これも荒川区町屋の軒下露店古本屋にて250円也。
『日本語 実用の面』(中野 重治 筑摩書房 1976年刊)
奥付の著者略歴
中野重治
1902年福井県に生まれる。1927年東京帝国大学独文科卒業。詩人・小説家・評論家。1947-50年参議院議員。著書『中野重治全集』ほか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E9%87%8D%E6%B2%BB
中野重治の詩
歌
http://uraaozora.jpn.org/ponakano3.html
雨の降る品川駅
http://uraaozora.jpn.org/ponakano4.html
私は夫婦愛を歌った詩が好きです。女優の原泉が愛妻でした。引用しようとしましたが、中野重治詩集が見つかりません、残念。たしか、「お前(妻)は寝ていていいよ」という同志的な思いやりに溢れた詩でした。
例によって表紙カバーの紹介文
私は年74になった。つまり70年以上日本言葉で生きてきた。そこで、日本語、日本文、その言葉づかいについて書いたものを集めてこの一冊とした。私は学者ではない。中身は実用の面である。その点、初等・中等の教育にあたる人たちにも読んでもらいたいと思う。 -著者
ものいいの柔らかさ・私の書き方・便宜と実例・評論家の文体・「猫も杓子も」の弁・実用の面・「向け」と「先取り」・日本語を大切にするということ・言葉の問題雑談ほか--全17篇
まず、「日本語 実用の面」とは変な書名ですね。著者・中野重治が付けたのでしょう。まず販売を考える編集者はこんな書名は決して採用しません。これではヒットどころか、重版もしそうにない書名です。しかし、著者苦肉の書名であることは少し読み出せばすぐにわかります。国語学者でなく、教育者でなく、外国語の素養もない著者が、それらを学んだはずの現役の教員に向け、日本語の言葉と文章を教えるに際し、実用の面から過不足を指摘し、注文をつけている本です。初出誌も教育関係誌が過半を占めています。
いわゆる文章読本のジャンルに入り、やはり名文を読むことを勧め、福沢諭吉や佐藤春夫、森鴎外、柳田国男などの「名文」を引いて解説もしているので、それぞれを文芸批評として楽しむことはできますが、中野重治の実用の視座はもっともっと手前に、我々の身近な言葉づかいや発語の瞬間に、あります。そこがいわゆる文章読本とは違うところです。たとえば……。
「夫婦ぜんざい」というTV番組を著者がみていたとき、司会者が若い嫁さんに訊いた。
「あなた、旦那さんのことをどう呼びますか……」「ダーリンというてます……」
私は花嫁を非難するのではない。しかしこれでは話にならぬと思う。
として、著者は「ダーリン」という言葉づかいがどのようにおかしいか、その英語の意味「最愛の人」から指摘しはじめる。この中野重治は完全にズレているなと思います。
「夫婦ぜんざい」というTV番組は、たしかミヤコ蝶々と南都雄二の夫婦漫才コンビが素人の夫婦何組みかをスタジオに招き、抱腹な結ばれかたや結婚後の苦労話を引きだして人気がありました。いまでいうと桂三枝の「新婚さん いらしゃい!」のような番組です。ですから、大阪の「へちゃむくれ」のくせして、「ダーリンやて」といわれるのを見越して笑いを取る、これは自虐的なギャグであることは自明です。
しかし、生真面目な中野重治は、「ダーリン-そんな流行歌手まがいの呼び方ではなくて」、もっと夫婦二人だけの実感に即した呼びかけ方があってもよかったのではないか、と疑問を呈します。そして、友人の秋田雨雀が伴っていた着物姿の女性を雨雀が、「私のミチヅレです……」と紹介したのに感じ入った経験を思い出します。老齢期にさしかかった友人が二度目の夫人を「ミチヅレ」と呼んだことに、はじめはとまどったが、やがて素直に受け入れられたと中野重治は反証します。ちなみに、「そんな流行歌手まがいの呼び方」とは、美空ひばりが結婚した小林旭を「ダーリン」と呼んだのを指しているのでしょう。
これもどうでしょうか。中野重治もいっていますが、「ミチヅレ」はやはりキザでしょう。友人だから、秋田雨雀の人柄を知り、その再婚についても人づてに聞いて、心中祝福していたから、「ミチヅレ」に違和感を感じなかっただけなのではないかと思います。なんだ、ズレた爺さんの独り善がりかと思っていると、そうではありません。
それから27、8年もして、つい去年、九州のある炭鉱で大きな事故があったときに私は別の言葉を聞いた。
とつなげます。ここからが本題なのです。「それから27、8年もして」というのは、秋田雨雀から「ミチヅレ」を紹介されてからの歳月です。秋田雨雀と会ったのは、「だいぶ前、中国に対する戦争は始まっていたが、太平洋戦争にはまだはいっていなかった時期だったろうと思う」と説明されているから、1937年から1941年の間になります。それに27、8年を足せば、1965年前後。「夫婦ぜんざい」を見ている現在から、およそ10年くらい前と思われます。
「九州のある炭鉱で大きな事故があったとき」というのは、戦中と現在(1975年)の間、つまり1965年前後の話なのです。戦中や敗戦(直)後と比較しても、60年安保闘争で幕を開けた1960年代は、日本人にとって重要な時代でした。少なくとも1975年当時の読者にとって、とりわけ教員や学校に子どもを通わせる親の世代にとっては、そうした時代認識は共有されていました。さて、中野重治はここで読者を十年一昔に誘います。少し長い引用ですが……(……が感染してしまいました)。
事故は、保安関係の会社側怠慢からきた落盤事故だった。ガス発生がそれにくっついていた。死人が出た。坑口へ家族がつめかけているところへ屍体がはこびだされてきた。新聞記者がいっぱい駆けつけてきている。テレビの人間も駆けつけている。
学童期の子どもが読んでわかるように、優しい言葉だけで書いています。が、死体を屍体と書くところが実用の面だということでしょう。
この種の事故は絶えず生じている。戦後だけでも数え切れぬくらい生じているが、私がここで触れるのは事故、保安問題そのものではない。保安のむちゃなこと、役人の見まわり監督のでたらめなことなどはここでいっさい取りあげない。坑口の模様を私はテレビで見ていた。テレビだから、カメラの関係でぱつぱつと場面切りかえがあり、それが、見ている私に不満だったとしても私としてはどうすることもできない。
ここは不要なようでいて、傍観者である自分を読者に追体験させている実は大事なところですね。
いくつも屍体があがつてきた。重態の人も運ばれてくるが、いくら重態でも生者とではようすがちがつている。そこに屍体がはこばれてきた。そこに呆然として立っている婦人がいる。死んだ人の細君で、これは普通奥さんといつているかお神さんといつているか私は知らないが、そこで担架に取りすがるようにしたが画面が切りかえられた。
「いくら重態でも生者とではようすがちがつている」は、よく意味がわかりませんね。「これは普通奥さんと~」も、なぜ必要な記述なのかわかりません。が、あったほうがいい気がします。重態-生者-屍体、細君-奥さん-お神さんという対比であり、屍体と細君を際立たせるためでしょう。計算というより、言葉の運び、呼吸、緩急の効果ですね。
放送局のアナウンサーがあらわれる。さつきの細君がその前に立っている。彼女の前にアナウンサーの手でマイクが突き出される。彼女の表情はやはり呆然としたままである。「……御主人ですか……」
アナウンサーがそういう言葉を言った。それは、いま上がってきた屍体はあなたの御主人ですか、旦那さんですかという意味の言葉だった。これは、アナウンサーとしてそこで見ているのだから、改めて問わなくていいことだがテレビを見ている人を頭に置いての言葉だった。
「…………」
まだ若い細君はそれに答えなかった。アナウンサーの言葉がさつとわからなかったのかも知れなかった。しかし、1、2秒のことだった。やはり呆然とした表情のままだったが彼女ははっきり答えた。
「はい、つれあいです……」
それを聞いていて私はほとんど涙ぐみそうになった。その「つれあいです……」という言葉、「つれあい」という言葉の持っている重さ、それが彼女の口から出てきた様子が私を刺激したのだつたろう。それは、「安全に……」という合い言葉で毎日送りこんできた夫、亭主、主人、一年三百六十五日、それの何年もの繰り返し、そのあいだに行く度かあった事故をも切りぬけて生活をともにしてきた男に対する女の、「御主人」というのとも「最愛の人」というのともちがった身によりそうた表現だった。
俺もここでほとんど涙ぐみそうになりました。
わからぬことではあるが、彼女として、彼女の「つれあい」を「御主人」という言葉でいわれたことが今までなかったためだったかも知れない。「御主人ですか……」と問われて、それがどんな問いだか理解するのに一秒くらいの時間が彼女に必要だったのかも知れない。決して彼女は、「御主人」ではない、「つれあい」だ、と言おうとしたのではなかった。「つれあい」は自然に口から出ていた。彼女はずっと何年も彼を「つれあい」として考え、「つれあい」として彼に対してきたのだったにちがいない。「つれあい」-彼女が意識していたかどうかはわからぬが、この単純な、いわば昔からの言葉に彼女はすべてをこめていた。それが私にもわかった。「つれあい……そうだろうとも……」というように私が受け取った。
叙述としては緩急があり、思索としては間然たるところがない。最後の「というように私が受け取った。」と止めた。「私は」ではなく「私が」と感傷を突き放したところが、また見事ですね。文章は、実用を本分として、センチメンタルであってはならない、というのが著者の主張なのです。あれれ、文章読本の文章読本をするという大それたことをしてしまいました。これは言い訳せねばなりません。というわけでこの項続く……(最近、続く、ばかりで、少しも続いてないが)。
(敬称略)
『日本語 実用の面』(中野 重治 筑摩書房 1976年刊)
奥付の著者略歴
中野重治
1902年福井県に生まれる。1927年東京帝国大学独文科卒業。詩人・小説家・評論家。1947-50年参議院議員。著書『中野重治全集』ほか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E9%87%8D%E6%B2%BB
中野重治の詩
歌
http://uraaozora.jpn.org/ponakano3.html
雨の降る品川駅
http://uraaozora.jpn.org/ponakano4.html
私は夫婦愛を歌った詩が好きです。女優の原泉が愛妻でした。引用しようとしましたが、中野重治詩集が見つかりません、残念。たしか、「お前(妻)は寝ていていいよ」という同志的な思いやりに溢れた詩でした。
例によって表紙カバーの紹介文
私は年74になった。つまり70年以上日本言葉で生きてきた。そこで、日本語、日本文、その言葉づかいについて書いたものを集めてこの一冊とした。私は学者ではない。中身は実用の面である。その点、初等・中等の教育にあたる人たちにも読んでもらいたいと思う。 -著者
ものいいの柔らかさ・私の書き方・便宜と実例・評論家の文体・「猫も杓子も」の弁・実用の面・「向け」と「先取り」・日本語を大切にするということ・言葉の問題雑談ほか--全17篇
まず、「日本語 実用の面」とは変な書名ですね。著者・中野重治が付けたのでしょう。まず販売を考える編集者はこんな書名は決して採用しません。これではヒットどころか、重版もしそうにない書名です。しかし、著者苦肉の書名であることは少し読み出せばすぐにわかります。国語学者でなく、教育者でなく、外国語の素養もない著者が、それらを学んだはずの現役の教員に向け、日本語の言葉と文章を教えるに際し、実用の面から過不足を指摘し、注文をつけている本です。初出誌も教育関係誌が過半を占めています。
