何となく

    何となく、あくまでも何となくなのだが‥
 
  終戦の玉音放送以前に、家族して庭先の防空壕に急いで入ったのを割合はっきり覚えている。記憶は3~4歳頃からだ断片的に残っている。
 冬の雪道を母におぶわれ病院から帰るのも残っているがちょっとしたら、それより少し前かもしれない。
 それ以前の記憶した残像はないが、(何となくだが)ぼんやりと感じてる自分があったような気がする。それがおっぱいなのか、おしめのことなのか、暑さ寒さの事なのか、窓から入る風の事かは分らない。 しかし、何となく体が感じていた自分があったような気がする。
 それはあれこれ考えて色んな気持ちになる現在とは違い、(これも何となくなのだが) 
 体が自然につり合いよく感じる気持ちの良い自分である。
 今、67才で、喘息をやりながらだがあのころの自分の体の感覚を取り戻したいと思っているようだ。
 現在はあのころと比べ頭でっかち過ぎる。
 そんな自分が、周りを見て、世界を見て、宇宙から地球を見て、人間全体が自分と似たり寄ったりになっている感じがする。
 体と頭がちぎれたりちぎれそうになっている。
 世界の政治・経済・文化 勿論教育も子どもたちもそんなはざ間にいるようだ。
 (これも思いつきだが)一昨日書いた「発達障害とストレス」をあの頃の記憶以前の
 感覚や現在自分の求めている感覚の上に今日のようなストレスをおいてみると、発達障害といわれる行動がでてくるのが分る気がする。
 これは、あくまでも確信のない(何となく)の話である。
 
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