警戒警報

多分、昭和20年の敗戦前のことだと思うが、近所のおじさんがメガホンを持って『警戒警報!警戒警報!』と大声で走って回った。我が家では、玄関の柱の釘に「警戒警報」の木札を掛け家族全員が庭先に掘った防空壕に駆け込んだ。あの時は何事もなかったが、場合によってはあの後、『空襲警報』の呼びかけで,木札を裏返し、赤色の地に墨で「空襲警報」と書いた面をに架け替えるとのことだった。

 あのときのことは今でも焼きついている。
 今、経済が行き詰まり・突然政治の大連合が模索され・犯罪の頻発する社会・教育や文化の崩れ。
 これらを見てると、いつどこで何が起きてもおかしくない不吉さを感じる。少しでも犠牲を少なくするため、あのときの『警戒警報』でも、台風前の『注意報』でもいいから、皆に知らせまわるタイミングではないかと思う。サイレンまではいらないが、赤信号の点滅ぐらいはあったほうがいい。転ばぬ先の杖。
 
朝方、布団の中で、そんなことが思い浮かんだ。
 だからと言って、(0か1)と考えている訳でもない。


 一昨日は、ハトが、昨日はススメがベランダのところに3ヶ月ぶりに来て、撒いたお米を食べていた。ほうとした。
今日も近くでスズメの声は聞こえるし、影も見える。さっき、お米を多めに撒いておいた。
     自然の回復力だけは間違いないからなー。

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