いわゆる文章読本のジャンルに入り、やはり名文を読むことを勧め、福沢諭吉や佐藤春夫、森鴎外、柳田国男などの「名文」を引いて解説もしているので、それぞれを文芸批評として楽しむことはできますが、中野重治の実用の視座はもっともっと手前に、我々の身近な言葉づかいや発語の瞬間に、あります。そこがいわゆる文章読本とは違うところです。たとえば……。
「夫婦ぜんざい」というTV番組を著者がみていたとき、司会者が若い嫁さんに訊いた。
「あなた、旦那さんのことをどう呼びますか……」「ダーリンというてます……」
私は花嫁を非難するのではない。しかしこれでは話にならぬと思う。
として、著者は「ダーリン」という言葉づかいがどのようにおかしいか、その英語の意味「最愛の人」から指摘しはじめる。この中野重治は完全にズレているなと思います。
「夫婦ぜんざい」というTV番組は、たしかミヤコ蝶々と南都雄二の夫婦漫才コンビが素人の夫婦何組みかをスタジオに招き、抱腹な結ばれかたや結婚後の苦労話を引きだして人気がありました。いまでいうと桂三枝の「新婚さん いらしゃい!」のような番組です。ですから、大阪の「へちゃむくれ」のくせして、「ダーリンやて」といわれるのを見越して笑いを取る、これは自虐的なギャグであることは自明です。
しかし、生真面目な中野重治は、「ダーリン-そんな流行歌手まがいの呼び方ではなくて」、もっと夫婦二人だけの実感に即した呼びかけ方があってもよかったのではないか、と疑問を呈します。そして、友人の秋田雨雀が伴っていた着物姿の女性を雨雀が、「私のミチヅレです……」と紹介したのに感じ入った経験を思い出します。老齢期にさしかかった友人が二度目の夫人を「ミチヅレ」と呼んだことに、はじめはとまどったが、やがて素直に受け入れられたと中野重治は反証します。ちなみに、「そんな流行歌手まがいの呼び方」とは、美空ひばりが結婚した小林旭を「ダーリン」と呼んだのを指しているのでしょう。
これもどうでしょうか。中野重治もいっていますが、「ミチヅレ」はやはりキザでしょう。友人だから、秋田雨雀の人柄を知り、その再婚についても人づてに聞いて、心中祝福していたから、「ミチヅレ」に違和感を感じなかっただけなのではないかと思います。なんだ、ズレた爺さんの独り善がりかと思っていると、そうではありません。
それから27、8年もして、つい去年、九州のある炭鉱で大きな事故があったときに私は別の言葉を聞いた。
とつなげます。ここからが本題なのです。「それから27、8年もして」というのは、秋田雨雀から「ミチヅレ」を紹介されてからの歳月です。秋田雨雀と会ったのは、「だいぶ前、中国に対する戦争は始まっていたが、太平洋戦争にはまだはいっていなかった時期だったろうと思う」と説明されているから、1937年から1941年の間になります。それに27、8年を足せば、1965年前後。「夫婦ぜんざい」を見ている現在から、およそ10年くらい前と思われます。
「九州のある炭鉱で大きな事故があったとき」というのは、戦中と現在(1975年)の間、つまり1965年前後の話なのです。戦中や敗戦(直)後と比較しても、60年安保闘争で幕を開けた1960年代は、日本人にとって重要な時代でした。少なくとも1975年当時の読者にとって、とりわけ教員や学校に子どもを通わせる親の世代にとっては、そうした時代認識は共有されていました。さて、中野重治はここで読者を十年一昔に誘います。少し長い引用ですが……(……が感染してしまいました)。
事故は、保安関係の会社側怠慢からきた落盤事故だった。ガス発生がそれにくっついていた。死人が出た。坑口へ家族がつめかけているところへ屍体がはこびだされてきた。新聞記者がいっぱい駆けつけてきている。テレビの人間も駆けつけている。
学童期の子どもが読んでわかるように、優しい言葉だけで書いています。が、死体を屍体と書くところが実用の面だということでしょう。
