当たり前が難儀な時代




公理が無視され本来を取り戻すことが難しい社会に在っては

   個人も探索行動や身体感覚を取り戻すことは社会と同様に難しいだろうと思う。

    本来の本能的とも考えられる極当たり前のことが 今は自覚するのすら難しくなってはいないか。 
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  「本来」を取り戻せ!




    (世界経済の縮小)は 社会の公理①②を用いると容易に論理的に導き出せるのだが、現状の社会に組み込まれていては

      リーダーも学者も導き出すのは 発想的にも帰納法的に演繹的にも難しい。だから 公理同様(世界経済の縮小)は社会的に認知されていないのだと思う。

     現状は 見た目にも論理的にも 砂上の楼閣 人の心は虚ろなり。

      

    
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  転んでも ただ起きぬ




     「かつて経験したことのない大雨で被害」  文字通り人を中心に自然を見た言い方。これじゃ雨が迷惑だろう。


     自然現象は自然の法に従てるだけなのに、人の勝手な行動は関係ないか?  雨さん曰く 「人は物言いに気を付けろ!」

     それはともかく 自然と人の主客転倒した関係を本来に戻すチャンスではある。  

       
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  公理を用いて問題解決の頭のトレーニング



    難民を社会問題としてどうとらえるか?

    社会が持つ二つの公理に当てはめると、

①自然界には 人が住む場所の線引きは無い。

    ⓶社会は必然的に一元化へ向う。

       上記の二つの命題を基本にして 現状との関係で 技術的に処理すべきだろう。

       すると 一方的な排除の論理や 子どもを親から引き離すような非人道的な処理は 解決策にはならない。


    現状を国家単位で見ると 無茶苦茶や無関心が多いことが分かる。


    戦争 平和 政治 経済 文化 教育  そして個人の幸福も 上記の手法でトレーニングすると 現状が浮かび上がる。
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自分にはどうしても解からない



  前ブログで書いた社会の公理に当たる2つのことを メディアが触れたのも見たことが無いのは 社会的に認知されていないからかもしれない。 

   (100年の計としながも) 自分の勝手な思い込みかもしれないが 認知されていないことが理解できない。

      個人にとってのドラマとは こう言うものかもしれない。

       世界には73億のドラマが 一呼吸一呼吸毎に 紡がれている。
   
     
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大人には難しい?




  日本はアメリカとの距離をとり始めたようだが これまでの外交のツケがあちこちから回って来るから大変だろう と思う。
  軌道修正は余儀なくされるだろうが、積極的役割を果たすべく新しい理念を生みだし 構想を描くのは誰もやってはくれない。

   理念や構想は自然界にある科学の基本を学ぶほかない。 大人には遅すぎて難しければ 子供たちには学ばせよう。
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今日も ドロドロ バタバタ劇



世界は相変わらず平穏にも おもちゃ箱をひっくり返した繰り返したようにも見える。

     

   今朝も テレビは 米・中貿易摩擦や日本の労働者不足など 内外の問題を有識者の座談会の形で報じていた。

    有識者の見解は夫々だが 何れも社会科学的には外せない背景の公理にも等しい基本が抜けている。

    一つは「自然と人」の関係であり 一つは「社会空間の拡がり」である。
    
この2つは 社会を科学的に分析する時 立場に関係なく


押さえてなければ成らない条件であり、それを欠いては空論に等しい。

    おもちゃ箱をひっくり返したような世界をどうするか、の問いに科学的に答えるには これでは かなり時間がかかりそう。

    恐らく子供には見せられないような このドロドロ バタバタした試行錯誤が続くんだろうが、 

結果は人為を越えて 自然の理によって 「成るように成る。」と子供たちには伝え励ましたい。  


     台風をよそに 軒下の風鈴と 遠くからは幾種類もの鳥のさえずりが 静かに聞こえてる。
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