じっくり出口を探す

世間話をしていると、「もう、先が短いからいいの。」の言葉に時々出くわす。

経済や世相を見て先行きに不安を抱くのは仕方ないとは思うが、同じ年寄りとして、どこか気分が悪い。

格好よく命と引き換えにしたように装いながら「食い逃げ」するような身勝手さを感じるからだ。

私たちは高度経済成長を奇跡的な成功体験という一面的な評価をする反動で、政府もマスコミも国民も環境の変化について行けないでいないか。

こんな時はどのレベルでもやたら動き回わって残り少ない体力を消耗することなく、最低のセイフティネットを整えじっくり出口を探すことに専念した方が良いと思う。

墓石の背景に「時代転換期末期の総老残化現象」などと歴史に刻まれないよう気を付けよう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

  何故マスコミの在り方が政治的に取り上げられない?②


都議選を終えての感想は選挙結果ではなくマスコミに対してだった。

権力による言論や報道の規制は言うまでも無く「言論や報道の自由」の建前でマスコミが権力の先鋒を担ったり社会に影響力をもつマスコミに対し公正さを担保すべく政策を国の内外を問わず聞いたことが無い。実際は歴史や民度によって若干の違いはあるが、何故政治課題にしないのか?

過去の経験もあるにはあるが、政治や文化の進歩を考えると放っておいて良いとも思えない。

マスコミの影響力と政治権力の間に逆転現象が見られ、報道機関による情報の違いは支配関係内にあって許容範囲に留まっているようだ。

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

試されてるのはアベノミクスだけではない。①

案の定都議選で自民・公明は圧勝した。

マスコミはこの間アベノミクスを肯定的に評価した情報を流し続けてきたから選挙結果は1か月以上も前から予想できた(私には出来レースに見えた)選挙やその結果に意味を見いだせなかった。

投票率が4割そこそこで棄権者の方が多かった。選挙のマスコミの解説は総じて棄権者は政治への白紙委任だと一方的に解釈しているようだが、果たしてどうか?どのぐらい吟味し検証しているか疑問。アベノミクスの肯定的評価同様無責任さを感じる。


アベノミクスをどうして評価できるか理解できない。アベノミクスの破綻を覆い隠せなくなるのにさほど時間はかからないだろうと専門的知識や情報源を持たないことを自覚しながら確信出来るからだ。

破綻が明らかになった時マスコミはどう報ずるつもりか?      試されてるのはアベノミクスだけではなくマスコミの暗黙知も試されている。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )