私の居場所

 

   見るからに 自然の感覚を失したような 政治家・財界人・学者や専門家集団が 蔓延(はびこ)る。  それと呼応したかのように 世界は閉塞し混乱する。

   法によって法が破られ ウソが正義を装い罷り通る。

    人々は権威の前に己の目も耳も塞ぎ 追随する。 その群れの中に自分はいる。

  

     

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自然へのナンセンスに占拠されたテレビ

 

   昨日の(自然・当然が 難しい時代)に続いて

    存在や価値の根源とも思われる自然への人間の感度は どうなっているだろう?

    少なくてもテレビに登場する人たちは ほとんど都会的なセンスこそ感じても自然に対する感度や感性は

     感じない。

    それが政治家や学識経験者であっても、主義主張は違っていてもその多くは共通している。

     人間の最も大事な自然への感覚が社会生活の中で失われているとすれば、何より人類的な危機ではないか? 

   自然への感覚を失った「安全」は有り得ない。

      テレビに登場するする人は情報特殊な情報は持っていても、自然の知識や法の体得を感じさせなシティボーイ(ガール)とシティおじさん(おばさん)に占拠され、せいぜいおつまみに 時たま自然派が登場する。

  現実はテレビ情報で政治が決まる。

    

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(自然・当然)が難しい時代

 

     自然って人間にとって何だろう?

    環境 資源 価値 法  だけではなく 全てものの存在の所以であり根源ではないだろうか。

    しかし、我々は つい自然を壊してしまう。

    理解することが 如何に難しいことか。 

    高等教育を受け専門化すると さらに難しくなってしまうようだ。

       

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「積極的平和主義者」の 先ずする事は

 

      遠い遠い星から地球上の一つ一つの出来事を見ると どう見えるだろう? 

      多分、大抵のことは (些細なこと)に見えるに違いない。

       そんな些細なことで 競い争う私たちは 不思議な生き物かも知れないが、今日で73歳になったし

残りは少しぐらい(普通)の生き物をやって見たいよ。

       「積極的平和主義」を口にするなら、先ずは困っている人を探すかな?

        

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見たまま 思ったまま

 

    政府やマスコミが各家の茶の間まで伝える情報社会にあって、世界的金融危機のリーマンショックは「未曽有の出来事」、50年以上も安全を確約してきた原発事故は「安全神話」で済まされ再稼働の準備が進む。

   私たちは セイフティネットの壊れを間近に目にしながら政府や識者が集うマスコミからは「景気回復」の情報が聞こえる。

   こんな中で「中国や北朝鮮の脅威」を既定の事実であるかのようにしてそれを前提に「備え」を言われて「ハイ そうですか」と どうして言えよう。

   それより、IPCCの報告書が警告する今世紀の末を待たない地球の平均気温4℃を越える人類への危機は 中国や北朝鮮をも例外としない脅威に リアリティを感じるのは私だけだろうか?

   偉い人たちがマスコミを使って情報を流すと役人も町の人も口をそろえて「安全だ」「脅威だ」「豊かだ」と叫ぶ。  つい「裸の王様」を思い出し、齢をとってもあの子供のように「ハダカ だ」と 見たまま思ったままを言葉にしたいものだと思う。

    

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  避けられない脅威

 

        「これまで経験したことのない台風」が予定されているかのように日本列島を通過しても 国は安全上、軍備の拡充を最優先する。

      自然と人間のもたらす脅威で避けられない脅威はどっち?

  

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 (時代遅れ)になった現代

 

       環境や社会は目まぐるしい速さで変化し、付いて行くのは難しい。

    それは 個人的な生活実感だけでなく 誰しも あるいは国や組織など社会全体(大袈裟だが) 全人類が不適応状態に 陥っていると言えるかもしれない。

    特に社会をリードすべき学識経験者と言われる学者や専門や文化人が自覚なしに時代に取り残され不適応状態に陥ったまま指導的役割をはたしていないだろうか?

   誰しも感じている現状の可笑しさや異常さを、明確に言語化しているのを滅多に聞かない。

    学者が提言する政策で成功した例がどれだけあるだろう?

      現代の世界的な行きづまりを 有識者や学者はどう説明するのだろう?  (以前、東京で開かれた教育学会の子どもの匂いのしない学会の空気を思い出す。)

       ちょっと 頭を空っぽにして野外へ出て思いっきり空気を吸ったら、何か気が付くのではないか。

      閉ざされた空間の遅れが さらに遅れを伝搬する時代か?

           (遅れているか否かの基準は(勿論) 地球を単位に見た時の全体的な問題解決へのビジョンや手段である。)

 

 

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無責任なマスコミ

 

      今朝の新聞は 集団的自衛権や選挙などの例を挙げながら困ったかのように(若い人の政治的関心の低さ)を指摘していた。

    (今さら)と思う。

    人の現実社会の認識は ほとんどマスコミの情報の如何による。

    社会はマスコミの情報によって維持されている。

     若者は現実社会に積極的になれないように教育されてきたとも言える。現実の社会に役立つ力を(学力)とするなら、若者の学力は

      社会に役立つ力ではなかったことを意味している。

     マスコミを含めた教育の見直しが必要ではないか。

    

      

     

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