コタツ評論

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オニババ化する女たち

2009-02-14 23:40:46 | ブックオフ本
タイトルがよくないと思いませんか?
『オニババ化する女たち-女性の身体性を取り戻す』(三砂 ちづる 光文社文庫)

「オニババ化」はまあいいのですが、「女たち」にうんざりしませんか。ちょっと検索しただけでも、女たちの戦争と平和人権基金・FGM廃絶を支援する女たちの会・戦争を許さない女たちのJR連絡会・女たちの21世紀・20世紀を彩った女たち・女たちの大和・徳川の女たち・出会い系の女たち・男に無理しない女たち・・・。

男社会にまつらわぬ「女たち」という、明らかにフェミニズム以降の言葉づかいです。それぞれの運動体や人物の内実はともかく、この言葉づかいは賞味期限が切れているでしょう。世界の半分を占める女性をマイノリティとしてとらえ、そのなかで特定少数を指し示すための「女たち」。古臭い「団結と統一」のスローガンと「前衛」の構図です。

本書は、月経や性、出産、授乳などの身体性から女性性を見直す目的で書かれているため、女を結婚や出産に縛りつける反動的な論考とフェミニストには不評らしい、たぶん。そこでフェミニストたちの好む「女たち」を皮肉として用いた。月経の時期を操作する薬を飲み、結婚や出産を忌避して、自己実現をめざす「女たち」は「オニババ化する」とあらかじめ挑発したタイトルかと思いました。あるいは、結婚や出産をする「女たち」が特定少数であるかのような逆転現象をアピールするのを意図したとか。

途中までしか読んでいませんが、以上のような読み方はやはりうがちすぎで、それほど意地の悪い本ではなさそうです。「女たち」と大上段に振りかぶったわけではなく、「あなたたち」くらいの少人数に語りかけるフレンドリーな言葉づかいのようです。本のタイトルは編集部が付ける場合が多いので、著者の意向ではなかったという可能性もあります。すくなくとも、これまで読む限りでは、アンチ・フェミニズムといった狭量な背景はなさそうです。

「男たち」にもこういう身体性を扱った本が欲しいものです。男の性と生殖を軸に、老眼やED、中折れ、性的なフェティシズム、セクシャルハラスメント、腰痛、前立腺肥大、加齢臭、アルコールやタバコ依存、などなどについて(なんだい、ぜんぶ俺のことではないか)、フロイトまがいの精神分析ではなく、身体性から解き明かしてもらいたいとは思いませんか? 思いません。それよりなにより金が足りない。

(敬称略)



日本語 実用の面2

2009-02-14 01:36:00 | ブックオフ本
いや、まいったな、和田久太郎『獄窓から』の2を続けたいのに、本が見つからない。どうしてこの狭い家でしょっちゅう物が失くなるのか、超常現象としか思えない。中野重治が引いている福沢諭吉の『福翁自伝』ばりの闊達な名文として和田久の手紙文を紹介したかったのに。鈴木清順『物語村木源治郎』のどこが映画としかいえないのか。視点ではなく視線の仕掛けを確認したかったのだが。 

さて、今回は中野重治を批判しちゃう。もうね、ブログ名も「コタツ評論」と変えたわけだし、評論といえば批判するに決まってるからね。中野重治はとっくに亡くなっているし、文句を言ってくる心配もないしね。ま、ご存命でもその心配はないのだが。

で、中野重治とはどういう人か。まずね、文学全集に入っている小説家なのね。若い頃で詩作はやめてしまったけれど、詩人としても有名だし、俺も一冊詩集を持っている。文芸評論家としても何冊も評論を出しているね。小説家で詩人で評論家なのね。俺はポエマーでコタツ評論するから、これで小説書けばタメね。そのうち、やおい小説を書こうと思っているけど。

さらに中野重治は参議院議員でもあったのね、敗戦直後の日本共産党躍進した一時期。俺は所沢市議くらいかな、なれるとすると。その上、中野重治は有名女優を嫁さんにしていたのね。原泉という。俺は「はらいずみ」とずっと読んできたけれど、「はらせん」が正しいらしい。お婆さん役が印象に残っているな。お婆さん役といっても、北林谷栄や浦辺粂子みたいな呆けタイプじゃない。唇が薄くてね。かくしゃくとした役柄が多かった。若い頃は知的な美人だったろうなと思わせる。つまり、中野重治は女にモテた。危篤から臨終のときは小説家の佐多稲子がつきっきりだったそうだ。77歳でそれだからね。モテたといえば、そりゃ俺だって・・・、ま、いいや。

