世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
反論
金子勝氏(慶応大 経済学教授)に反論。
雑誌<世界>9月号で金子氏は「民主党は 闘わなければいけない」で『小泉政権以降、メディアと政治の関係は大きく変わった。ここに日本政治の劣化を解く鍵がある。小泉政権のポピュリズム的な政治の手法は、メディアを劣化させ、今度は劣化したメディアが政治を劣化させるというプロセスが今も進行しているからだ。」
特に書き出した文は かつてから強く感じていた所だったから、心底溜飲の下ろす感だった。
マスメディアへは媚びへつらい同じように唱和することがあっても批判はタブー視されているような現在の状況にあって、マイナーな雑誌ではあっても勇気を持って述べられた金子氏や出版社に敬意を持っている。ここでは、その上にたってに批判したい。
簡単に言うと、メディアが劣化し、世論を操作し、政治をリードするのは小泉政権より
はるかいぜんからでなかったか。
学校現場から見たマスメディアは少なくても1960年代後半には今の体制が組まれていた。
これはメデイ政治が始まるの歴史的な時期の問題以上に、権力の本体の認識を左右するから
尊敬する金子氏だから余計言葉を挟まないわけにはいかない。
行われているメディア政治は権力の本当の構造(権力の表と裏、権力の【筋】)と政策(仮説)の検証を抜きに進めていないか。
表面的な党派の権力闘争劇や、パワーゲームが その両者を曖昧にし、見えなくしていないか。変わってきた事と言えば、権力の本体や権力の構造が見え出してきた事で、歴史的な進歩すら感じている。
ついでもう一人、
日本の代表するオピニオンリーダー格の寺島実朗氏も国際政治ではともかく、国内政治の論評は 金子氏とは違った社会的ズレを感じる。
『議員定数を減らし政治家は切磋琢磨して上質の政治家を生む』と主張していたが、
現在、政党や政治家が状況をわきまえた理念や政策を見出せないでいるとき、氏の言う論理は通らない。政治家の量の削減と質の向上は 政治家に向ける以前に、マスメディアの情報に向けた方が現実的。
とは良いながら、道産子のよしみと、国の内外の豊かな見識を持っていることへの敬意は全く変わらない。
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