この種の事故は絶えず生じている。戦後だけでも数え切れぬくらい生じているが、私がここで触れるのは事故、保安問題そのものではない。保安のむちゃなこと、役人の見まわり監督のでたらめなことなどはここでいっさい取りあげない。坑口の模様を私はテレビで見ていた。テレビだから、カメラの関係でぱつぱつと場面切りかえがあり、それが、見ている私に不満だったとしても私としてはどうすることもできない。
ここは不要なようでいて、傍観者である自分を読者に追体験させている実は大事なところですね。
いくつも屍体があがつてきた。重態の人も運ばれてくるが、いくら重態でも生者とではようすがちがつている。そこに屍体がはこばれてきた。そこに呆然として立っている婦人がいる。死んだ人の細君で、これは普通奥さんといつているかお神さんといつているか私は知らないが、そこで担架に取りすがるようにしたが画面が切りかえられた。
「いくら重態でも生者とではようすがちがつている」は、よく意味がわかりませんね。「これは普通奥さんと~」も、なぜ必要な記述なのかわかりません。が、あったほうがいい気がします。重態-生者-屍体、細君-奥さん-お神さんという対比であり、屍体と細君を際立たせるためでしょう。計算というより、言葉の運び、呼吸、緩急の効果ですね。
放送局のアナウンサーがあらわれる。さつきの細君がその前に立っている。彼女の前にアナウンサーの手でマイクが突き出される。彼女の表情はやはり呆然としたままである。「……御主人ですか……」
アナウンサーがそういう言葉を言った。それは、いま上がってきた屍体はあなたの御主人ですか、旦那さんですかという意味の言葉だった。これは、アナウンサーとしてそこで見ているのだから、改めて問わなくていいことだがテレビを見ている人を頭に置いての言葉だった。
「…………」
まだ若い細君はそれに答えなかった。アナウンサーの言葉がさつとわからなかったのかも知れなかった。しかし、1、2秒のことだった。やはり呆然とした表情のままだったが彼女ははっきり答えた。
「はい、つれあいです……」
それを聞いていて私はほとんど涙ぐみそうになった。その「つれあいです……」という言葉、「つれあい」という言葉の持っている重さ、それが彼女の口から出てきた様子が私を刺激したのだつたろう。それは、「安全に……」という合い言葉で毎日送りこんできた夫、亭主、主人、一年三百六十五日、それの何年もの繰り返し、そのあいだに行く度かあった事故をも切りぬけて生活をともにしてきた男に対する女の、「御主人」というのとも「最愛の人」というのともちがった身によりそうた表現だった。
俺もここでほとんど涙ぐみそうになりました。
わからぬことではあるが、彼女として、彼女の「つれあい」を「御主人」という言葉でいわれたことが今までなかったためだったかも知れない。「御主人ですか……」と問われて、それがどんな問いだか理解するのに一秒くらいの時間が彼女に必要だったのかも知れない。決して彼女は、「御主人」ではない、「つれあい」だ、と言おうとしたのではなかった。「つれあい」は自然に口から出ていた。彼女はずっと何年も彼を「つれあい」として考え、「つれあい」として彼に対してきたのだったにちがいない。「つれあい」-彼女が意識していたかどうかはわからぬが、この単純な、いわば昔からの言葉に彼女はすべてをこめていた。それが私にもわかった。「つれあい……そうだろうとも……」というように私が受け取った。
叙述としては緩急があり、思索としては間然たるところがない。最後の「というように私が受け取った。」と止めた。「私は」ではなく「私が」と感傷を突き放したところが、また見事ですね。文章は、実用を本分として、センチメンタルであってはならない、というのが著者の主張なのです。あれれ、文章読本の文章読本をするという大それたことをしてしまいました。これは言い訳せねばなりません。というわけでこの項続く……(最近、続く、ばかりで、少しも続いてないが)。
(敬称略)