やっと やっと

 

      東京だって 星は多くなってきたし 近所の桜の木は 枝いっぱいに紅い芽をつけ ふくらんできた

       この町に来て40年 やっと落ち着いてきたのかなあ   見えるものが見えてきた

        

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バタバタぶり

 

   このどこもかしこも気ぜわしいバタバタぶりは どうしたことか?、

  NHKの「専門家」による ある国際紛争に対する討論会を聞いていると、どの論者も「世界は 戦争によって富を得て 幸せを求めるもの。」が(無意識ではあっても) それを前提にしているかのような話しっぷりだった。

確かに「平和と繁栄」の名で戦争と貧困をもたらしたのは 歴史的事実だろう。

  こんな時 狭い国際関係における手の問題を論ずるより 世界的な常識や歴史的事実そのものに目を向けて考えた方がいいのではないか。

  専門家もこんなだから (バタバタした世界)の印象が拭えない。 バタバタぶりが 一市民の目ではあっても 見えるようになってきたことが良いのかもしれない。

 

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他人事ではない

 

  喧嘩ばやい人間や喧嘩好きな人間は 嫌われるのに

  為政者の敵対する者への口汚なさは 世界はどこも同じか。

   敵対も立場の違いだろうに、少々の礼儀はあってしかるべきではないか… これは倫理の問題か社会認識の問題か?

   どこもかしこも二手に分かれてやりあっているようにも見える。〇×式テストのせなら 他人ごとでない。

   

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情報のグローバル化を期待

 

     100年以上も前に 石川啄木は大自然を 宮沢賢治は宇宙を背景に ものを見たり語ったりできたのに 文明や教育が発達したと言われる

   中で生きてきた私たちが 彼らをなぞることも出来ないのは どうしてなんだろう?

   どこで「文化の継承」を間違えたのか生きてる(場)の視野が狭くなっているかもしれない。 小さな箱を覗き込むのは 自然か?

   一方、マスコミや通信機器の発達は、天気予報をはじめ政治・経済を俯瞰し実感し易くもしており マスコミの恣意的な報道とは別にグローバルな認識を助けており、そこに期待。

   

   

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大きくなるズレ

 

  「商売繁盛」はともかく「家内安全」は 特にこの時代が求める 万人の避けられない1番の願いだろう。

    隣近所や職場や学校はもとより 家族の絆の確かめさえこれほどまでに難しくしている時代が かつてあったろうか?

   にもかかわらず 世は 相変わらず安全保障だと言って、真っ先に軍隊を用意し、家内安全は祈願に頼っている。

    安全に対する政治や社会思想が人々の実態である願いから遅れ ズレが大きくなっているような気がする。

   

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知らされなければ 分からない

 

    湘南の砂浜で、地元の漁師は「波が砂を沖に流し、昔と比べ砂浜は狭くなった」と言うし、実際トラックで砂を補充していた。
 
      九十九里浜では 海水浴場は減り、中には砂浜の3分の1が海水に覆われたと言う人もいる。

   日本の砂浜はどこも狭くなっているとの話も聞く。

   気象庁のデーターもここ30年の海水は上がっている。

    南洋の島々も砂浜から消えて行ったし、温暖化の影響が日本だけないとは考えにくく地元は対応しているのだから、全体にきちんと報道してほしいものだ。

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1番の関心事

 

   あまりに身近な自然環境の変化が 報道されない。

    今1番の関心事は 日本の満潮時の潮の水位が変化しているかどうかである。

   今日にも 近くの海岸へ行って 確かめたい衝動に駆られる。   湘南か網張にでも行けば土地の人に聞けるかな?

    

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些末な議論

 

   自民党にとって「憲法改正」によって日本の国家が(国際的に一般的に持たれている)軍隊を持つことが結党以来の悲願なのだろう。

    ところが その動きの中で与党も野党も「国家と軍隊」の関係を論じているのを見たことが無い。

   「他の国が持つからこの国も」も「憲法9条があるから」も国家と軍隊の関係を論じてはいないし、論拠に乏しい。

    世界や地球を丸ごと有史以来を俯瞰し、国家と軍隊を論じること無しに「些末な議論」とも取れる議論を繰り返しているのは 歴史的な意味があるとは言えない。

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現状は過去の結果

 

   「決着をつける。」ことと「問題を解決する。」は 同じか?本質的な違いは無いか?

    これを曖昧にしたまま 事を運んで問題は解決することなく山積し、今日の行き詰まりや混乱を招いているように思える。

   IS、憲法、経済、教育などの現状は、「問題の解決」を忘れてしまった結果の姿を見ているかのようだ。

   歴史的に診ると、現状は過去の結果を表している。

   世界の温暖化や世界1の日本の借金の山 は 分かり易い。    

    

   

    

   

   

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歴史的な経過を欠く手法

 

   地球儀を見ても地球の自然や世界の歴史は分からない。

 ISの問題等々、世界的な問題を歴史的な視点を欠いたまま国際問題を決着しようとするきらいがある。

  目先の問題は決着したように見えても簡単に解決に繋がらず、表面的な解決の手法は、問題の形を変えむしろ拡げるのが常。

  権力から独立したメディアの情報ならば 解決に向け期待もできるが 現状はそれも難しく、結局は歴史的な犠牲を払い止揚することになるだろう と思われる。

   

   

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