町屋の軒先古本屋にて購入。300円也。この店(とはとてもいえないが)には、ときどきこんな変な本が出てくる。面白いとか、凄いとか、なかなか一言ではいえない本のことだ。
『獄窓から』(和田 久太郎 幻燈社)
帯文は以下。
暗雲に重く閉ざされた<歴史>に反逆すべく、闇夜より白昼へ、白昼より奈落へ、松明の炎の如く、突如としてテロルは放たれり!! 見よ 黒旗の群れを!! 聞け 無政府主義の黒き魂を!!
昭和5年に改造社文庫から刊行され、1971年に復刻された。70年安保闘争が不発に終わり、三島由紀夫事件が起きた70年代のほんの一時期、アナーキズムが再評価される機運があった。かわぐちかいじが「黒旗水滸伝 大正地獄編(原作:竹中労)」「テロルの系譜」なんて劇画を描いて一部で話題になった。「!!」に当時の気負いがうかがえる。
同じく帯の要約は以下。
大正13年、大杉栄虐殺の復讐を誓ったアナキスト和田久太郎は、テロルを決行し、無期囚となって獄中に自死した。本書はその獄中からの書簡と手記をまとめたものであり、無政府主義者となっていった和田久太郎の足跡が、大正時代の無政府主義運動の実態が、そしてまた彼の同志であるテロリスト集団ギロチン社の心優しい若者たちの姿が、鮮烈に描き出されている。そこには、単なる”反逆者”として烙印するだけではかたずけられない暗部がうかがえるはずであって日本人の精神構造の深い在り所を照射しないでは置かないであろう。
書き写していて、苦笑。まるで俺が書いたみたい。「~は」や「~が」ではかならず句読点を打ったり、「であり」と続けたり、「足跡が」「実態が」「の姿が」と「が」を重ねてたたみかけたり、締めは「であろう」。「烙印」「暗部」「照射」といった類型的なイメージ喚起。俺もこういう70年代文体に影響されたんだなあ。しかし、和田久太郎の文章は以上の帯文より、ずっと良質で、伸びやかで、爽やかでさえある。
しかし、誰が書いたのか。「心優しい若者たち」の陳腐さは70年代だからまだ許せるとしても、「そこには、単なる”反逆者”として烙印するだけではかたずけられない暗部がうかがえるはずであって日本人の精神構造の深い在り所を照射しないでは置かないであろう。」では意味不明ではないか。とりわけ、「心優しい若者たち」の「暗部」とはテロリズムとしか読めないが、それでいいのか。
目次を紹介してみよう。
碧雲暗雲
悲痛の感激、悲痛の快感
句作の思い出
野郎泣くな!
大杉の個性教育
村木源治郎君の追憶
後事頼み置く事ども
死刑を直視しつつ
市ヶ谷から
あくびの泪
鉄窓三昧
孤囚漫筆
秋田から
霰霞の窓
蕗汁
略歴 和田久太郎
解説 秋山清
物語村木源治郎 鈴木清順
「悲痛の感激、悲痛の快感」を立ち読みして、これは買わなくてはと思った。「碧雲暗雲」を読み終えて、一気に読み進むのが惜しくなり、秋山清の解説に飛んだ。秋山は、和田久太郎が国家テロと同列といえる反体制側のテロリストではないとし、労働組合を重視したアナルコ・サンジカリストとしての側面を強調している。大杉栄・伊藤野枝夫妻と甥の橘宗一少年までを縊り殺した関東大震災時の東京戒厳令司令官だった福田雅太郎を狙撃したのは、大杉の復讐のためのテロルだったという。秋山清の解説はおおかた予想の範囲内だった。
異色というか、不思議なのは、映画監督の鈴木清順が書いた「物語村木源治郎」である。もちろん、秋山清の解説とこの「物語村木源治郎」は1971年の復刻に際して、新たに書き下ろされたものだ。それが、なぜ「物語和田久太郎」ではないのか。「著者和田久太郎」なのに、和田の親友であり、同志であり、福田雅太郎狙撃を共にしたとはいえ、なぜ、「物語村木源治郎」なのか。考えられるとすれば、鈴木清順が「村木源治郎の物語なら、書きます」といったのかもしれない。鈴木清順は和田久太郎より、村木源治郎に興味関心があった。
「それでもどうぞ」と編者のアナキストたちがいったとすれば、やはり和田久太郎ら大正アナキストの血を引いておおらかなものだなと感心したいが、鈴木清順の「物語村木源治郎」は、村木源治郎の眼を通して、和田久太郎を照射したものではない。和田久太郎は出てこないのだ。やはり村木源治郎の親友であり、同志であった久坂卯之助の死の顛末について、村木源治郎が思い考えるという事実に基づく小説なのだ。いや、ルポやエッセイともいえる。いやいや、小説・ルポ・エッセイを統合した映画のようでもある。
「物語村木源治郎」にも解説が必要なくらい、不思議な成り立ちの、しかし優れて実験的で冷徹な視線の物語なのである。帯文はあきらかに古びているが、和田久太郎の文章は清新な味わいが横溢して、いささかも古びていません。鈴木清順の「物語村木源治郎」は、古びていないどころか、昨日書かれたように生き生きと情景と人物を描写しています。やはり、これは映画です。全文引用したいくらいです。ということで、この項続く。
そうそう、「霰霞の窓」と「蕗汁」は、和田久太郎が獄中でものした俳句をまとめた句集です。和田久太郎は少年期から句作をよくしました。
(敬称略)
『獄窓から』(和田 久太郎 幻燈社)
帯文は以下。
暗雲に重く閉ざされた<歴史>に反逆すべく、闇夜より白昼へ、白昼より奈落へ、松明の炎の如く、突如としてテロルは放たれり!! 見よ 黒旗の群れを!! 聞け 無政府主義の黒き魂を!!
昭和5年に改造社文庫から刊行され、1971年に復刻された。70年安保闘争が不発に終わり、三島由紀夫事件が起きた70年代のほんの一時期、アナーキズムが再評価される機運があった。かわぐちかいじが「黒旗水滸伝 大正地獄編(原作:竹中労)」「テロルの系譜」なんて劇画を描いて一部で話題になった。「!!」に当時の気負いがうかがえる。
同じく帯の要約は以下。
大正13年、大杉栄虐殺の復讐を誓ったアナキスト和田久太郎は、テロルを決行し、無期囚となって獄中に自死した。本書はその獄中からの書簡と手記をまとめたものであり、無政府主義者となっていった和田久太郎の足跡が、大正時代の無政府主義運動の実態が、そしてまた彼の同志であるテロリスト集団ギロチン社の心優しい若者たちの姿が、鮮烈に描き出されている。そこには、単なる”反逆者”として烙印するだけではかたずけられない暗部がうかがえるはずであって日本人の精神構造の深い在り所を照射しないでは置かないであろう。
書き写していて、苦笑。まるで俺が書いたみたい。「~は」や「~が」ではかならず句読点を打ったり、「であり」と続けたり、「足跡が」「実態が」「の姿が」と「が」を重ねてたたみかけたり、締めは「であろう」。「烙印」「暗部」「照射」といった類型的なイメージ喚起。俺もこういう70年代文体に影響されたんだなあ。しかし、和田久太郎の文章は以上の帯文より、ずっと良質で、伸びやかで、爽やかでさえある。
しかし、誰が書いたのか。「心優しい若者たち」の陳腐さは70年代だからまだ許せるとしても、「そこには、単なる”反逆者”として烙印するだけではかたずけられない暗部がうかがえるはずであって日本人の精神構造の深い在り所を照射しないでは置かないであろう。」では意味不明ではないか。とりわけ、「心優しい若者たち」の「暗部」とはテロリズムとしか読めないが、それでいいのか。
目次を紹介してみよう。
碧雲暗雲
悲痛の感激、悲痛の快感
句作の思い出
野郎泣くな!
大杉の個性教育
村木源治郎君の追憶
後事頼み置く事ども
死刑を直視しつつ
市ヶ谷から
あくびの泪
鉄窓三昧
孤囚漫筆
秋田から
霰霞の窓
蕗汁
略歴 和田久太郎
解説 秋山清
物語村木源治郎 鈴木清順
「悲痛の感激、悲痛の快感」を立ち読みして、これは買わなくてはと思った。「碧雲暗雲」を読み終えて、一気に読み進むのが惜しくなり、秋山清の解説に飛んだ。秋山は、和田久太郎が国家テロと同列といえる反体制側のテロリストではないとし、労働組合を重視したアナルコ・サンジカリストとしての側面を強調している。大杉栄・伊藤野枝夫妻と甥の橘宗一少年までを縊り殺した関東大震災時の東京戒厳令司令官だった福田雅太郎を狙撃したのは、大杉の復讐のためのテロルだったという。秋山清の解説はおおかた予想の範囲内だった。
異色というか、不思議なのは、映画監督の鈴木清順が書いた「物語村木源治郎」である。もちろん、秋山清の解説とこの「物語村木源治郎」は1971年の復刻に際して、新たに書き下ろされたものだ。それが、なぜ「物語和田久太郎」ではないのか。「著者和田久太郎」なのに、和田の親友であり、同志であり、福田雅太郎狙撃を共にしたとはいえ、なぜ、「物語村木源治郎」なのか。考えられるとすれば、鈴木清順が「村木源治郎の物語なら、書きます」といったのかもしれない。鈴木清順は和田久太郎より、村木源治郎に興味関心があった。
「それでもどうぞ」と編者のアナキストたちがいったとすれば、やはり和田久太郎ら大正アナキストの血を引いておおらかなものだなと感心したいが、鈴木清順の「物語村木源治郎」は、村木源治郎の眼を通して、和田久太郎を照射したものではない。和田久太郎は出てこないのだ。やはり村木源治郎の親友であり、同志であった久坂卯之助の死の顛末について、村木源治郎が思い考えるという事実に基づく小説なのだ。いや、ルポやエッセイともいえる。いやいや、小説・ルポ・エッセイを統合した映画のようでもある。
「物語村木源治郎」にも解説が必要なくらい、不思議な成り立ちの、しかし優れて実験的で冷徹な視線の物語なのである。帯文はあきらかに古びているが、和田久太郎の文章は清新な味わいが横溢して、いささかも古びていません。鈴木清順の「物語村木源治郎」は、古びていないどころか、昨日書かれたように生き生きと情景と人物を描写しています。やはり、これは映画です。全文引用したいくらいです。ということで、この項続く。
そうそう、「霰霞の窓」と「蕗汁」は、和田久太郎が獄中でものした俳句をまとめた句集です。和田久太郎は少年期から句作をよくしました。
(敬称略)