引きずっている不合理

社会活動の主要な道具として競争原理が用いられているが特に有限な中にあっての競いと争いは合理性を欠く事が多く、今日の行きづまった社会の原因の一つとも考えられる。

競争が有効な場合であっても【共生の原理】がより根底に据えられた上でななければならず、「弱肉強食」とか「勝ち組・負け組」と言われるような競争原理は寡占化が進み最終的には競争そのものが成り立たず論理的に合理性を持たない。

現状の不合理な原理に宗教がコミットしないのであれば、宗教をどう意味づけたら良いか?。

私たちは【古い時代の不合理】を引きずり転換できないでいる。

 

 

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