世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
窓の向こうも
今日は久しぶりに初夏の陽気で空気も暖かく柔らかい。朝風呂に入り、窓を開け、部屋の掃き掃除をしてゆっくりしていた。
近所からもすずめの声がよく聞こえ、庭のミカンの木にも入れ替わり立ち替わりすずめがやってきてもぐりこみ、チュンチュン言いながら止まり木のえさをついばんでいる。
ちょうどテレビで室内四重奏をやっていた。右からは静かな音楽、左からは網戸越しのすずめの鳴き声が聞こえる。両方聞いていると面白い事に気がついた。テレビからの静かな音楽よりすずめの鳴き声のほうがいい。
傍の妻に、「すずめの声のほうがお肌に優しい。」と言うと同じだとうなずいていた。
暫く、すずめの仕草を見て楽しんでいた。すると7~8羽のすずめの中に2羽だけ並んで餌を食べているのがいる。明らかに別行動をしている。見ていると、1羽がもう1羽のすずめのくちばしに餌を入れてやっている。もらっている方の足元にもお米の餌は一杯あるのに、それをとろうとはせず、くちばしを開けてくちばし伝えで入れてくれるのを待っている。2羽の大きさは同じぐらいだから、恋人だろうと見ていた。
妻も「あれで、アピールしてるんだよ。」と思い出してるのか羨ましいのか、ニコニコ見ている。
お昼のざるそばを食べながら外の様子を見ていると、そのつがえはほかの木に止まっても同じようにやっている。窓枠の向こうが穏やかでいい。
明日は例のミュージカルの追っかけで隣の町まで行くが、今日の窓枠の向こうもぜんぜん負けてない。
補足①だが、ミカンの木は上の娘が子供のころ種で植えたのが今は3メートル以上に大きくなり、すずめの隠れ家になる葉っぱを沢山つけ、今年は白い花まで咲かせている。すずめか虫が近所のミカンの花粉を運んでくれれば実がなるかもしれない。
補足②すずめのことを下の娘に話すと、「どっちがオス?」
と聞いてきた。「フム?」だったが、おかしかった。
すずめもミカンもミュージカルで物語をやっている。
そのうち、口笛を吹いたら逃げないで、こっちを見るようになるかもしれない。盛り上がるだろうなあ~~。
協力と競争
物事は協力と競争の関係のものが多く永久になくならないだろうとも思う。人と人、国と国、生き物同士、企業と企業、‥とにかく多い。ところで2者の間はこの2項がどんな関係になっているかは大事な事だ。常識的には協力あっての競争、弱肉強食も共生の範囲内でないと意味がない。競争社会といわれる今日,その辺はどうなっているだろうか?同じ地球上で飽食のと飢餓の国、つぶす人間とつぶされる人間、減少し死滅するする生物と異常に増加のする生物など、常識的機能していないものが意外に多い。
喧嘩だって普段仲が良くなければ意味がない。スポーツやゲームの勝敗も、相手がいなければあり得ない。
戦争から、経済、受験勉強に至るまで、本末を転倒させて進行させているものが多い。結果そこで何を得るのか?
結局はお互い、自滅と共倒れの虚しい人生。
バランスを取り戻せ! ちょっとで良いから、第1と第2の順序を変えるだけでいい。 風景がガラッと変わる。
教育費をGDP比5パーセントにすると言う愚
私が政治へ信頼感がもてないのは
学校現場でいやと言うほど原理原則を無視した教育行政を経験ししてきたからである。
文科省は国際比較でGDP比5パーセントに引き上げ、子供の学習時間を増やし、教員を25000人増加させ学力をあげると言う。
財務省は、教育投資と学力とは相関しないと、教育論で反論している。教育行政の中枢の発想を財務省が教育論で反論する。ここは財務省の言ってる方が正しいから滑稽な話だ。
社会保障費の減額が後期高齢者にまで及んでいるのに、お金必要ないどころか子供をだめにするのにお金を使い、国のセイフティネットを省く。
今子供は大人が求めるような【学力】が高められるような状況は、とっくの昔になくしてしまっている。
子供の声に耳を澄ませば、誰でも分ること。
不登校対策のカウンセラーの配置が意味のない事は、、統計を見れ場明らかだし、それどころかその間に「発達障害」というより深刻な問題を噴出させている。ここでも問題児を作ってはお金を掛けている。外国のGDPと比べているが、家庭生活の比較はしているのだろうか。
根拠のない政策にお金をかけ、大事な命綱をはずすなど政治が壊れているとしか言いようがない。