世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
事実確認の大切さ
今のように混乱した状況では一つ一つの事柄を全体の中に詳らかにして
事実を確認することが必要ではないか。この確かめる作業が全体的にルーズになっている。特に情報を繰り出すマスコミにおいては。
産業転換への知恵
世界の国々は自然崩壊に対しては 持続可能な産業構造への転換しかないと思うが、競争社会でそれを行うのはゲームからのリタイヤを意味する。
特に大国アメリカにとっては覇権を投げ捨てるに等しく難しい。
人類は知恵を出し合えるだろうか。友好国なら猶更。
欲に弱い私たち
子供たちが十分悲惨な状態にあっても さらに追い打ちをかけているのが私たちの現状か。
「子供の人権」とか綺麗ごとを並べても 結局 私たちはお金と欲に勝てないでいる。
二つの壁
1,世界や人類を一つの単位として認識出来る。
2,その単位全体が大自然に順じている事実認識。
人類がこの二つの壁をどう乗り越えるか が試されている。今は最初の壁に近づきつつある。
気が付くのは人
行き過ぎた コマーシャル・プロパガンダ・フェイクニュースによる情報空間にあって、世界全体が混乱状態に陥っている感がある。
逆にそれが見えるほど透明になって来ているとも言える。
更に透明感が増せば、それなりの手を打たれるだろうと思う。ただ、気が付くのはあくまでも人である。
時代転換へのモラトリアム
子どもの頃は’(世界)は無限に広がる空間のように思えた。
今は 目に見える (フェイクニュース)が当然のように語られる ある意味でちっぽけな空間にすら見えてくる。
そのちっぽけな空間で私たち人類は自らの安全を損なうような争いをしているのかもしれない。
富をめぐる争いが やがて理に適わぬことをはっきり知ることになるんだろう。
どうせ競うなら「自然保護」をめぐって争って欲しいものだ。
フェアとアンフェア
物の善悪を(フェア)かどうかを基準に測ることがよくある。
直観的・主観的で一般化出来ないが論理以上の判断を下すこともある。
身近な暮らしから国際政治まであらゆる分野で手軽に便利に使える。
内外の権力とスポーツがもてはやされながらもスポーツに 世の風潮にも(アンフェア)が拡がっているように感じる。
特にお金の使い方にそれを見る事が多い。