それから中野重治は監獄にも入ったことがあるの。戦前からの日本共産党員でね。俺は監獄に入ったことはないが、入りそうになったことはある、破廉恥罪だがね。で、ネットでは適当な写真が拾えないが、中野重治は男らしいよい顔をしているのね。ま、俺もブ男といわれたことはないな。そうそう、学歴は東大の独文科卒だな。俺は駿大の私大進学コースだけど。というわけで、中野重治と俺とは、よく似ているわけ。同時に、俺と中野重治は少し違うわけ。わかるよね、ここまでは。

整理してみると、中野重治は東大出で小説家で詩人で評論家で共産党員で政治家だったことがあり有名女優を嫁にして女にモテた。この人を悪くいう人はあまりいないのね。思想的には左翼なんだけど、保守派のうるさがたにもすこぶる評判がよかった。つまり、男にもモテた。小林秀雄に『作家の顔』という作家論があるんだが、そのなかに「中野重治君へ」という一文があり、これが終始中野からの批判に弁明しているの。君は僕の評論が論理的でなく曖昧だと批判するけれど、僕はそれでいいと思っているとか、開き直ったいいわけを並べたもので、あの辛辣な小林秀雄がとても弱気なの。江藤淳もね、「日本革命の後ろ盾」なんて言葉が出てくる革命詩なのに、「雨の降る品川駅」を読んで涙したと手放し。左では吉本隆明が一目置いていて、日本の作家の中では数少ない金の取れる文章を書ける人だと褒めているのね。

一般には、あまり知られていないだろうが、文学好きの間では有名で、馬鹿にしたりする人はあまりいないんじゃないかな。文豪とか大文学者とはいわれないけれど、優れた小説や詩や評論の書き手として、戦後文学史でもかなり重要な扱いになっていると思うな。あ、シゲハルだからね。シゲジじゃないよ。コタツは炬燵であり小龍だからね。小龍が炬燵に入っている。おたまじゃくしみたいな寸詰まりの小龍。画数が多すぎて右側の造りが煩いから、小辰でいいな。

それでね、俺は中野重治の本読んだことないの。詩集一冊と、この『日本語 実用の面』以外に。偉い人なんだろうな、と漠然とは思っていたけど、あまり興味がなかった。白洲次郎、ジョン・スタインベック、曾我廼家五郎八、辻政信、リンドバーグと同じ1902年生まれという昔の人だしね。とりわけ、日本共産党員ってのがね、どうも。反代々木の世代だから、俺には論外なのね。何かを見い出すという対象の外なんだな。中野重治が「ダーリン」という言葉づかいを「お話にならない」といったのと同様に、俺にとっては「お話にならない」わけ。

で、これから、いや、「ダーリン」は「お話になるよ」と展開して、中野重治における文章の詐術を明らかにしますね。どこがインチキかをやります。評論だからね。徹底的に批判しちゃうわけ。もし、中野重治が読んだら泣き出しちゃうくらいやっつける。情けないとね、俺の知り合いから読んで泣く人が出るかも知れないが、もうね、評論家を名乗ったからにはね、その前にコタツと付いていてもね、論陣をね、論陣を張って逃げません。コタツから出ない。もうね、おおげさのようですが、決死の覚悟です。でもね。皆さんに不評だったらね、その時はね、削除すればいいんだから。PCのデスクトップに置いて、ときどき開いては自分で読んで頷いてればいいんだから。負ける気になれば勝ったも同然、というのが俺の信念ですからね。お楽しみにね。

前口上が長過ぎる? 失礼な! これで終わるかもしれないのに。ま、お土産に、中野重治批判のキーワードをひとつ上げておきましょう。「パパはなんだかわからない」。覚えておいてね。

しかし、『獄窓から』どこへいったかな。あの本は2度と入手できないのにな。