中秋の名月

ススキ越しに見える中秋の満月の表面は異常気象に覆われ、ある生物は止むことなく争い続けているのに、テレビの画像はコマーシャルと、お笑いとグルメとお化粧。

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反面教師

ヒットラーの間違いが再びあってはならない事を世界の常識にしたと言う意味では、ヒットラーは世界的・歴史的【反面教師】と言える。

ヒットラーと比較するのもなんだが、世界も日本も各界のリーダーから私のような下々に至るまで 

あまりに反面教師的間違いが多すぎないだろうか?

「世界の平和と繁栄」を願わない人はいないのだが、現実はそれから遠いところで行き詰まり混乱しているにもか関わらずそれを常識化している。

本来の反面教師は自らが自覚してのことだが、そうでなければ単なる間違いでしかないが、間違いであっても周囲や後世の人の評価の仕方次第で反面教師に格上げしてくれる場合もあればそうでない場合もあるようだ。

間違いそのものを評価するのと間違いから教訓を引き出して評価することの違いで、評価する主体の問題でもある。

 

 

 

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はなはだしい時代錯誤

子供の頃北海道の片田舎で聞いた 選挙演説で(今思えば)保守陣営と思われる候補者はおしなべて『中央直結』『工場誘致』を訴えていたが、国中どこも似たようなものではなかったろうか。

あれから5~60年がたち、今は中央である東京に住んでいるから地方での訴えの中身は分からないが、多少とも変わっていないだろうか?

あの頃は「日本列島改造論」に現実感を感じたが、今はその空気ではない。何故か?

当時、工専や高校の多様化が進められ、日本の4大工業地帯以外の各地に産業都市が計画され、工業団地が作られた。

今はどうだろう?データーが無いからその趨勢は分からないが、感覚的には(縮小)しているように思われる。

少子高齢化・過疎化・全国の農村の疲弊と地方都市の置けるシャッター街の増加・月々1000軒からの中小企業の倒産  これらを総じて見ると、かつてとは明らかに経済的環境は違っているから、当時のような選挙演説はしていないかもしれない。

ところが中央の企図する経済政策はは基本的に当時とさほど変わらない。

経済的環境が変わり借金まみれの中にあっても経済政策は相変わらず公共事業と金融緩和に頼っている。

このような大きな流れの中では(アベノミクス)はもちろん(リニアモーターカー)も(東京五輪)も発想そのものに時代遅れの違和感を感じる。まして政府が目指す安全保障政策は、限界すら見られる近代思想を基にした世界的標準にも届かない時代認識を感じてならない。

「世界の常識」として世界標準にたどり着こうとすること事体が、世界標準以前の時代的な位置からの世界標準と現状認識を基にした安全保障対策と言うことにならないか。

 

 

 

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弥縫策に終始

根本的な間違えを政治の舞台ではこぞって弥縫策に走り、

世界は原因を探ろうともしない風潮にあっても、破壊と統治の1元化は進む。

現在の仕組みが壊れないと世界的なリスク管理は政治的テーブルには載らないだろうとは思うが、人意を越えた破壊は社会的な犠牲に留まらず、最終的には仕組みそのものを壊す時期が来るはずだから、絶望するには及ばない。

子供の頃、かくれんぼうをして隠れた人を見つけて喜んだり、宝探しをしたり、ドングリの実や桑の実を探したりし探検的な事もやってよく遊んだもんだ。近頃はそういう風景も見られなくなったが、大人自身も「探す」行動を忘れた感がある。

出口が見当たらないのに あつらえた物を持ち出すだけで 探そうともしない。世紀末的な無気力さを感じる。

 

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斬新な問題解決の発想

シリアの化学兵器に対してロシアが提案した「国際管理」は現実的には可なり難しい面もあるかもしれないが、是非成功して欲しい。

個別の国際問題を利害関係で処理しようとしていたのを背景にある視座を広げ、広い国際舞台に載せたのは斬新な発想とも言える。

この問題解決の成功を契機にこの手法が核兵器・原発・環境や気候変動・食糧・水(出来れば軍隊や金融や借金)など、他にも応用され広がれば良いなと期待が膨らむ。

ゆくゆく世界の平和的な管理や統治に繋がる可能性が無くは無い。

審判の管理無しにスポーツの試合が成り立たないのと理屈は同じで弱肉強食の競争社会では尚更最低限必要な仕組みではないか。

 

 

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「これもあり」と思いたい。

世界は偽装と欺瞞で空喜びする人と恐怖に慄く人を抱えながら、価値は多様化し仕組みは一元化していく、と少し無理しながら考えている。

 

 

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先ずは俯瞰してから

(非人道)を意味する(人道)と(無責任)を意味する(責任)の言葉が嘆き悲しむ人と涙を流して喜ぶ人をつくりだし、世界を撹拌する。

人道的には化学兵器だけでなく核兵器のの国際的管理も、シリアとは関係なくもっと早くから国際政治のテーブルに載せるべきだし、福島の汚染水の完全なブロックやコントロールが証明できる人が世界には居ないことを共通に理解してもらった上で、「安全・安心」を訴えるべきではなかったか?

リーダーの根拠の無い言葉で世界が動くとそのような政治手法が一般化するだけでなく、言葉の信頼性が失われ、デマ・偽装・欺瞞の世相をさらに増幅しかねない。

 

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あっぱれ!ローマ法王

ローマ法王が暴力に暴力を以て対抗することを諌めた発言を公にした。

これまで50年以上も世界が法王を敬慕する意味が分からなかったが、今回初めて(らしさ)を感じることが出来た。

やられたらやり返す式の暴力の連鎖自身が人道に反し、断ち切る事が聖書の教えだろうし(自然の理)に適う。

 

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一国主義の限界

アメリカの振り上げたコブシの収める所が見当たらないから、振り下ろすしかないだろう。

目先に振り回されてるマスコミに登場するリーダーや論者はその後の世界がどうなるかは(想定外)かもしれないが、取り巻く環境を考えたら今抱えてる事態(環境と経済)の悪化は避けられないだろうと思う。

政治的解決が望めず、天罰的な事態の悪化に期待せざるを得ない状況下では報復もベターと言えるかもしれないが、攻撃される市民や子どもは堪ったものではない。そもそも超大国であろうが何であろうが、世界的な問題を一国で解決できるような状況にに無いことは明らかではないのか。

 

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重なる映像

世界は大自然の環境破壊と経済の行きづまりの境遇とグローバル化を共にする中にあっても、国際会議ですら全権を背負った首脳同士は立場や国益の違いが出てくると、挨拶どころか会っても目を合わせないような実態らしい。

つい、性質の悪い地域のオバタリアンやまだオッパイの匂いがとれないいじめっ子の集まりを思い浮かべた。

世界の事態が事態なだけに(政治的解決)は当分望みは持てないから、事態の悪化が問題解決を促すのだろう。

根拠の乏しいカラ騒ぎは、敗戦前の大本営の良い知らせによる「バンザイ!」と街を挙げての提灯行列と重なる。

結果はなるようになる。

 

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