勉強嫌いにする方法

世界との比較で、日本の子供は勉強や学校があまり好きではないらしい。皮肉だが教育効果が表れたのだと思う。
 子供を勉強嫌いにするには勉強を強要すればいい。強要すればするほど効果がでる。勉強好きにするのは難しいが嫌いにするのは簡単である。
 大好きな牛乳も牛乳嫌いにするには、牛乳を嫌と言うほど飲ませればいい。たとえ遊びでもゲームでも寝かせず連日強要したら、その遊びはしなく(出来なく)なるだろう。
 生物はそれぞれ「最適」があり外部から一方的に強いられると、適正そのもを失い身が持たない。
 今日子供たちは、学校嫌いで、不登校になり、勉強嫌いの傾向が強いにもかかわらず、基礎学力を高めるために学習時間を増やそうとしている。愛国心を育てると言って、日の丸君が代を強制し、従わなければなければ自分たちの先生が処分される。
 強制されて好きになるものはない。(夫婦生活ですら例外ではない。どんな美男美女であっても他人から押し付けられ、処分をちらつかされると何かあると考えて一目散に逃げる。こんなのは反射神経だ。)こんな誰でもが経験し100パーセント納得できることと反対のことを『国』の権威の前には誰もが我を忘れ疑問にも思わない。全く不思議である。
 この間、ある右翼の指導者の話を聞いたが、『自分は君が代や日の丸はその精神に触れ尊敬している。強制されるような陳腐なものではない。だから強制は受け入れられない』と話していた。「強制されれば好きだったものも嫌いになる」これは思想や立場に関係ない自然の法則だろう。これを『教育国会』の名で、お金をかけて国を挙げて推し進め、親達も拍手喝采するのだから、困ったものだ。
 少し教育に関心を持つ人なら、過去のデーターを見れば、その原因が強制にあることははっきり確認できるはずだし、今後さらに強制を強めたら、教育の問題はさらに深刻化し、国際競争力どころではなく経済そのものに大きな打撃を与えることは容易に予想がつく。実際すでにあちこちに露呈している。
 このように書くと、必ずと言っていいほ、『じゃー子供の好きなようにさせるのか?甘やかせばいいのか?』とか、『昔は鉄拳を伴った絶対服従だった』と反論される。
 今の子供の状況が以前と全く異なっていることを思い返してほしい。子供は部分の張り合わせでモザイクのようにして育ちはしない。全体の構成とバランスの

総合によって教育は成り立ち結果としてあらわれる。昔は、どの子も、学校や勉強が生活の中心ではなかった。家族や地域の生活が基本にあり、自然や子供たち同士とかかわれる自由な時間と空間があった。自然界の人や生物として成長発達出来る場が法律どころか、(よく学びよく遊べ)の常識と

して保障されていた。それを基にしたうえでの学校や勉強であった。強制があっても全生活の中では一部でしかなかった。当時は、全体から見るとたとえ強制する勉強であっても子供にとってはそれなりにバランスが取ることが出来た。(

だから教育を再生するなら、子供の、自然と関わる時間を回復し、全体としてバランスを取り戻すことにあるはずなのに逆をやろうとしている。) また、こんな反論もあるだろう。スポーツや稽古事、修行は上から一方的に指示され強要される。「そのときは苦しかったが、今はその指導者に感謝している。」とよく聞く話である。しかしこれも上っ面でこの話を聞いてはならない。いい指導者は外から見たのとは異なり、必ず、練習に励む個人の内面との関係を見逃してはいない。信頼関係を超えて強いることは絶対しない。信頼に基づかない、法律や立場や権力をてこにして、指導するる人は、まずいない。たまには、そういう人もいるだろうが、失敗した例だろう。ところが学校ではそんな失敗例があまりに多い。(国を挙げて法的に強要するのだから上司の言うことを聞かなければならない公務員(先生)は、ある意味で仕方がない立場とも言える。子供達に良心的にやろうとすると、いろいろな意味で結構大変なこと。多くの管理職が子供への良心と引き換えにして立場を得ている現実も無理からぬことかもしれない。)
 
 かつては大人は誰でも『よく学びよく遊べ』の知恵を持っていたし、その智恵はしっかり機能していた、平安時代の歌に『子供は遊びをせんとや生まれけむ』と言うのがある。人の本質をよく捉えている。それから1000年経ち、子供を勉強嫌いにする最も確実な方法を権力や法律で大人がこぞって堂々とやっている。「子供を命がけで守る」と言う親までが一緒になって煽っている。
 
難しいことではない.誰でもが経験しているごく当たり前の、『強いられた物は嫌いなる』ことを思い出せばいいだけなのに。
賢い親は自分の子供を見て、己を反省する、いい教師も同じく、クラスの子供を見て己を反省し指導を訂正する。それが(国)となるとどうしてか、教育問題が浮上すると、『先生が悪い、教育委員会が悪い、法律が不十分、親の責任』となり、反省することはない。
 国政を我々下々にたとえてはいけないのかもしれないが、真昼間から大口開けて他人の悪口や陰口をたたく風景とあまり変わらない。日本が暴走している具体的な風景はあっちでもこっちでも見られる。

子供達の限界や許容範囲をとうっくに超えていることを知るべきだ。(教育上の諸統計を見れば誰でもわかる。)

今、進めようとしている教育を実施して、教育上、子供は勿論よかったと思う人がでてくるとは私には考えられない。

どんな企業も(当面は教育産業関係はいい思いをするかもしれないが)、どんな政府も、勿論、全ての国民に、数年後は確実に大きな付けが回ってくるはず。(人格破壊の社会的リスクの及ぼす影響を考えればいい)私は今の教育政策は『無知』以外に考えられない。現場では半年もすれば変化の兆しが見られるだろうが、部外者であっても3年後の教育の統計を推移を追って見れば誰でも分るはず。教育を取り上げるメディアは最低このことぐらいは覚えておいてほしい。

 

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