世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
米中会談
弱肉強食の世界における、米・中の2大強国を敵対関係にあるとするかパートナー関係とするかは時代の変遷と求められる視座の変化によって変わるだろう。
今は 共に国益を最優先して行動しているが、グローバル化の進行と共に有限なグローバルを意識して行動せざるを得なくなる。
2つの大国はプレーするフィールドを共有して国益を守るようになるだろうから、両国関係を固定的に見ていては、世界ナンバーワンどころでなく世界の流れに遅れることになる。
来る米・中首脳会談でそのサインが見られるかもしれないと密かに楽しみにしている。
待たれる外部の力
地球は悲鳴を上げ借金漬けになった国々を子孫に残し、『これでもか』と言わんばかりに次々バブルを期待し引き起こす。
バブルのインターバルは次第に短く規模は膨らむ。
これでも大自然の有限を認めることなく、経済成長路線をひた走り続ける。
自らの力で制御できなくなった公は経済活動と博打を取り違えるまでになったのだから、こういう時は自然と外からの力が働くものだ。
博打の結果は見えてるのにマスコミはフエや太鼓を鳴らし続けるから、皆もその気になっている踊り続けているが踊り続けられるものではないが、
(赤い靴)は簡単に脱げるものでもない。
礼を説く人に礼を見ないのは常ではあるが、倫理を欠いた者たちが、子供たちに倫理・道徳をお仕着せるのは見たくない
時代転換期の常?
歴史的転換期は次代を先取りすべきジャーナリズムが機能せず、経済の行きづまりと退廃文化が蔓延し、大多数が追随するのも歴史的常かもしれない。
次代を担う潜在的エネルギーは体制の道具化したジャーナリズムやマスメディアとは別次元で確実に社会に作用し出すものなのかもしれない。実態は色々あるだろうが、そんな全体的印象は免れない。
おろそかにされてる言論
自分の言いたいことを他人(ひと)に言う事を聞かせたい時、詰めた言い方をすれば、(言葉)と(力づく)の二つの方法があり、それは個人と個人だけでなく組織と組織、国家と個人、国家と国家など、世界の全ての関係に言えそうだ。
内外の争いや世界に広がるテロやテロとの戦いも この二つの方法の選択によって生じ展開されているのではないか。
言論か力づくかの選択は、民主主義や文化の発展過程と関係するとは思うが、現象的には現実対応の名で、野蛮にも見える(力づく)に走り易い傾向を感じる。
朝の国会討論会までもが、党派を越えて言論の精神より(力づく)の精神をを優先した(言論戦)に見えた。
ヒトビトは 時代転換の末期にあって、思いの外 野蛮な現実の中に置かれているとは思うが、草の根からの新しい芽吹きもはっきり見て取れる。
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