文化の球体

月から地球を見ると、地球は宇宙に浮かぶ1個の球体だが、地球人が月から見ると、人と自然によって出来た、街も畑もある文化の球体に見える。
 文化の担い手はそこに住む人間だから、月の基地でから地球の観測をした。(勿論、仮定)      

 始めに、60億を超える人間のあかちゃんから老人まで全部に、(名前を忘れたが、)小型でナビゲータのような機能を持った器具を装着させた。(生きてる間は光を放す。)そして観測所のコンピューターのディスプレーでその様子を見、必要に応じ情報を取り出した。

見ていて、気が付いたのは、文化の発展していると思われる北半球は、ヒトが発する光の数がだんだん減少するが、南半球の方は、かなりのスピードで増加している。
 球体は全体として速いスピードで増加し、コンピューターの計算にとると、100年後は1・5倍の90億人になるとのこと。
 ディスプレーを拡大して少し細かく見た。すると北半球は全体の数が減るだけでなく新しい豆電球のような光点は、古い光点との割合がどんどん大きくなっている。

 南半球は逆に、総量だけでなく新しい豆電球の割合が増えている。
 明らかに文化の担い手(人間の構成)に変化が見られる。
また、見ていて気が付いたことは、豆電球の長持ち具合だ。
平均して北半球は長持ちするが、南半球の豆電球は寿命が短い。しかも明かりがついてもすぐ消える者(子供やあかちゃん)も少なくない。ちょっと気になるのは、北半球では、明るく光っていた電球が何故か急に切れたり、光が弱くなったりしている事だった。担い手に何が起きているのか?とちょっと考えさせられた。

 次の実験に移った。地球上の生き物と植物を仲間毎に色分けできる器具を埋め込んだ。
 ディスプレーに、動物と植物の発達の系統図(生物の教科書に出ていた大木のような枝分かれした図)を映し出した。

 すると、なんと言うことだ、生き物も植物も、全体の数が減少し、あちこちの枝の先についていた葉っぱがなくなっている。動植物の大木が枯れてきているようだ。
 以前はあんなに元気に大空へ向かって伸びていた生物の木が、明らかに動物も植物も系統図に映し出された総量も種目も減っている。ただ地下の根っこにあるウイールスだけは新種が増えている。この異変は何なんだ!

 多様化してきた生き物が単純化し減少している。見ていて怖くなったのは、人類の枝の周囲の葉っぱも落ちてきていて人類の周囲が寂しくなっている。しかも人類の葉っぱも、まだらに変色していることだ。秋の汚れた紅葉を見ているような感じだ。

 明らかに文化の担い手やその周囲は変化している。

 次に、ズームアップして日本列島の様子を見た。都市部はどこも高層ビルで車が多い。良く見ると変化は都市部だけではなく、田舎の畑の中にスーパーなどがあちこち、建てられたりしているが、昔からあったお店はシャッターを下ろしたり姿を消している。

人々の着物も、食べ物も、街も田舎もあまり違わない。
 いやいや、地球全体も似たような変化が見られ、落ち着いた多様な色合いが少なくなっている。
 生き物や人間も街の景観もどこも寂しくなった。
 様々な人間が次第に画一化してきた環境のもとで、暮らし方が似てきた。

    地球では人権だ、個性だ、民主主義だと言いながら、担い手の暮らしは、モノトーン化している。
 

月から見ると、夜のネオンのように一見ハデハデになったが
 文化の球体は担い手の人間の異変と同時に、色も単調化して模様としてつまらなくなっている

 、あれ、は自分たちの姿が見えないからなのか、豊かさを勘違いしているからなのか。

普通うに使われる「経済成長」や「テクノロジー」そして「競争力」の言葉だけでなく、身近な全ての言葉や情報を「文化の球体」の上に 置いて  意味を確認した方がいい。
 今日、「掘って燃やす」を産業基盤にした「偽装文化」がいいはずがない。「生み育てる」を産業基盤にした「安心して見ていられる文化の球体」にならないかなあと思う。

(今、普通に語られる、産業基盤に触れない「自然との共生」なんてあり得るだろうか?身辺も自分も、発想や行動俯を瞰図の中に置いてその根っこを気をつけて見てみよう。)

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