事実に対応できない現実

自衛隊は震災の救助活動から撤退し始めている。

国の安全を保障するための自衛隊は、国防(武力)と震災救助の緊急性を判断して被災地へ派遣したのであれば、被災地の状況が良くなったと判断したからなのだろうか?

 報道によれば、未だ1万人近くの行く方不明者がおり、瓦礫の山は相変わらず。

 原発事故は勿論、まだまだ生命は脅かされ、セイフティネットを手放せる状況にあるとは考えられない。

 もともと、自衛隊は災害救助を主要な目的として設けられた。

 国民の安全は外敵によっても災害によっても損なわれ予測はしても、はじめからわかっていて規定されるようなものではなく想定外を想定するところから始まる。

 

 行政機構が縦割りで窓口をたらいまわしされる不便はよく指摘されるが、現実に発生する問題は予め仕事内容を決めた縦割りの窓口では処理できないことは自明であり、 目的と方便を取り違えた(役人仕事)を今回の自衛隊の撤退は同じではないのか?

 安全を脅かす緊急時は、担当者如何ではなく、消防士であろうが警察であろうが、市の職員であろうが、町のおじさんやおばさんであろうが、立場を越えて、その場に居合わせた者が対処するのが、社会人としても立場以前のこと。

( 日本は一つ)とか(自衛隊の献身)とか喜ばせるようなニュースも、も一つよく見ると、これまで失敗してきた、使ってはいけない発想と方法で動いているように見えて仕方ない。

 これは、日本だけではないが、現代社会の古い行動様式ではなかったか?

 

 

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