを追求せず、国民もそれに疑問をもたないだけ。
 原発反対運動に対しては通産省始め政府全体でエネルギー政策遂行のため全力を挙げ、事業そのものは民間企業に厳密な約束事の上許可しているはずである。事故を隠した責任は企業にあるが、許認可してきた行政の判断の甘さ、それを招いた管理監督の結果責任は、行政にあるはず。もし大事故を招いたら、1企業の責任で済むはずがない。 

 JR西の電車事故以来、偽装建築、未履修や、やらせ問題などの教育問題まで行政の責任が殆ど曖昧になったままで責任を取ったという話はない
。最近は、大きな社会問題になったとき、担当大臣や、企業の責任者が(給料の3ヶ月間、1割カット)でテレビカメラの前で、ペコリと頭を下げるパターンが流行っている。「無責任時代」は、上から下まで現実には普通になってしまい、我々は既に責任を感じなくなってきているのではないだろうか。感覚マヒの度合いの違いだけかもしれない。今は薬剤タミフルの厚生省の対応を注目している。

子供がどうのと言える大人の状況ではない。

無責任な人ほど他に求めると言う関係式が成り立つかもしれない。偉い人ほど他に求める。私は偉くもないのに、他人(ひと)に求めがち。自分のあり方が問われ、実際にはそこからしか始まらないのは分っているが、結構難しい。時代のせいだろうか。

 

 

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