政界における 古いリーダー像

指導者には人間的な受容の精神が求められるが、政治の世界にそれを見出すのは難しい。

受容は知識と違い人格的な精神的発達の課題だが 権力闘争に明け暮れる政治の世界にあっても 器の大きさは 社会的な課題解決には特に必要な資質だろう。政治の世界では 問題解決能力よりも     自己中心であっても旧式の「強いリーダー」を求める傾向がある。

 

 

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世界を視座に据える

国際社会はウクライナ紛争を避けるべく動いたとは思えない。

今 同じように 国際社会には 台湾を巡る緊張を避けるべく動きは見当たらず、むしろ緊張を強めるべく動きが目立つ。

国際社会に世界を視座に据えた思考や対策が見当たらない。何故かはわからないが、視座に据えざるを得ない時期が必ずやってくるだろう。さもなくば自国の安全が危うくなるはずで、各国にその決断が求められる時期は近づいている。

 

 

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原爆の危機に対する本気度

 テレビで見た今年の広島原爆追悼式は 全体的に本気度が気になった。

 75年前の原爆の悲惨さを後世に伝える必要性は大事だが、伝えられる人は今を生きている。原爆の危機も今の時代を背景に伝えるべきで それは党派性や東西陣営の問題を越えた世界や人類規模のかつてない危機である。それが全く触れられていなかった。

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政治が権力闘争に矮小化


国の内外の政治が 権力闘争に矮小化されていないか と思うことがよくある。

ウクライナを巡る派遣争い 統一教会との癒着 過度の商業主義      特に情報機関やマスコミは 権力闘争に丸呑みされているようにすら感じる。

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政策のズレ

  今後の世界は、

 自然環境の悪化と経済社会の劣化 加えて先進主要国の国際的な主導力の後退と新興国の台頭が 暫くは続くのではないか。

 このことを念頭に内外を現状分析し政策化する必要があるが 上手く調整出来ないものだろうか。

例えばウクライナの武力衝突は 事後の予測を基に 国際的に調整出来なかったか? 調整の跡が見られない。

 

 

 

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