世の中の見える世界から見えない世界まで思いっきり。特に、子供、教育、不登校、自閉症等 情緒に関心あり
天まで届け
気が付いたら
チャンネルをひねると、南洋にある島の原始的な猟や暮らしのようすを放映していた。
自然とヒトの基本的な関係を見るようだった。
ヒトは自然との基本的な関係を見い出せないでいるのか 見失ったのか?
気が付いたら これまでのような文化人的な上から目線でなく 見ていた。
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ピント外れでは済まない
NHKは COP21もあってか 巨大都市が抱える水対策を「水との闘い」として報じていた。時機を得た良い番組だとは思うが どうして「人との闘い」にしなかったのか?
大潮にしろ地盤沈下にしろ原因が(人)にあることを言ってるのだから この場合の水害は一般的な水害ではなく
人害(人災)だろう。
今日の東京新聞の社説は 温暖化対策についいて (南北の溝が埋まれば)と題して 「温暖化という共通の敵に向かって南北が互いに溝を埋め、世界が一つになれる最後のチャンスかもしれない」と論じていた。
解らないわけではないが ≪共通の敵≫と平然と自ら行為から目を逸らす 感覚は何だろう?
ヒトが己の為すことの結果を考ずコントロールできないでいるのだから はっきり自らの人間活動に目を向けるべく報道して 皆して対策を考えなくてはならないのが現状。
NHKも とっている新聞も ピントを外して報道しているが 単なる言葉使いの問題ではない。
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法理に沿って
自然と人為を向き合ったものとして対立させず 自然に人為をも包含させると 物の意味は変わって来る。
とたんに 温暖化もISの問題も 起きるべくして起きた事象であり 必ずしも正しくない解決法も 生態系の種であるヒトの試行錯誤する自然の行動とも考えられなくはない。
そう考えると 目くじらを立てず 精神衛生の改善を図ったら 試行錯誤のやり方も 自然の法理に沿って 今より 良くなるかもしれない。
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非科学的な科学時代
人間活動の全ては 仮説の社会実験の意味を持つ。
人間活動によって地球や人間の安全が損なわれているのは 論理的には 仮説実験の失敗なのだが そうは思っていないようだ。非科学的な科学時代である。
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尻尾にしがみ付く私
「国際社会」がする 「ISを壊滅する」を大義にしたシリアへの集中爆撃は 世界史における現在を現しているんだろう。
そんなことをやっている場合か?と つくずく思うが その尻尾に 私はしがみ付き(貢献)している。
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日本の常識
例の問題でロシアトルコの外相がまともに会って話し合いも出来ないでいるようだ。
国際社会における一般的な外交の到達点を見ているかの印象。
話し合いと武力を国際関係を築き調整する外交手段の2本柱だとすると 軸足がいかに後者にかかっているかが分かる。
それが 「世界の常識」なんだろう。
戦後、日本は 後者の平和外交をどうやってきたのだろうか 今 それをやろうとしているだろうか?
日本の平和外交の蓄積がどれほどか いささか疑問ではあるが 看板(憲法)に偽りがなければ 中東の紛争もCOP21も
日本の出番であり 世界的な役割と責任を感じても良いはずだが… 政府もマスコミも庶民も ここに座っている私も…?
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時代転換期の権威
右も左も上から下まで 権威に頼っているように見える。
時代の転換期にあっては 時代の半分しか認識していない権威(権威そのものが過去の産物)は 右や左に関わらず 有効に機能しないのではないか。
むしろ権威が時代のブレーキを果たしかねず、この辺を払拭しないと 出口や次代が見えて来ないような気がする。
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目が眩んでいるのか?
地上は 人間がする地球と弱者からの搾取を止めないことによる矛盾が 吹き出しているかのようだ。
責任をなすりつけ合う 弱者との矛盾はともかく 地球との矛盾は これでは解決しない。
目が眩んでいるのか あれもこれも 見えている(認識)ようには思えない。
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分かっちゃいるけど止められない 時代
無責任時代に「分かっちゃいるけど止められない」が流行った。
しかし、これは時代の風潮というより 人の生理的な仕組みのような気がする。
知識を持ち理解はしていても 実行は別次元で むしろ直感によることが多くはないか。直感の依拠するところは分からないが
少なくても現実を見ると学歴や学力との相関は 見出しにくく 逆に「教養が邪魔して… 」に多くの実例を見る。
ともかく 知識・理解と判断・行動 の間は かなり距離がありそう。
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