困った癖

体罰が癖になることは身をもって経験した。
考えて見ると、子供のころから思い出すだけでも癖になった行動は多く、感じ方も行動も多くは癖になったものかもしれない。三日坊主の反対に、三日続けると癖になるものが多い。
話は飛ぶが、今朝テレビで、警察幹部の関与した霊感商法のことをやっていた。思わず、所謂「週刊誌的」だと思った。事件の原因や背景を追うのではなく、事件の意外性や男女関係など皮相的なところを追っている。あれあれと思って、チャンネルを回すと、どの局も似ている。これでは、思考が横(皮相)に進み、縦(因果関係)には進まない。視聴者ははその癖がつくと思った。
 にわかに、「マスコミ」「メディア」の軽さが思い浮かんだ。
 マスコミと言っても我々は発信出来ない単なる消費者でしかない。「世論だ」「民意だ」とマスコミは伝えるが、この情報も相互性はなくメディアの一方的に処理したものでしかない。
 民意を問うとして行うメディアの世論調査自身に疑問を持つ人はどこに丸をつけたらいいのだろうか?
情報伝達で、視聴者に上面をなでる思考の習慣(癖)をつけておきながら、一方的に「世論」や「民意」を「てこ」として利用する。
 
  霊感商法よりはるかに影響は大きく、悪どいと思う。しかしそれが見えないように我々は困った癖をつけてしまった。面白かったり、効き目があると本当に癖になりやすい。(癖になったものをはがすのは、並みの苦労ではない。)

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