世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
他人事ではない
この世には いつまでもいられず あの世へおさらばすることも 解っているから
「地球だ 人類だ」と分際をわきまえず 口はばったいことを言っても 許されるんじゃないかな…
改めて 「思いっきり… 天まで届け」 との思いを言葉にしてみたい。
温暖化にしろISや難民も 人類が生み出した事実を 人類は どう思っているんだろう?
地球の破壊には まともに手を打たず 難民には門戸を閉ざし 生み出したISを「壊滅する」と公言してはばからない。
職業柄、(学級崩壊)を連想するが 教育的には成り立たない論理を 世界は「普通」としている。
道理に反して生み出した結果を道理に立ち返ることなく解決は望めない。
人類は 道理に立ち返る機会の来ることを待つしか無いか?
神や仏も人間無くしては存在しない。
宗教・哲学・生活・文化・芸術・教育・経済・政治‥全て分野で 担ってる努めや仕事を手掛かりにして 最終的には人間の意志と選択で原理原則に立ち戻るしかない。
何時までも ただ祈ったり他人事にしていては 自らが危ない。
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どこかブルークリスマス
テーブルは 子供のころから大好きだった混ぜご飯とケーキで賑やかなんだけど
世が世だからか 遠くから騒めきと ブルークリスマスのメロデーが聞こえてきそう
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気がついたら群青色
好きな群青色に風景を浮かべると 困った景色と一緒に ドラマが繰り広がる
そこに 鼻をすすったり鼻をかんだりしている おじいさんがいた
群青色がお似合いか?
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われに 返れ
ヒトは 大きなものや強いものへの憧れを持つが 大自然に在っては ヒト自身は 小さく弱い存在だろう。
大国アメリカは 弱小の国々の中にあって 自らの存在は見えず、弱小の国々は 頂点であるアメリカの向こうが見えない。
ヒトは弱いものを取り込む習性があるのか 相手がヒトであろうと国であろうと自然であろうと 弱いと思えば 取り込む、
そんな虚構から抜け出せずにいる。
先ずは (強く美しい国)の虚構から 我(正気)に返ることじゃないかな。j これが COP21の感想。
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大きすぎる星
あの星は ガタビシしてるのに 明けても暮れてもコマーシャルで消費を煽っているのは どうした事か 使い過ぎじゃないか?と あの星の宇宙人は思っているかも知れないけど、この星に居たって そう思う。
おまけに あちこちで火花を散らして争ったり殺し合ったり。
どうも あそこにいるヒトたちは 星が大き過ぎて 持て余しているようだ。
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伝わりにくい「自然」
すでに自然と人間が乖離してるからだろうか 「自然」を伝えるのは容易ではない。むしろ はじめから「無理だ」と諦めなければならないことが しばしばある。下手な言い方だからかなのか 空回りしたことは山ほど。
(エライ)人ほど伝わりにくいような気がしてる。
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常
文化は 一元化より多様化が難しいかもしれない。
文化の多様性より経済の論理が優先される社会では なおさらで 政治の一元化が 文化を一元化へと巻きこみやすい。
文化的価値や意味が 乱暴に扱うのは 常か。
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難しい ゆっくり
12月八日は お釈迦様が悟りを開いた日だと言う。
警策が おまけ
時々山から小鳥の声が聞こえる
畳の上を ゆっくり歩く
ゆっくりが 難しい
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懐かしく見える風景
まったく カラフルな風景だ
近所の庭先も遠くの山も
12月半ばだから 北海道は こんなじゃなかった
札幌は25センチも雪が積もっているらしい
近頃 目の前の風景が 懐かしく見える
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言葉より声の響き
役者は 扮した役によって セリフの表現を変える。
立場や年齢 人柄によっても異なる、
知や情の有様でも変わる。
知的な人と知的でない人も 観客が分かるように表現する。
せりふを表現する要素はいろいろあるだろうが 声の質は 大きい。
「お経は 言葉より声の響きが大事」とも言われる。
これは 自分を含め誰にも言えることだが 隠せないから困る。
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